歴史 第7回 テーマ史② 基礎編

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社会・経済史

1…旧石器時代・縄文時代    2…弥生時代    3…飛鳥時代    4…奈良時代
5…平安時代    6~8①…鎌倉時代    8②~10…室町時代    11…安土桃山時代
12~15…江戸時代    16~17・19…明治時代    18…大正時代    19~20…昭和時代(戦後)

1 旧石器時代・縄文時代の社会は,狩猟や採集で得た食物をみんなで分け合う〔   〕な社会であった。
平等
   旧石器時代と縄文時代は平等な社会であったという点で共通しています。 【比較】
   
2 弥生時代に稲作がはじまると,作物は〔 ① 〕に保存され,〔 ② 〕の差が生まれた。佐賀県の〔 ③ 〕遺跡には集落の周りに堀があり,争いがあったことがわかる。
①高床倉庫  ②貧富  ③吉野ヶ里
   弥生時代,農業のはじまりと同時に貧富の差身分の差が生まれます。農作物の生産は狩猟・採集生活とは桁違いの人口を支えることができますから,集落の規模も縄文時代よりずっと大きくなり,土地をめぐる争いがおこりました。その証拠の1つが吉野ヶ里遺跡の集落を囲むです。 
   
3 7世紀,大化の改新がおこると,すべての土地と人民は国家の所有となった。これを〔   〕という。
公地公民
   公地公民班田収授につながり,班田収授は租庸調の税制につながります。 
   
4 8世紀,奈良時代の聖武天皇開墾した土地の私有を認める〔 ① 〕を制定した。これによって生まれた私有地を〔 ② 〕という。
①墾田永年私財法  ②荘園
   土地の私有を認めたということは,公地公民ではなくなったということを意味します。公地公民は天皇を中心とする律令制の基盤ですから,荘園(私有地)が誕生したことは,天皇の権力が次第に衰退していくことを意味します。【歴史的意義】
   
5 平安時代,〔 ① 〕氏は多くの荘園を所有し,勢力を強めた。一方地方では土地を守るため農民が自ら武装し,武士となるものが現れた。10世紀におこった〔 ② 〕の乱(関東地方)や〔 ③ 〕の乱(瀬戸内海)は武士の反乱である。
①藤原  ②平将門(たいらのまさかど)  ③藤原純友(ふじわらのすみとも)
   天皇の権力が衰退する一方で,多くの荘園を所有する貴族が力を蓄えていきます。その代表が藤原氏でした。また土地の所有は,土地をめぐる争いにつながります。これは人類の宿命ですね。自分の土地を守るために自衛した農民を武士といいます。武士と兵士の違いは,自ら戦う覚悟を決めたもの(=武士)と戦うことを強制されたもの(=兵士)の違いです。
 よく例に出される言葉が「一所懸命」ですね。これは武士の言葉です。「1つの場所(土地)に命を懸ける」で「一所懸命」。
 さて武士はやがて大きな集団へと発展します。武士団とよばれ,中には朝廷に反抗するものも現れました。その代表例が平将門藤原純友です。当然朝廷はこれを鎮圧するために「兵士」を派遣しますが,「兵士」と「武士」ではその覚悟が違います。力の差は歴然でした。役立たずの朝廷の「兵士」にかわってこれらの乱を鎮めたのも「武士」でした。反乱をおこしたのも武士なら,鎮めたのも武士。10世紀に同時期におこった2つの乱は,武士の力を朝廷に認めさせたという意味で重要な出来事なのです。【歴史的意義】
 ポイントはまず,武士のおこりと2つの乱は中央で摂関政治がおこなわれていたころであるという点。【時期】中央政治の怠慢が,武士の成長を促した。次にこの2つの乱がおこった地域がよく問われます。【位置】 
   
6 鎌倉時代,将軍と御家人は〔 ① 〕(将軍が御家人に土地を与える)と〔 ② 〕(御家人が将軍のために戦う)の主従関係を結んでいた。このような社会制度を〔 ③ 〕制度という。
①御恩  ②奉公  ③封建
   武士の社会は土地が基盤となっています。「土地を仲立ちとした御恩と奉公の主従関係。」これを封建制度(社会)といいます。【説明(内容)】「封」は土地を意味する言葉です。武士はなぜ戦うのか?それは簡単にいうと土地のためなのです。これは今の社会に例えるとお金にあてはまります。働いたら,お金(お給料)がもらえる。武士の仕事とは戦うことです。戦うという労働をおこなえば,お給料として土地がもらえる。この関係が崩れるとき,その社会も崩壊します。
 鎌倉幕府が滅びるきっかけとなったのは,元寇で戦った御家人が,幕府から御恩(恩賞)をもらえなかったからです。 
   
