歴史 第3回 各時代の特色② 基礎編

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鎌倉時代~安土桃山時代

1~2…平安時代    3~8…鎌倉時代    9~12…室町時代
13~15…安土桃山時代

1 武士の棟梁であった〔 ① 〕は保元の乱と〔 ② 〕で勝利し,武士で初めて〔 ③ 〕となった。
①平清盛  ②平治の乱  ③太政大臣(だいじょうだいじん)
   さあ,ここで「武士」という言葉がでてきました。武士はいつごろから登場するのでしょうか,よく考えてみましょう。鎌倉時代はもう武士の世の中です。鎌倉・室町・江戸と続く時代の名前は,それぞれ幕府が置かれた地名です。幕府とは武家(武士)の政権を意味します。
 すると武士の登場はその前となります。つまり平安時代のことです。もう少し時期を区切って考えると藤原氏の摂関政治のころです。武士の台頭を平安時代の基本軸に並べてみましょう。【時代区分・時期】

 最終的に平清盛は武士で最初の太政大臣にまでのぼりつめます。【歴史的意義】太政大臣は朝廷の政治の最高職です。
   
2 平氏は,1185年の〔 ① 〕の戦い(山口県)で〔 ② 〕によって滅ぼされた。
①壇ノ浦(だんのうら)  ②源義経(みなもとのよしつね)
   平清盛によって栄華を極めた平氏でしたが,その死後,周囲の反感を買い,ライバルの源氏にほろぼされます。源氏の棟梁(リーダー)は源頼朝でしたが,実際に平氏を滅ぼしたのは弟の源義経です。壇ノ浦の位置も重要ですので忘れずに!【位置】 
   
3 〔 ① 〕年,〔 ② 〕は征夷大将軍に任ぜられ,鎌倉(神奈川県)に幕府を開いた。鎌倉時代の始まりである。
①1192  ②源頼朝
   征夷大将軍は武家政権の最高位です。そして征夷大将軍が政治をするところを幕府といいます。天皇が政治をおこなうところを朝廷といったのと照らし合わせて理解しておいて下さい。【比較】
 ポイントは鎌倉が神奈川県であるということ。【位置】そして鎌倉幕府ができたからといって日本の都が京都(平安京)にあることには変わりはないということです。「都」とは天皇が居住する場所をいいます。鎌倉時代,いやこの先江戸時代まで,京都は天皇がいるところであり,朝廷があるところであり,つまり日本の都であったことを忘れないで下さい。【落とし穴】
鎌倉幕府跡(現在は小学校)
 
   
4 鎌倉幕府では,将軍を補佐する役職を〔 ① 〕といい,代々〔 ② 〕氏がこの職につき,源氏の将軍が絶えると幕府を支配した。
①執権  ②北条
   鎌倉時代の最重要語句が「執権」です。源氏の将軍(頼朝の家系)は3代目で滅んでしまいますが,北条氏が執権という地位で幕府を指揮していきます。藤原氏の摂関政治北条氏の執権政治【比較】しておぼえましょう。
   
5 源氏が3代で絶えると,〔 ① 〕は幕府を倒すため〔 ② 〕をおこした。〔 ① 〕は敗れて隠岐に流され,京都には朝廷と西国武士の監視のため〔 ③ 〕が置かれた。
①後鳥羽上皇  ②承久の乱  ③六波羅探題
   鎌倉時代で出題される2つの事件は,承久の乱元寇です。承久の乱が問われるのは,第1にこの事件の幕府側の勝利よって今後武士の世の中になることが決定的となったためです。【歴史的意義】
 第2に六波羅探題です。「六波羅」とは京都の地名です。「探題」とは重要機関とでも解釈して下さい。京都に置かれた重要機関という意味。では具体的に何をするところか?問題文にあるように,朝廷と西国武士の監視のためです。六波羅探題を設置した目的はよく問われる問題です。【説明(目的)】  
   
6 3代執権:〔 ① 〕は,武士の最初の法律である〔 ② 〕を制定した。
①北条泰時(やすとき)  ②御成敗式目
   御成敗式目武士が制定した最初の法であるという点で問題に出されます。【歴史的意義】武士の法は時代によって3つ出題されます。【比較】
・鎌倉時代…御成敗式目
・戦国時代…分国法
・江戸時代…武家諸法度

 このうちもっとも定着しないのが御成敗式目です。逆にこれを確実に合わせることで得点も伸びてくるでしょう。 
   
7 8代執権:〔 ① 〕は,〔 ② 〕の二度の襲来を防いだ。これを〔 ③ 〕という。
①北条時宗  ②元  ③元寇
   元寇はなんといっても漢字まちがいが非常に多い。「ウ冠」です。常に意識しながら練習する必要があります。意識するとは1回書いたら,その度に確認するということです。そのとき言葉を声に出して練習しましょう。「げ・ん・こ・う」最後の「う!」にアクセントを置いて,「かんむり!」 。
 元寇は『蒙古襲来絵詞』という絵画史料がよく使われます。【史料】
   
