歴史 第4回 各時代の特色③ 基礎編

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江戸時代~明治中期

1~7…江戸時代   7~15…明治時代(自由民権運動)

1 江戸時代の大名は〔 ① 〕という法で取りしまられた。その中で大名は妻子を人質として江戸に置き,1年おきに江戸と領地を行き来させられる〔 ② 〕という制度が,3代将軍:〔 ③ 〕のときに整えられた。
①武家諸法度  ②参勤交代  ③徳川家光
   武家諸法度は大名が守るべききまり。「法度(はっと)」とは「してはいけないこと=禁止事項」という意味です。
 参勤交代の「参勤」とは,大名が江戸で将軍のために働く(勤める)ことを意味します。「交代」となっているのは,1年交代で(定期的に)江戸勤務と領国勤務を繰り返すためです。1年江戸で生活して,次の1年は自分の領国で生活する。また1年経つと江戸に勤めに出る。この目的は江戸と領国を行き来させることで,大名に経済的負担を課すことにありました。【説明(目的)】大名は江戸に出るとき,単身赴任とはいきません。大勢の家臣や荷物が必要です。また大名たちは見栄もあってできるだけその道中を華やかに見せようとしました。こうしてお金を使わせることで幕府に対して反乱をおこす余裕をなくさせたのです。
※参勤交代
 当初,幕府は参勤交代によって大名に経済的負担を課す意図はなく,結果的にそうなったというのが最近の教科書の説明です。

 武家諸法度は法令で,参勤交代は武家諸法度の中にある制度の1つです。法令を問われたら武家諸法度,制度を問われたら参勤交代です。問題を見極めた上で答えるようにしましょう。 
   
2 5代将軍:〔   〕は極端な動物愛護令である生類憐みの令を出した。
徳川綱吉
   ここからはまず,江戸時代の政治家の名前と順番をしっかりとおぼえていきましょう。【時期】何といっても時期や並べ替えの問題が多い。
 綱吉(つ)→新井白石(らい)→吉宗(よ)→田沼意次(た)→松平定信(ま)→水野忠邦(み)と並び,頭文字をとって「つ・ら・い・よ・た・ま・み(辛いよ!タマミ)」とおぼえましょう。(新井白石は応用レベル。頭文字の取り方に注意)

 名前と順番をしっかりとおぼえたら,今度は簡単な内容(改革の名前など)を加えておきましょう。 
   
3 18世紀のはじめ,8代将軍:〔 ① 〕は〔 ② 〕の設置,〔 ③ 〕の制定など〔 ④ 〕の改革をおこなって幕府政治の改革を実施した。しかし〔 ④ 〕の大ききんがおこったため失敗に終わった。
①徳川吉宗  ②目安箱  ③公事方御定書(くじかたおさだめがき)  ④享保(きょうほう)
   徳川吉宗の語句としては公事御定書目安箱の2つがよく説明文に出てきます。そして大きくは「農業」に関する政策をおこなったとおさえておきましょう。吉宗のニックネームは「米将軍」。「暴れん坊将軍」(時代劇)ではありません。 
 さてここまで3つの幕府がでてきましたが,すべて3代と8代は重要人物でした。まとめておぼえておきましょう。【比較】
・鎌倉幕府執権…3代:北条泰時  8代:北条時宗
・室町幕府将軍…3代:足利義満  8代:足利義政
・江戸幕府将軍…3代:徳川家光  8代:徳川吉宗
   
4 徳川吉宗の政治のあと,幕府の政治は主に〔 ① 〕によっておこなわれた。〔 ② 〕は株仲間の結成を奨励したが,わいろが横行し政治が乱れた。続く〔 ③ 〕は〔 ④ 〕の改革で政治を引きしめたが,厳しすぎたため失敗に終わった。
①老中  ②田沼意次(おきつぐ)  ③松平定信(まつだいらさだのぶ)  ④寛政(かんせい)
   田沼意次は他の政治家と違ってややダーティ(きたない)な政治のイメージがあります。それはよく「わいろ(賄賂)」という言葉で説明されますが,「お金」がからんでいるからです。株仲間という同業者の組合など商人との結びつきが強かったのです。そこで吉宗=農業政策に対して,田沼は商業政策とイメージしておさえておきましょう。【比較】
 松平定信(寛政の改革)でも多くの重要事項がありますが,基礎編ではまず名前と順だけで結構です。応用編・発展編を進む人は徐々に知識を増やしていきましょう。 
   
5 19世紀,老中:〔 ① 〕は〔 ② 〕の改革をおこない,〔 ③ 〕を解散させて物価統制をおこなった。
①水野忠邦(みずのただくに)  ②天保  ③株仲間
   水野忠邦の最重要事項は,株仲間の解散です。これは田沼意次を【比較】させておさえましょう。田沼は株仲間の結成,水野は株仲間の解散。 
   
6 江戸幕府の末期,天皇を敬う〔 ① 〕論と外国を討とうとする〔 ② 〕論が高まり,〔 ③ 〕藩や〔 ④ 〕藩が中心となった。やがてこれらの藩は同盟を結び,倒幕運動へと向かっていった。
①尊王  ②攘夷(じょうい)  ③薩摩  ④長州
   尊王の「王」とは「天皇」のこと,「攘夷」の「攘」は「討つ,やっつける」,「夷」は「外国(人)」の意味です。「尊王攘夷」とまとめていうこともあります。この背景には大老:井伊直弼の失政にありました。統治機構として信用を失った幕府と外国との貿易が原因でおこった国内の混乱。その解決策として盛り上がった江戸幕府末期の大きな流れです。
江戸時代末期の流れ
 日米和親条約(開国)→日米修好通商条約(不平等条約)・井伊直弼の政治→尊王攘夷運動→倒幕運動→大政奉還
 「親好(親・好)深めるいい(井伊) 外(そ・と=尊・倒)の運動,大成(大政)功」とでもおぼえましょう。
 中心となったのは薩摩藩・長州藩の2藩。それぞれ鹿児島県・山口県であることをおさえておきましょう。【位置】 
   
