歴史 第6回 テーマ史① 基礎編

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外交史

1~3…弥生時代    4…古墳時代    5…飛鳥時代    6…飛鳥~平安時代
7…平安時代    8…鎌倉時代    9~11…室町時代    11…安土桃山時代
12~15…江戸時代    16~17…明治時代    18…大正時代    19…昭和時代(戦前)
20…昭和時代(戦後)

1 弥生時代,〔 ① 〕・〔 ② 〕・〔 ③ 〕が大陸から伝わった。
①稲作  ②青銅器  ③鉄器  ※順不同
   弥生時代,この3つは絶対に【セット】で。
   
2 弥生時代の1世紀,(日本)の〔   〕国は中国のに使者を送り,その皇帝から金印を授かった。
奴(な)
   当時,日本は記録を残すことができる文字を持ちませんでしたから,当時の様子は中国の歴史書に頼るしかありません。「」とは中国からみた日本の呼び名です。「倭」,つまり日本の中の「」という国がに使者を送り,漢の皇帝から金印を授かったと中国の記録に残っているのです。ポイントは,
・日本と最初に交流をもった中国の王朝は漢である。【歴史的意義】
・奴国は福岡県にあった小国の1つである。
【位置】 
・「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」と刻まれた金印。
【史料】
 金印に刻まれた「倭」の字が,「委」となっているのはいろいろな説がありますが,気にする必要はありません。めったにこれを書いて答えなさいという問題は出ません。
   
3 弥生時代の3世紀,〔 ① 〕の女王:〔 ② 〕が中国の〔 ③ 〕に使者を送ったことが〔 ③ 〕志倭人伝に書かれている。
①邪馬台国  ②卑弥呼  ③魏
   奴国と邪馬台国を混乱しないようにしましょう。【比較】共通点はともに弥生時代であること。【時代区分】
・奴…福岡県,漢に使者→「漢委奴国王」の金印
・邪馬台国…北九州説と近畿説(わからない),魏に使者
→「親魏倭王」の称号⇒《応用編》 
   
4 古墳時代には,朝鮮半島から〔   〕が日本に技術や文化を伝えた。
渡来人
   古墳時代の朝鮮半島の様子をおさえておきましょう。4世紀ごろ朝鮮半島には,4つの国や地域があった。まずは位置と名前をおさえる。【位置】⇒《第10回 史料・地図》
 次にこの4つの国をグループ分けしておきます。日本と友好関係にあった国と交戦した国です。百済と加羅の2つとは非常に仲がよく,関係が深かった。一方高句麗と新羅とは日本は戦ったことがあります。このように大きくグループ分けした状態で基礎編では頭に入れておく。 
   
5 聖徳太子は,小野妹子らを〔   〕として中国に派遣した。
遣隋使
   「聖徳太子」と出れば「隋」,「隋」と出れば「聖徳太子」。【時代区分・時期】「隋」は基礎レベルでは聖徳太子のとき以外に出現しません。それだけに確実に得点したい。  
   
6 7世紀から9世紀にかけて,日本は〔   〕を派遣して進んだ政治・文化を取り入れようとした。
遣唐使
   聖徳太子が終われば「唐」です。「唐」と答えてよいのは,聖徳太子のあとから「894年」までです。【時期】894年は「白紙(ハ・ク・シ)に戻す遣唐使」 とおぼえればよい。
   
7 平清盛は中国の〔 ① 〕と貿易をおこない,現在の〔 ② 〕の港を開いた。
①宋  ②神戸
   唐の次に中国が出てくるのは,平安時代後期の平清盛のころです。平清盛の日宋貿易は非常によく出る問題の1つ。港は大輪田泊(おおわだのとまり)と書かれていることがありますが,現在の神戸とおぼえておけばよい。【位置】
   
8 鎌倉幕府8代執権:北条時宗は,元による二度の攻撃に立ち向かった。この事件は〔   〕とよばれている。
元寇
    
9 室町幕府3代将軍:足利義満は,中国の〔 ① 〕と貿易をおこなった。この貿易は〔 ② 〕(海賊)と区別するために合札:〔 ③ 〕が用いられたため〔 ③ 〕貿易とよばれている。
①明  ②倭寇  ③勘合
   平清盛の日宋貿易に対して,足利義満の日明貿易【比較】しておぼえてましょう。義満がはじめた日明貿易は,勘合というアイテムを用いたため勘合貿易ともいいます。「勘合」とは割り符のことです。文字が書かれた紙を真ん中で切断して,一方を明が,一方を日本が保管します。(通し番号がふられていて何枚もあります。)貿易船にはこの紙(勘合)を正式な貿易船であるという証明書としてもたせ,明の港に着いたら明が保管している紙と照らし合わせます。

