歴史 第2回 各時代の特色① 基礎編

歴史の部屋に戻る     TOP

平安時代まで

1…旧石器時代    2…縄文時代     3…弥生時代    4…古墳時代
5~7…飛鳥時代   8~13…奈良時代   14~15…平安時代

1 人類誕生から約1万年前まで,打製石器を使用していた時代を〔 ① 〕時代という。この時代の日本の遺跡には〔 ② 〕(群馬県)遺跡がある。
①旧石器  ②岩宿(いわじゅく)  
 旧石器時代の「旧石器」とは「打製石器」のこと。石を打ち砕いて作った簡単な道具です。人類誕生から約1万数千年前までの時代といわれますが,それほど昔のことですからあまり「何年前」とまで気にする必要はありません。時代区分で一番最初に出てくる時代とおぼえておけばそれで結構です。
 この時代の日本の遺跡として岩宿遺跡は必須です。大切なのはそれが群馬県であるという点。遺跡はそれが位置する現在の都道府県をおさえることが大切です。【位置】
   
2 約1万年前に氷河期が終わり,海水面が上昇したため現在の日本列島が形成された。このころからはじまる時代を〔   〕時代という。
縄文  
   縄文時代は,狩猟・採集生活をしていた点では旧石器時代と同じですが,磨製石器や土器を使用していたという点で旧石器時代とは異なります。 縄文時代とは「縄文土器」から名づけられた名前です。
 遺跡としては青森県の三内丸山遺跡をおぼえておきましょう。【位置】大規模な集落があったと考えられています。
   
3 紀元前4世紀ごろからはじまる時代を〔   〕時代とよび, 〔   〕土器が使用されていた。
弥生 
   弥生時代も「弥生土器」という土器から名づけられた時代の名前。弥生時代のポイントは次の通り。
稲作,青銅器,鉄器が大陸から伝わった。(必ず3【セット】で)
・争いがおこり,小さな国ができた。
邪馬台国は弥生時代の小国の1つである。
 2点目については吉野ヶ里遺跡(佐賀県)という遺跡がよく出題されます。【位置】周囲を堀で囲まれた集落。堀は村を防衛する目的で掘られた。【説明(目的)】つまり弥生時代には集落(ムラ)間の争いがあった。【歴史的意義】
吉野ヶ里遺跡 物見台(佐賀県)

吉野ヶ里遺跡 濠(佐賀県)
 特に3点目は非常に重要です。みなさんがよくまちがう所です。勘違いしてはいけません。次の大和朝廷と邪馬台国は音がよく似ていますが,まったく関係がありません。正確な時期などかまわないので,邪馬台国が弥生時代であることを頭にたたき込んでおくこと。【時代区分】
   
4 4世紀大和朝廷が日本を統一し,その王は〔 ① 〕とよばれた。〔 ① 〕はその権力の大きさを示すため〔 ② 〕を築いた。〔 ② 〕が築かれた時代を〔 ② 〕時代とよんでいる。 
①大王(おおきみ)  ②古墳 
   日本の統一国家である大和朝廷が成立した「4世紀」は,おぼえておくべき世紀です。これをおぼえておくとその前の弥生時代がおよそ3世紀までということも理解できます。【時代区分】
 古墳時代は,古墳がつくられた時代。古墳は「大王の墓」だとされます。したがって代表的な古墳をおぼえておくことが大切。日本最大の大仙(大山)古墳大阪府にあります。【位置】ここまでのところ各時代の最重要遺跡を1つにしぼって確実におぼえておきましょう。
   
5 7世紀,〔 ① 〕天皇の摂政となった〔 ② 〕は〔 ③ 〕氏と協力し,〔 ④ 〕(才能に応じて官位を与える)や〔 ⑤ 〕(役人の心がまえ)を制定した。〔 ① 〕のころの時代を〔 ⑥ 〕時代とよぶ。
①推古  ②聖徳太子  ③蘇我  ④冠位十二階  ⑤十七条(の)憲法(憲法十七条)  ⑥飛鳥
   飛鳥時代は総じて7世紀の時代と考えておきましょう。【時代区分】そして聖徳太子は最頻出人物の一人です。この人物について問われることは5点
・摂政
・冠位十二階
・十七条憲法
・遣隋使
・法隆寺

 まずはすべて漢字で確実に書けるように。「摂」・「冠」・「遣」はいずれもまちがいやすい漢字です。次に冠位十二階と十七条憲法をまちがえないように。「役人の心がまえ」とあれば「十七条憲法」です。また十七条憲法の【史料】問題もよく出題されます。
 遣隋使は隋(中国)に派遣した使節のこと。隋は聖徳太子のころのみに存在した中国の王朝です。だからほかの人物・出来事のときに「隋」と絶対に答えないように。「聖徳太子と隋」は絶対に切り離さないように。【セット】
 さて飛鳥時代の「飛鳥」とは奈良県の一地方を指す言葉です。このことをわかっていない人が多い。したがって法隆寺の位置は現在の奈良県です。【位置】
   
6 645年,〔 ① 〕と中臣鎌足は天皇中心の国づくりをおこなうため,〔 ② 〕氏をほろぼし,〔 ③ 〕をおこなった。その後,土地と人民は国家が直接統治するようになり,これを〔 ④ 〕という。
①中大兄皇子  ②蘇我氏  ③大化の改新  ④公地公民
   「蘇我氏」という一族はここで滅亡します。したがって「蘇我」という語句は飛鳥時代限定で用いられる語句(一族)です。【時代区分】 
   
