歴史 第5回 各時代の特色④ 基礎編

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明治後期~昭和時代

1~2…明治時代   3~9①…大正時代   9②~12…昭和時代(戦前)    
13~15…昭和時代(戦後)

1 1894年,朝鮮をめぐって〔 ① 〕がおこった。これに勝利した日本は〔 ② 〕条約で〔 ③ 〕半島を得たが,〔 ④ 〕(ロシア・フランス・ドイツ)によって清に返還させられた。
①日清戦争  ②下関  ③遼東(リャオトン)  ④三国干渉
   ここからの歴史は戦争を軸におさえていきましょう。まずは戦争の年,講和条約と簡単な内容です。そのすべての出発点が1894年の日清戦争です。これを基準に歴史は10年ごとにとらえていく。

 戦争には,それを正式に終わったことを示す講和条約というのが結ばれます。「講和」とはいいますが,戦勝国が敗戦国に対して出す条件がまとめられています。条約の名前は結ばれた場所をとって「~条約」とよびます。下関条約山口県下関市。本州の最西端ですので位置を選べられるようにしておきましょう。【位置】
条約が結ばれた料亭春帆楼(山口県下関市)
 内容は戦勝国である日本が敗戦国:清(中国)からさまざまなものを獲得しますが,3点しっかりおさえましょう。
・多額の賠償金
・遼東半島
・台湾

 まず賠償金は,敗戦国が戦勝国に支払うお金です。ここで得た賠償金のほとんどは,これからの日本の軍備拡張に費やされます。特に八幡製鉄所をつくって日本の鉄鋼業を発達させたのは重要です。【歴史的意義】逆に清にとっては大きなダメージとなり,滅亡のきっかけとなります。
 次に遼東半島は場所が大事。朝鮮半島の付け根にあります。【位置】ここを日本が獲得すると大陸進出が容易になります。これを嫌ったロシアがフランスとドイツを誘って,この下関条約に干渉し,半島の返還を迫りました。これが三国干渉です。大国:清に勝利したとはいえ,列強3国に対抗するだけの力はまだ日本にはありません。しぶしぶ遼東半島は清に返還します。このことがロシアとの対立を深めました。三国干渉は特にロシアが中心であったことを頭に入れておきましょう。
 最後に台湾です。遼東半島はいろいろあったからよく頭に残っていますが,忘れがちなのがこの台湾です。最終的に日本の手元に残った植民地ですから,忘れずにおきたい。台湾はこの先,日本が敗戦する1945年まで,日本の植民地となったんですよ。【落とし穴】 
   
2 1904年,〔 ① 〕がおこった。この戦争はアメリカの仲介で〔 ② 〕条約が結ばれ終結した。その後日本は〔 ③ 〕を併合し植民地とした。
①日露戦争  ②ポーツマス  ③朝鮮(韓国)
   日清戦争の10年後,ついにロシアとの戦争に突入します。この戦争で日本の味方についたのはイギリスとアメリカです。まずイギリスとは戦前に日英同盟を結びます。イギリスとは対ロシアという点で目的が一致していたからです。次にアメリカには戦争終結でお世話になりました。ロシアは大国ですから,戦争が長期化すると日本が不利になります。まだ日本が勝っているうちに終戦へと持ち込みたい。ロシアとしても国内でのさまざま問題が戦争継続を困難にしていました。そこで当時,国際的に中立の立場であったアメリカに仲介してもらって講和条約締結に持ち込んだのです。ポーツマス条約のポーツマスとはアメリカの都市です。【位置】
 ポーツマス条約のポイントは次の3点。
・賠償金はとれなかった。
・南樺太と南満州鉄道を獲得
・朝鮮半島での優先権を獲得

 まず賠償金がとれなかったことは,下関条約と比較しておさえておきましょう。【比較】しかし獲得したものは大きかった。南樺太と南満州鉄道はいずれも「南」というのが共通点。そしてこの条約の結果,日本は朝鮮半島を併合して,植民地としていくのです。 
   
3 1914年サラエボ事件がきっかけとなって〔   〕がはじまった。
第一次世界大戦
   日露戦争からまた10年後,第一次世界大戦がはじまります。第一次世界大戦イギリスドイツの植民地政策が対立して世界中に広がった戦争です。日本は日英同盟を結んでいますから,イギリス側についてドイツと戦います。結論からいうと,戦勝国側についたのです。 
   
4 大戦中,日本は中国政府に〔   〕を出した。
二十一ヶ条の要求
   日本がドイツと戦うといっても遠くヨーロッパまで派兵したのでは遠すぎます。そこで日本は中国にあるドイツ基地をたたいた。いわば楽勝の戦いですから,日本はさらに欲を出して中国(当時は中華民国)に対してあれこれ要求します。これが二十一ヶ条の要求です。中国に対しては他のヨーロッパ諸国も進出をねらっていましたが,自国で戦争が過熱していますから,遠く中国のことを気にしていられません。その隙を日本はねらったのです。 
   