8 元寇のあと,幕府は御家人の生活苦を救うために御家人の借金を帳消しにする〔 ① 〕を発布したが効果はなく,1333年に〔 ② 〕天皇にほろぼされた。
①徳政令  ②後醍醐(ごだいご)
   元寇に赴いた御家人は借金をして戦いに参加しました。しかし元軍を撃退したにもかかわらず恩賞(お給料)がなかったため借金を返済することができなかった。そのため幕府が出したのが徳政令です。徳政令とは借金を帳消しにすることです。【説明(内容)】その結果,一時的には御家人は救済されましたが,お金の貸し手はたまったものではありません。御家人も今後,お金を借りようとしても借りることができなくなります。こうして幕府はさまざまな方面から信用を失います。
 鎌倉幕府が滅んだ1333年という年は3が3つ並んでいますので,比較的おぼえやすい年代です。【時代区分・時期】 
   
9 鎌倉幕府滅亡の翌年,後醍醐天皇は〔 ① 〕を始めたが,公家重視の政治のため武家の不満を招き,都(京都)を追われて〔 ② 〕(奈良県)に逃れた。
①建武の新政  ②吉野
   後醍醐天皇が逃れた奈良の吉野は位置の問題として重要です。【位置】 
   
10 京都では〔 ① 〕が新しい天皇を立て,征夷大将軍に任ぜられて幕府を開いたが,天皇が京都と吉野に分かれたため全国を二分する争いとなった。室町時代の前半のこのような期間を〔 ② 〕時代という。
①足利尊氏  ②南北朝
   ここは非常にややこしいところで,整理が必要です。コツは京都を中心に考えればよいということです。まず後醍醐天皇が吉野に逃れようが逃れまいが,日本の都は京都であり,鎌倉幕府なきあとの歴史の中心舞台は京都であるということ。その京都に天皇(後醍醐天皇とは別の)=朝廷が存在しており,この京都の朝廷から足利尊氏が征夷大将軍に任じられて京都に幕府を開きます。これが室町幕府です。つまり建武の新政が終わったあと,京都に朝廷と幕府が存在したのです。そしてこれとは別に後醍醐天皇が奈良の吉野にもう1つ朝廷をつくったと考えればよい。


室町幕府跡(同志社大学近く 京都市)
   
11 南北2つの朝廷は,3代将軍:〔  〕によって合一された。
足利義満
   足利義満は歴史で問われる最重要人物の一人。室町幕府の全盛期の将軍です。足利義満については最低3点おさえておきましょう。
・ 南北朝合一
・勘合貿易
《第6回 テーマ史①》
・金閣
《第8回 テーマ史③》
   
12 〔 ① 〕年,8代将軍:〔 ② 〕の後継者争いから〔 ③ 〕がおこった。そののち全国で〔 ④ 〕大名が争う下剋上の時代となった。室町時代の後半の約100年間を〔 ④ 〕時代という。
①1467  ②足利義政  ③応仁の乱  ④戦国
   義満同様,歴史最重要人物の一人が足利義政。彼については応仁の乱銀閣をおさえておけばよい。応仁の乱の年は時代の基準となる年です。【時期】比較的おぼえにくい年ですが,「人(1)の世(4),む(6)な(7)しい」とおぼえればすぐにおぼえられます。 この出来事をきっかけに下剋上の世(戦国時代)となっていきます。
 先に出た南北朝時代と戦国時代は,正確に室町幕府の期間の中には入りませんが,室町時代の前半と後半をその特徴から特によばれる名前だと理解しておげばよい。
   
13 戦国時代の後半に現れた〔 ① 〕は室町幕府を滅ぼし,〔 ② 〕の戦いで鉄砲を用いるなど勢力を拡大した。また〔 ③ 〕城(滋賀県)を中心に〔 ④ 〕をおこなうなどの経済政策をおこなった。
①織田信長  ②長篠(ながしの)  ③安土(あづち)   ④楽市楽座
   織田信長については最低2点。楽市楽座長篠の戦いをおさえておきましょう。楽市楽座は座を廃止し,自由な商工業をめざした経済政策【説明(内容・目的)】長篠の戦いでは鉄砲隊を組織して,鉄砲を実践で効果的に使用しました。【歴史的意義】長篠は愛知県で,【位置】の問題で出題されることがありますが,基礎編としてはやや難で応用編レベルです。またこの戦いを描いた絵画史料はよく出題されるので必ずみておきましょう。【史料】 
   
14 本能寺の変で自害した織田信長のあとをついだ〔 ① 〕は全国を統一した。兵農分離をおこなうため,〔 ② 〕(土地の調査)・〔 ③ 〕(一揆の防止)などの政策をおこなった。織田信長と〔 ① 〕の時代を〔 ④ 〕時代とよぶ。
①豊臣秀吉  ②太閤検地  ③刀狩  ④安土桃山
   豊臣秀吉もやはり最重要人物。絶対落としたくない人物です。最低3点はおさえておく。中でも太閤検地刀狩は重要。《第7回 テーマ史②》これに加えて次の朝鮮出兵も重要です。 
 安土桃山時代は16世紀後半であることをおさえておきましょう。【時代区分】
   
15 豊臣秀吉は天下統一のあと,を攻めるため〔 ① 〕をおこなったが失敗した。秀吉の死後1600年に〔 ② 〕の戦いがおこり,勝利した〔 ③ 〕は1603年に〔 ④ 〕(東京都)に幕府を開いた。
①朝鮮出兵  ②関ヶ原  ③徳川家康  ④江戸
   織田信長→豊臣秀吉→徳川家康の順で天下は治まっていきます。織田信長は近畿・東海地方の統一で全国を統一したわけではありません。全国を統一するのは豊臣秀吉ですが,後継者に恵まれずに政権は安定しません。次の徳川家康に至って安定した政権となるのです。 
江戸城本丸跡(江戸幕府)

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