 ではなぜこのような証明書が必要だったかというと,倭寇と区別するためです。倭寇とは当時の海賊。勘合を使用した理由を問われますので,「正式な貿易船と倭寇を区別するため。」と答えられるようにしておきましょう。【説明】
   
10 1543年,〔 ① 〕に漂着した〔 ② 〕人が鉄砲を日本に伝えた。また1549年スペイン人の〔 ③ 〕が鹿児島にキリスト教を伝えた。
①種子島  ②ポルトガル  ③(フランシスコ=)ザビエル
   ポイントがいくつかあります。まず鉄砲・キリスト教が伝わったのが,室町時代であるということ。これがわからない人が多い。まずはここからです。【時代区分】
 次にそれぞれが伝わった場所。ともに鹿児島県ですが,できるだけ正確におぼえておきましょう。【位置】 
 もう1つ。それぞれを伝えた国です。ザビエルがキリスト教を伝えたことは,たいていの人がおぼえていることです。ところがザビエルはどこの国の人かを問うと,とたんに答えられない。これは地理の問題とも関連してきますが,ザビエルが大事じゃないんだ。ザビエルの出身国が大事なんだ。【落とし穴】
 まず前提として,この時期,世界にさきがけて大航海に乗り出して世界にキリスト教を広めようとした国がスペインとポルトガルであったことをおさえておきましょう。スペインとポルトガルの2国は位置もくっついているし,いつも仲良く【セット】ででてきます。
 ではどちらが何を伝えたか?まちがわずにおぼえる方法は,「ぽ」が「ぽ」,「す」が「す」とおぼえます。何をいっているのかわかりますか?「てっぽう」は「ぽるとがる」,「きりすと教」は「すぺいん」。もうわかりましたか?「ぽ」の字がある方が「ポルトガル」,「す」の字がある方が,「スペイン」。よって「ぽ」が「ぽ」,「す」が「す」です。これで絶対まちがわない。【比較】
   
11 戦国時代の末期から安土桃山時代にかけて,スペイン人・ポルトガル人との貿易を〔   〕貿易という。
南蛮
   
12 江戸時代はじめ,幕府は正式な貿易船に許可証をもたせて東南アジアで貿易をおこなった。これを〔   〕貿易という。
朱印船
   江戸時代は鎖国を強調しておぼえるので,朱印船貿易は忘れやすい。鎖国までは江戸幕府も貿易をおこなっていた。【落とし穴】
 ただしこの貿易の行き先は東南アジアであたったことが大切です。東南アジアにはヨーロッパ人が拠点を置いて活発に貿易をおこなっていましたから,彼らと貿易するためです。
 もう1つ大事なのは,朱印状という許可証を持たせたことです。この理由は勘合貿易と同じです。「倭寇と区別するため」です。
 朱印状とは朱色(赤色)のハンコがおされた書状です。今でもハンコは赤い朱肉をつけておしますね。あれです。そもそも朱印船貿易に限らず,大切な書面には大名の朱印が押されていた。 「確かに~を認めましたよ。」というときには朱印を押したのです。
   
13 江戸幕府3代将軍:徳川家光は,貿易相手を〔 ① 〕と〔 ② 〕に限った。〔 ② 〕とは長崎の〔 ③ 〕で貿易をおこなった。これを〔 ④ 〕という。また朝鮮からは将軍がかわるごとに〔 ⑤ 〕が派遣された。
①中国  ②オランダ  ③出島  ④鎖国  ⑤(朝鮮)通信使 
   いずれも大切な語句です。完璧におぼえたい。また鎖国を完成させた将軍が3代:家光であることもおぼえておきたいですね。鎖国と参勤交代,家光の重要事項です。
出島図(堺市博物館)
 
現在の出島跡
   
14 1853年にアメリカの〔 ① 〕が浦賀に来航すると,翌年幕府は〔 ② 〕を結んで開国した。
①ペリー  ②日米和親条約
   ペリーの来航地:浦賀神奈川県であることが重要。 【位置】
現在の浦賀港
   