5 ロシア革命に干渉するため日本は〔 ① 〕出兵をおこなった。その結果,米価が上がり〔 ② 〕がおこった。この後〔 ③ 〕が日本で最初の本格的政党内閣を発足させた。
①シベリア  ②米騒動  ③原敬
   第一次世界大戦中,ロシアで革命がおこりました。この革命は社会主義革命でした。ロシア以外の列強は日本も含めて資本主義の発達した国々です。社会主義は資本主義の反対の考え方ですから,正反対の考え方が広まっていくことを恐れた列強はこのロシア革命を失敗させようとロシアに派兵します。日本ではこれをシベリア出兵とよんでいます。
 相次ぐ戦争に日本国内では米の買占めがおこり,米価が高騰。富山県の漁村の主婦らが中心となって米価の引き下げを要求した暴動が全国的に広がり,米騒動となりました。この責任をとって辞職した総理大臣ののちに成立した原敬内閣は,陸軍・海軍大臣を除く大臣が立憲政友会という政党出身者であったため,日本で最初の本格的政党内閣とよばれます。首相の原敬自身,岩手県出身で,薩摩出身でも長州出身でもありませんでした。
 さてここは流れが大切なところです。上で説明した出来事は一連の流れとなっていますので,各々1つずつおぼえていたのでは点数に結びつきません。順に流れのままおぼえておきましょう。【流れ・時期】
 ロシア革命→シベリア出兵→米騒動→原敬政党内閣「ロシア米原(まいばら)=ロ・シ・(ア)・米・原」 
※注…歴史的な出来事を正確に並べると,米騒動の後にシベリア出兵がおこっていますが,それでは歴史的な因果関係が理解できませんので,シベリア出兵という動きがが米騒動を引き起こしたと考えるようにしましょう。
   
6 1918年にドイツが降伏し,1919年パリで〔 ① 〕条約が結ばれて大戦は終結した。大戦の反省から世界初の国際平和組織:〔 ② 〕が1920年に発足した。
①ベルサイユ  ②国際連盟
   第一次世界大戦はドイツの敗北で幕を閉じます。戦後締結されたベルサイユ条約は対ドイツ講和条約であり,国際連盟設立のための条約でした。ベルサイユがフランスのパリ(近郊)であることをおさえておきましょう。【位置】また国際連盟は第一次世界大戦後国際連合は第二次世界大戦後としっかりと区別しておきましょう。【比較】 
   
7 大戦中の日本は〔 ① 〕時代で,この時代の特徴は〔 ② 〕という言葉で表される。吉野作造が〔 ③ 〕を唱え,〔 ④ 〕が女性運動を活発におこない,部落解放のための〔 ⑤ 〕が結成された。
①大正  ②大正デモクラシー  ③民本主義  ④平塚雷鳥  ⑤全国水平社
   第一次世界大戦は,日本では大正時代にあたることをおさえておくこと。【時代区分】第一次世界大戦に関連する出来事はすべて大正時代と判断しましょう。
 大正時代という時代は大正デモクラシーという言葉で時代を特徴づけられます。デモクラシーとは「民主主義」のこと。さまざまな人々が政治・社会参加を求めて運動をおこしました。青鞜社全国水平社はよく選択肢に現れる語句です。 
   
8 1925年には普通選挙法が制定され〔 ① 〕に選挙権が与えられたが,政府は同時に〔 ② 〕を制定して社会主義を取りしまった
①25歳以上の男子  ②治安維持法
   大正時代の政治に関しては,原敬の政党内閣と1925年の出来事の2点をおさえておけば十分です。1925年,男子25歳以上に選挙権が与えられました。【説明(内容)】25」という数字がキーワードとなり,おぼえやすい。【時期】ただしこれは治安維持法【セット】にしておぼえること。必ず一方から一方を答えるような問題となっています。1つずつ別々におぼえても点に結びつかないと思って下さい。
 治安維持法は社会主義を取りしまる法律です。当時の日本では社会主義は絶対に受け入れることのできない思想でした。社会主義は国民の「(経済的)平等」を目指す思想です。そのため社会的な階級を否定します。日本には天皇が特別な地位として存在しますから,社会主義では天皇をも否定するのです。これは当時の国のあり方そのものを否定するわけですから,取りしまりの対象となるのです。「25歳以上の男子に選挙権は与えるが,社会主義はダメですよ。」というわけです。 
   