7 中大兄皇子はのちに即位して〔 ① 〕天皇となった。彼の死後,皇位後継争いから〔 ② 〕がおこった。この争いに勝利して天皇となったのは〔 ③ 〕天皇であった。
①天智  ②壬申(じんしん)の乱  ③天武 
   飛鳥時代(7世紀)は大きく3つの出来事を軸として進んでいきます。これは並べ替えの問題などでよく問われますから,しっかりとおさえておきたい。【時期】
 聖徳太子の政治(推古天皇)→大化の改新(中大兄皇子=天智天皇)→壬申の乱(天武天皇) 
   
8 701年に〔   〕が定められ,律令国家が建設された。
大宝律令
   701年という年は8世紀の最初の年です。世紀の区切りの年であるとともに奈良時代は8世紀にあたりますから,その最初の年である大宝律令の制定年はおぼえておくべき年代です。【時期】
 「律令」とは「りつりょう」と読み,中国の唐から学んだ当時の法律だと考えればよい。「大宝」という元号のときに制定されたので大宝律令。 
   
9 律令制のもとでは〔   〕が実施され,6歳以上の男女に口分田が与えられた。
班田収授 
   班田収授とは口分田(くぶんでん)という土地を与えて,与えられた者が死ぬとその土地は国に返却しなければなりませんでした。なぜかというと土地の持ち主はあくまでも国だからです。公地公民ですね。つまり土地のレンタル制度です。では国がなぜ土地を貸し出すかというと,そこで生産された作物を税として徴収するためです。したがって班田収授と次の税制をセットでおぼえておかなくては意味がありません。【セット】
   
10 農民は,〔 ① 〕()・〔 ② 〕()・〔 ③ 〕(特産物)の税のほか,労働や〔 ④ 〕(北九州の防衛)などの兵役も負担した。
①租  ②庸(よう)  ③調  ④防人(さきもり)
   税の内容はそれぞれ問題の(  )にあるように一言でおぼえておけばよいでしょう。兵役にもいろいろありましたが,基本的に問われるのは防人だけです。ただしこれは「ひらがな」で書けなんて問題もでますから,読めることも大切です。 
   
11 律令制のもとで全国は〔 ① 〕に区分され,北九州は〔 ② 〕を置いて防衛の拠点とした。
①国・郡・里  ②大宰府
   国・郡・里とは,現在の都道府県・市・町村だと思えばよい。「国」というと現在の感覚では「国家」という大きな単位でとらえがちですが,現在は日本の中に47都道府県があるように,当時の日本はいくつかの「国」という単位に分割されていた。これからも度々「~国」といういい方が出てきますが,それは今でいう「~県」だという程度に理解しておいて下さい。
 北九州に置かれた大宰府はとても大事です。【位置】まず「大」・「宰」の字がともにまちがえやすい。特に「宰」の字はウ冠の中を「幸」と書く人が多い。ここはね,都から遠く離れた辺境の地。決して「幸せ」な場所ではありませんでした。むしろ「辛い」所。よって「辛」と書くように。また大宰府と防人をしっかり区別しておきましょう。【比較・セット】大宰府は「役所・機関」です。防人は文字通り「人(兵士)」です。問題がどちらを問うているのかしっかりと見極めた上で答えましょう。
   
12 〔 ① 〕年,の都をまねて〔 ② 〕京が建設され都となった。この都は現在の〔 ③ 〕市にあったため,以後約80年間を〔 ③ 〕時代という。
①710  ②平城  ③奈良
   710年は最重要年代の1つ。【時代区分】 
   
13 〔 ① 〕天皇は仏教の力で国を治めようとして全国に〔 ② 〕を建てさせ,都には〔 ③ 〕を建立し,のちに大仏がおさめられた。
①聖武  ②国分寺  ③東大寺
   奈良時代といえば聖武天皇ただ一人をおさえておけばよい。頻出人物の1人。聖武天皇の重要事項は次の2点。
・仏教による政治
・墾田永年私財法

 聖武天皇が全国に国分寺(奈良に東大寺・大仏)を建てさせた理由は,仏教を広めると同時に仏教の力によって国を治めようとしたからです。これは理由を問う問題がよく出る。【説明(理由)】
 もう1つは墾田永年私財法。これは《第7回 テーマ史②》へ。 
   
14 〔 ① 〕年,〔 ② 〕天皇は京都の〔 ③ 〕京に都を移し,新しい政治をおこなった。以後鎌倉幕府が開かれるまでを〔 ③ 〕時代とよぶ。
①794  ②桓武(かんむ)  ③平安
   桓武天皇が都を奈良から京都に移した理由は,あまりにも奈良時代に大切にされた仏教とその勢力(僧)が政治に口出しをするようになってきたからです。だから仏教は奈良に置き去りにして,新しく都をつくり,都の中にはお寺を建てさせなかった。したがって794年は「泣くよ(7・9・4),坊さん平安京」とでもおぼえておきましょう。794年は最重要年代の1つ。【時代区分】 
   
15 藤原氏は〔 ① 〕政治とよばれる政治をおこない,11世紀はじめの〔 ② 〕・〔 ③ 〕父子のころに全盛をむかえた。藤原氏の勢力がおとろえると白河天皇は上皇となって〔 ④ 〕をはじめた。
①摂関  ②藤原道長  ③藤原頼通  ④院政
   平安時代は400年という長期間の時代です。軸となる出来事は4点。これを順におさえておきましょう。【時期】
 天皇の政治(桓武天皇)→摂関政治(藤原氏)→院政(上皇)→平清盛の政治(平氏) 

応用編へ