7 鎌倉時代,各国の警備のために〔 ① 〕が,各土地の管理のために〔 ② 〕が派遣された。室町時代になると〔 ① 〕が勢力を拡大して〔 ② 〕を支配し,〔 ③ 〕とよばれる領主があらわれた。
①守護  ②地頭  ③守護大名
   守護は国に地頭は荘園に派遣された。【比較】室町時代になると守護が地頭を支配するようになり,土地の管理権も手にするようになります。このような守護は守護大名とよばれました。「名(みょう)」とは土地を意味する言葉です。「大名」とは「大きな(広い)土地を支配するもの」という意味。 
   
8 鎌倉時代には〔 ① 〕が,室町時代には〔 ② 〕が使用され,定期市がにぎわった。また室町時代には〔 ③ 〕・酒屋など高利貸しを営むものがあらわれた。
①宋銭  ②明銭  ③土倉
   宋銭・明銭は,日宋貿易・日明貿易(勘合貿易)で輸入したものを使用していました。【比較】日宋貿易は平安時代末期に平清盛によってはじめられましたが,鎌倉時代にも引き継がれます。 
 室町時代になると土倉・酒屋などが高利貸しを営むようになります。高利貸しとは,銀行のようなものと考えればよい。お金を借りるところです。ということはお金をたくさんもっているということで,一揆では襲撃の対象となったことを理解しておきましょう。【説明(理由)】
   
9 室町時代には農民が村々で自治組織:〔 ① 〕を形成して村の行事を自ら運営した。さらに力をもった民衆の中には領主に対して反乱をおこすこともあった。これを〔 ② 〕という。
①惣  ②一揆
   「惣=農村の自治組織」は,室町時代を示す語句として非常によく出される。一揆という単語も室町時代以前には使わなかった語句だと思って下さい。「一揆」とあれば,少なくとも室町以降だと。
 「一揆」の「揆」は,「はかりごと」の意味。つまり計画です。「一揆」で「計画を1つにすること」。「一致団結」ぐらいの意味です。入試で問われる室町時代の一揆は次の3つです。 
   
10 1428年,近江(おうみ)(滋賀県)で運送業を営んでいた〔 ① 〕が徳政令を求めて一揆をおこした。これを〔 ② 〕という。1485年には山城(京都)の国一揆,また1488年には加賀国(石川県)浄土真宗の信者が自治を求めて〔 ③ 〕をおこした。
①馬借  ②正長の土一揆  ③一向一揆
   これら3つの一揆はまず,おこった時期が大切です。15世紀とおぼえておこう。【時期】正確な年代は必要ありません。ただし15世紀といえば,1467年応仁の乱も15世紀ですね。この年代は正確におぼえなければなりませんでした。これと併せて15世紀は戦乱の世紀というイメージをもっておきましょう。
 次に,それぞれがおこった場所が大切です。旧国名とともにおぼえるのがベストです。
 一揆の内容については正長の土一揆と加賀の一向一揆の2つが重要です。正長の土一揆の馬借とは当時の運送業者。馬を使うのでこうよばれた。土一揆とは主に徳政令を要求する一揆です。一向一揆は一向宗の信者がおこしました。一向宗とは浄土真宗のことであることもおぼえておきましょう。 
   