15 1858年大老:〔 ① 〕が〔 ② 〕を結ぶと,〔 ③ 〕・〔 ④ 〕という不平等な内容であったため国内で幕府に対する不満が高まった。
①井伊直弼  ②日米修好通商条約  ③治外法権(領事裁判権)を認める  ④関税自主権がない ※③・④は順不同
   高校入試で「大老」といえば,井伊直弼一人で結構です。③・④は「を認める」・「がない」までで一語だと考えて下さい。
 「治外法権を認める」とは「外国人は滞在国の法の外にある」ということ。つまり外国人の犯罪は滞在国の法ではなく外国(出身国)の法で裁くわけです。逆にいえば日本でおこったことなのに日本の法では裁けない。また領事裁判権といういい方もあります。領事とは,外国から派遣された当地の責任者です。領事裁判権とは,領事に判断(裁判)を任せるということ。正確には2つの意味はイコールではありませんが,結果的には同じこと(領事が裁判で適用するのは外国の法律)になるので,どちらを書いても正解とします。
※「治外法権」は外国の法律すべてについていいます。すべてですから犯罪だけでなく,行政・民事あらゆる分野で外国の法律を適用することをいいます。治外法権の1つに領事裁判権があるという感じ。ここでは正確には領事裁判権となるのですが,広い意味では治外法権でもよい。このサイトでは「治外法権」の語句を主として使用します。
 ではなぜ私が「領事裁判権」ではなく,「治外法権」という語句で授業をするかというと,現在の国際社会において領事裁判権という制度・語句は使用されていないからです。しかし治外法権という制度や語句は,ここで学んでおくと将来,君たちの役に立つことがあるかも知れません。ニュースで聞いたり,ひょっとして外交の職に就く人がいるかも知れない。「領事裁判権」を知っていて「治外法権」を知らないより,「治外法権」を知っていて「領事裁判権」を知らない方が,社会に出たときに君たちの役に立つ。

 「関税自主権がない」とは,外国からの輸入品に関税をかけることができないという意味。関税とは輸入品にかけられる税。外国からの安い輸入品が国内に入ってくることで,国内産業が打撃を受けるような場合,外国商品に税を上乗せすることで,国内製品との差をなくそうというものです。つまり国内産業の保護のために課す税です。これがかけられないということは,外国製品がよく売れるということになり,国内産業が衰退するということを意味します。
 これら2つの不平等にな内容は,ヨーロッパ諸国が植民地政策を進める常套手段なのです。 
   
16 明治時代になると,不平等条約を改正するため,〔   〕が欧米に派遣されたが,改正に成功したのは明治末期になってからのことであった。
岩倉具視 
   条約改正とは,「治外法権を認める」・「関税自主権がない」を改正して,欧米と対等な関係になるということ。「治外法権」は認めていたので,改正するとは「撤廃」するということ。「関税自主権」はなかったので,改正するとは「回復」するという言葉を使います。
 治外法権の撤廃は日清戦争のころ関税自主権の回復は日露戦争後と,日清・日露戦争とあわせておぼえておくのがよい。するとだいたいの時期がわかりますね。日清戦争は1894年,日露戦争は1904年でした。およその時期をまず頭にいれておくことです。【時期】 
17 大日本帝国憲法は〔   〕の憲法を参考に制定された。
ドイツ 
   なぜドイツの憲法を参考にしたか?よく問われる問題です。「君主権が強かったから。」と答えられるようにしておきましょう。「君主」という言葉が使えるといいね。【説明(理由)】
 「君主」とは,その国を治める国王・皇帝など,日本では天皇をひっくるめたいい方です。日本は天皇を国の中心として明治国家をつくってきたわけですから,天皇の権限の強い憲法をつくりたかった。それには同じ君主権の強いドイツの憲法がピッタリだった。 
   
18 〔 ① 〕に対抗するため,日本は日露戦争前にイギリスと〔 ② 〕を結んだ。このため第一次世界大戦ではイギリスを助け〔 ③ 〕と戦った。
①ロシア  ②日英同盟  ③ドイツ 
   日英同盟は「ロシアに対抗するため。」に結ばれた。理由が問われるとともに,時期も重要です。【時期・説明(目的)】日露戦争の前でないといけない。ここでも日露戦争の年を基準としておさえればよい。 
   
19 第二次世界大戦がはじまると,日本は〔   〕・ドイツと軍事同盟を結んだ。
イタリア 
   第一次世界大戦は日英同盟を結んでドイツと戦った。第二次世界大戦は日独伊三国同盟を結んで,イギリス・アメリカと戦った。【比較】ドイツは両大戦とも敗戦国です。 
   
20 戦後,〔 ① 〕でソ連と国交を回復すると日本は〔 ② 〕への加盟が認められた。
①日ソ共同宣言  ②国際連合 
   よく問われますね。日ソ共同宣言日本の国連加盟。必ず【セット】にしておくこと。どちらかからどちらかが問われます。 

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