9 1923年の〔 ① 〕,1929年アメリカではじまった〔 ② 〕によって日本は深刻な不景気となり,問題の解決を戦争にたよろうとする動きがおこった。このような動きを〔 ③ 〕といい,日本・ドイツ・イタリアなどがおこなった。
①関東大震災  ②世界恐慌  ③ファシズム
   ここで大正時代から昭和時代のはじめにかけての日本の景気を理解しておきましょう。
 第一次世界大戦のころはヨーロッパが戦争中に日本は輸出を伸ばして好景気となりました。しかし戦争が終わるとヨーロッパの景気も回復し,日本の景気は後退します。そこへ首都を直撃する大地震:関東大震災がおこった。景気がさらに悪化します。そのまま昭和時代へと変わり,世界恐慌によって最悪の状態になります。恐慌とは不景気を二乗したようなものだと考えて下さい。そしてその解決策として日本は軍主導による中国侵略をはじめたのです。【流れ】
 第一次世界大戦=好景気→戦後=景気後退→関東大震災=不景気→昭和初期=世界恐慌 
   
10 1931年,日本軍は〔 ① 〕をおこし,翌年〔 ② 〕を建国した。その結果日本は国際連盟を脱退し国際社会から孤立した。
①満州事変  ②満州国  
   1931年は次の基準年です。まず戦争の第一段階:満州事変です。【時期】最初の1931年をしっかりとおぼえておけば,あとは流れでおさえればよい。
 1931年,日本軍が南満州鉄道を爆破します。ところでこの南満州鉄道は日本の所有物です。自分のものを自分で爆破したことになります。そして自分でしでかしたことを中国のせいにして,無理やり中国から満州をいただこうという作戦ともいえない無茶な作戦です。しかしこれを実現してしまった。満州国という国をつくってしまったのです。事実上,日本の植民地です。
 この事件,実は軍が暴走してかってにやってしまったんです。だから最初に「日本が」ではなく「日本軍が」と書いたでしょ。ここがポイント。満州事変の「変」は「裏切り」(難しくはクーデター)を意味する事件に使う語です。まさしく政府の預かり知らぬところで軍が強引にやってのけた事件でした。
 やられた中国は国際連盟に助けを求めます。当然,日本の悪だくみは暴かれ,日本軍は満州から出ていきなさいといわれる。普通,悪さがばれたら謝るんですけど,日本はそうはしなかった。「それなら国際連盟なんかやめてやる!」といってやめてしまった。国際連盟脱退です。
 中国北部を手中にした日本軍はそのまま南下し,中国侵略を進めます。日中戦争です。【流れ】
 満州事変(1931)→満州国建国→国際連盟脱退→日中戦争(昭和の戦争は北から南へ) 
   
11 1932年の〔 ① 〕事件,1936年の〔 ② 〕事件は軍部が政府を乗っ取るきっかけとなり,1937年には〔 ③ 〕をはじめ,中国との全面戦争に入った。
①五・一五  ②二・二六  ③日中戦争
   日本の軍部にとって戦争を拡大していくための大きな問題は,戦争相手ではなく,実は日本国内にありました。日本政府そのものが目下最大の敵だったのです。そこで軍部は政府を相手に戦います。第一段階として五・一五事件,第二段階が二・二六事件です。両方とも政府要人をねらったテロです。違いは五・一五事件は海軍によるもので,二・二六事件は陸軍によるもの。また五・一五事件では首相(犬養毅)が殺されていますが,二・二六事件では首相は死亡していません。問題に「海軍」・「首相暗殺」とあれば,五・一五事件。「陸軍」とあれば二・二六事件とみわけましょう。 【比較】
 五・一五事件のあと,日本の政党政治は終結。ニ・二六事件のあと,日本は軍人が総理大臣となり,政府=軍の図式ができあがりました。【歴史的意義】
   
12 日中戦争が長期化すると1938年,〔 ① 〕を制定して国民を全面的に戦争参加させようとした。さらに資源を求めて東南アジアに進出すると1941年には〔 ② 〕をはじめ,アメリカとの戦争となった。〔 ③ 〕年,この戦争は日本が〔 ④ 〕を受け入れて終結した。
①国家総動員法  ②太平洋戦争  ③1945  ④ポツダム宣言
   さて意気揚々と中国相手に戦争をはじめた日本ですが,日清戦争のように簡単に勝てませんでした。1つは中国政府が内陸各地への転戦を決めたこと。もう1つはアメリカが中国を援助したことです。短期決戦を決め込んだ日本にとっては不利な状況になります。
 日本の弱点は資源に乏しいことです。戦線が拡大すると兵力も分散される。食料も調達しなければならないし,調達ルートも細く長く伸びる。そこを攻められると簡単にやられてしまう。何といっても武器をつくったり,動かしたりする鉄や燃料がない。
 そこで日本がとった手段が2つ。国家総動員法南進政策です。第1の国家総動員法とは,国が国民全員を戦争のために働かせてもよいという法律です。老若男女問わず,戦争に動因する。別に戦うということだけではありません。戦争に役立つことなら何でもかまわない。
 もう1つの南進政策は資源の確保の必要から東南アジアに進出することです。これがついにはアメリカを怒らせることになりました。太平洋戦争です。これは1941年。満州事変の1931年からちょうど10年後ですね。【時期】
 この戦争は知ってのとおり,アメリカに原爆を落とされ,1945年に日本の降伏で幕を閉じます。1945年は第二次世界大戦の終戦の年でもあります。【時期】 
   