7 1867年,15代将軍:〔 ① 〕は,〔 ② 〕をおこなって政治を朝廷に返上した。
①徳川慶喜  ②大政奉還
   「奉還」の「奉」は天皇に対する謙譲語です。「天皇(朝廷)にお返(還)しする」の意味。何をお返(還す)しするのかというと,政権です。したがって「大政奉還」とは「政権を朝廷に返上すること」となります。これは江戸幕府の終わりを意味しますが同時に,鎌倉時代から続いた武家政権が終わったことも意味します。【歴史的意義】したがってその年も,歴史的な転換点となりますからおぼえておきましょう。【時代区分】 
   
8 1868年,天皇は〔 ① 〕を神に誓う形で発表し,明治時代がはじまった。明治時代初期の新政府による近代化政策を〔 ② 〕という。
①五箇条の御誓文(ごせいもん)  ②明治維新
   五箇条の御誓文新政府(明治政府)の基本方針です。具体的な内容ではありません。これにのっとって実施された様々な政策をまとめて明治維新といいます。よってこの2つは【セット】でおぼえておきましょう。
 明治時代は次の3つを軸に大きくとらえること。
・初期…明治維新
・中期…自由民権運動
・後期…日清・日露戦争
   
9 明治政府はまず〔 ① 〕をおこない,大名が支配する土地と人民を天皇に返させた。その上で〔 ② 〕を実施し,全国に府県が置かれた
①版籍奉還  ②廃藩置県
   この2つの政策は表裏一体,切りはなすことができません。【セット】「版籍」とは「土地と人民」の意味。これを「奉還」ですから,朝廷に返上するの意味。こうして江戸時代まで各地方(藩)が管理していた土地と人民を一括して政府が管理することにしました。そして新たに置かれた府県に政府(中央から)役人が派遣され,政府の命令(法令)を実行する中央集権国家をつくろうとしたのです。 
   
10 明治政府は富国強兵をおこなうため,土地所有者に現金で税を納めさせる〔 ① 〕を実施し,満20歳以上の男子に兵役の義務を課す〔 ② 〕を発布した。
①地租改正  ②徴兵令
   地租改正とは「地租」=税制の改革です。どのように変わったかというと江戸時代まで米などの農作物で支払われていたのを現金で納めさせたのです。税率は土地の価値(地価)を基準に決めましたから豊凶に関係なく,毎年一定額の収入が見込めます。これは目的を問われますので,「政府の財政収入を安定させるため。」と答えるようにしましょう。【説明(目的)】 
   
11 明治政府は殖産興業を進めるため官営工場を建てた。群馬県の〔   〕はその代表例である。
富岡製糸場
    官営工場とは国がつくった工場です。官営模範工場ともいいます。具体的に問われる工場は富岡製糸場とのちに出てくる八幡製鉄所だけです。ここでは富岡製糸場。決まって場所が問われます。【位置】
 群馬県が歴史で登場するのは岩宿遺跡と富岡製糸場。関東地方以外の学生は群馬県の位置をきっちり答えられるかどうかが重要。
   
12 政府内で征韓論が敗れると〔 ① 〕は鹿児島で〔 ② 〕をおこした。
①西郷隆盛  ②西南戦争
   西郷隆盛は倒幕運動で活躍し,薩摩藩出身であるということ。つまり西南戦争鹿児島【位置】また西南戦争は最後の士族(旧武士)の反乱であり,その後,政府批判は言論によるもの(自由民権運動)に変わっていったという点が大事。【歴史的意義】
   
13 〔 ① 〕は国会開設と憲法制定をめざす〔 ② 〕をおこなった。
①板垣退助  ②自由民権運動
   自由民権運動とは政府による一方的な明治維新の諸政策に対し,民衆が政治参加を求めた運動です。その代表が板垣退助。他のだれよりまずこの人をしっかりおさえておけばよい。 
   
14 1885年,内閣制度が整備され初代内閣総理大臣に〔 ① 〕が就任した。また1889年,〔 ② 〕が制定された。〔 ③ 〕が大きな権力をもち,議会は〔 ④ 〕と衆議院の二院制であった。
①伊藤博文  ②大日本帝国憲法  ③天皇  ④貴族院
   自由民権運動に対して当初,政府は弾圧姿勢に出ますが,やがて受け入れ姿勢に転じます。しかし全面的に受け入れたわけではなく,天皇の権力が圧倒的に強い形にします。(天皇大権)しかしそうすると失政があったときに天皇が責任を問われることになります。そうならないように責任を負う人物が必要で,それが当時の内閣総理大臣でした。大抵は薩摩藩・長州藩出身者がその地位につきます。
 また議会も選挙で選ばれる衆議院と身分の高い人がなれる貴族院の二院制となりました。 
   
15  衆議院議員の選挙権は満〔 ① 〕歳以上の〔 ② 〕で直接国税〔 ③ 〕円以上を納めるものに限られ,全人口の約〔 ④ 〕%であった。
①25  ②男子  ③15  ④1
   これは理屈抜きに一言一句もらさずに丸暗記して下さい。 

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