13 戦後,〔 ① 〕に占領された日本は,1951年の〔 ② 〕条約で独立を達成したが,同時に〔 ③ 〕条約を結び,アメリカ軍の日本駐留を認めた。
①GHQ  ②サンフランシスコ平和  ③日米安全保障
   戦後,日本はアメリカ軍を中心とするGHQという組織に占領され,軍国主義を一掃し,民主主義の国づくりを求められます。

 一方,世界では新たな対立がはじまりました。冷戦です。アメリカを中心とする資本主義諸国とソ連を中心とする社会主義諸国との対立ですね。この戦火を交えない対立が実際に戦火を交える戦いとして表れたのが1950年の朝鮮戦争です。
 朝鮮半島は日本の敗戦とともに独立しましたが,北部はソ連が占領し,社会主義国として独立。今の北朝鮮です。南部はアメリカが占領し,資本主義国として独立。今の韓国です。この2つの国が半島統一のため同じ民族どうしでケンカになった。
 当時の東アジアをみわたせば,北に大国のソ連,中国・モンゴル・北朝鮮と社会主義国のたまり場となっていました。このまま韓国が敗れれば,日本も社会主義にとりこまれかねない。そこでアメリカは1951年,日本を自分の子分として独立させるためサンフランシスコで,そのための条約を結びます。サンフランシスコ平和条約です。日本独立の条約ですが,これこそが太平洋戦争の講和条約なのです。この条約を締結してはじめて正式に戦争が終結したのです。1945年は,戦闘が終結した年です。戦争がはじまったのが1941年ですから,そのちょうど10年後となります。【時期・流れ】
 1931年:満州事変→1941年:太平洋戦争→1951年:サンフランシスコ平和条約
ここまてが大きなまとまりです。
 さてアメリカが日本を独立させた理由は,もう1つあります。日本に武力をもたせず,日本に武力を維持させる。どういうことか?簡単です。日本自体をアメリカ軍基地にしてしまうことです。そこでサンフランシスコ平和条約を結ぶと同時に,日米安全保障条約を結んで,アメリカ軍の日本駐留を認めさせました。この2つの条約は必ず【セット】でおぼえましょう。表裏一体の条約です。これも必ず一方から一方を問います。
   
14 〔 ① 〕年,〔 ② 〕がはじまると日本の経済は戦前の水準に回復した。その後,1960年代を中心に〔 ③ 〕がおこり世界有数の経済大国となった。
①1950  ②朝鮮戦争  ③高度経済成長
   1951年のサンフランシスコ平和条約から本当の日本の戦後がはじまります。まず朝鮮戦争を戦うアメリカ軍を援助するために現在の自衛隊となる組織をつくります。そしてアメリカ軍からのさまざまな物資の注文が増え,日本の生産力が戦後の水準にまで回復します。
 そして朝鮮戦争後からさらなる経済成長がはじまりました。高度経済成長です。長期にわたる経済成長ですが,主に1960年代ですので,1960年代といえば高度経済成長,高度経済成長といえば1960年代とすぐに出てくるようにしておきましょう。【時期】その象徴は東京オリンピックです。 
   
15 1973年第四次中東戦争をきっかけに〔 ① 〕がおこると,高度経済成長は終わった。1980年代後半になると,地価や株価の上昇などで〔 ② 〕とよばれる好景気となったが,1990年代のはじめには再び景気は後退した。
①石油危機  ②バブル(経済)
   高度経済成長を終結させた石油危機は戦後史の最重要事項の1つです。必ず年代もおぼえて下さい。【時期】これで一気に日本経済は停滞しますが,平成時代となったはじめ,バブルとよばる未曾有の好景気を迎えます。どんどんまるで泡のようにお金がお金を生む様子から「バブル(泡)」とよばれました。しかし泡ははじけてなくなるものです。平成時代はとたんにバブルがはじけ長くて暗い不景気時代へと突入したのです。 

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