11 豊臣秀吉は全国の土地を測量し,収穫高を〔 ① 〕であらわす〔 ② 〕をおこなった。
①石高(こくだか)  ②太閤検地
   豊臣秀吉は全国を統一し,関白にまで昇りつめた人物です。当時の日本全土を治めることを天皇から任されたわけです。現在でいうと首相ぐらいの感じ。こういった人物が責任をもってやらなければならないことは国内の安全と税の徴収です。
  国内の安全を守り,平和な世の中にするため秀吉はまだ自分に従わない大名たちに戦いをやめるように呼びかけ,従わないものをやむを得ず討伐しました。そして農民には刀狩を実施し,反乱・一揆をおこさせないようにします。【説明(理由)】
 そして税を確実に徴収するために検地をおこないました。【説明(理由)】検地は文字通り「土地を検査する(調べる)こと」です。これまで各地の戦国大名ごとにおこなっていましたが,これを秀吉は全国的におこないます。関白を引退したものは太閤とよばれたことから,秀吉の検地を太閤検地というのです。
 しかし土地の広さ・収穫高など単位も各地域によって異なっていたため,正確に把握することができなかった。そこで秀吉は全国の度量衡(さまざまな単位)を統一しました。土地の面積を測り,その土地のよしあしを決め,この土地ならどけだけの収穫量があるかや耕作者を記録します。収穫高は「~石」という単位で表します。これが石高で,米の生産高です。米がとれないような場所でも生産物をすべて米に換算して石高で表しました。
 具体的に「1石」とはどのぐらいの量かというとだいたい「1年間に1人の人間を養うことができる量」です。1日1人2合半の米を食べると仮定すると,1合は150gですから,1日375gの米を食べます。これが365日ですから,およそ137㎏の米を食べることになります。1石は重さにしてこれに近く,150㎏です。
 100万石の領地とは,その土地では1年間に100万人の人を養えるということを意味します。そしてこの石高をもとに年貢率をはじきだした。この方法は江戸幕府に引き継がれ,幕府を支える基盤となりました。
   
12 江戸時代,各地の大名が治める領地は〔   〕とよばれた。
   あまりむずかしく考えず,現在の県にあたるものだと思って下さい。ただ当時は300ぐらいの藩があった。大名は各藩の統治を江戸幕府から任されていました。 
   
13 江戸時代,もっとも人口が多かった身分は農民で,御触書などによって生活をきびしく取りしまられた。また年貢の納入・犯罪について連帯責任を課す〔   〕の制度が実施された。
五人組
   約80%(80%以上)が農民でした。江戸時代から農民を百姓とよぶようになりました。百姓は江戸時代まではさまざまな業種の人をひっくるめたいい方でしたが,江戸時代から商人や職人など身分や職業が区別され,固定されていくと,百姓=農民とよばれるようになった。
 したがって百姓という語句がでてきたら江戸時代と考えて下さい。五人組も江戸時代用語。【時期】 
   
14 江戸時代,農民がおこした一揆を〔 ① 〕といい,都市の貧民がおこしたものを〔 ② 〕といった。
①百姓一揆  ②打ちこわし
   ここはよくまちがうところです。注意が必要です。
 まず百姓一揆打ちこわしは,主語が異なります。13の解説で江戸時代,百姓=農民ですから,農民(農村)がおこした反乱は百姓一揆です。打ちこわしは都市部で発生し,都市の貧民による家屋破壊です。【比較】
 さてここで打ちこわしの問題文によく出る「米屋を襲った」という文句です。「米」という言葉に飛びついて「米騒動」と答えてはいけません。米騒動は大正時代の出来事です。時代が全然違う。よく問題をみきわめて,落ち着いて答えて下さい。【落とし穴】 
   
15 江戸時代におこった大規模な反乱には,1637年に九州地方キリスト教徒がおこした〔 ① 〕や1837年に大阪でおこった〔 ② 〕の乱などがある。
①島原天草一揆  ②大塩平八郎
   江戸時代におこった代表的な反乱の2つです。共におこった場所が重要です。【位置】またそれぞれの反乱は何と関係あるかを理解しておいて下さい。
 島原天草一揆は,キリスト教徒(キリシタン)を中心とした一揆です。これがおこるのは幕府の禁教政策とその結果。鎖国の時期,1630年代です。【時期】
 大塩平八郎の乱天保の大ききんです。【セット・時期】その後,水野忠邦によって天保の改革がおこなわれた。 
   
16 1873年,明治政府は地価の〔 ① 〕%を現金で土地所有者が納める〔 ② 〕を実施した。 
①3  ②地租改正 
   地租改正とは年貢(米)による納税から現金による納税へと改正したことでした。ポイントは税率と土地所有者が支払うという点です。 
   
17 日清戦争後の下関条約で得た賠償金をもとに〔   〕が建設され,日本の産業革命が発展した。
八幡製鉄所 
   八幡製鉄所は下関条約の賠償金でつくられたという点。つまり操業したのは日清戦争と日露戦争の間ということになります。明治時代の1894年と1904年の間ですね。時期の問題がよく問われる。【時期】
 また日本の産業革命は日清戦争ごろにおこり(軽工業)日露戦争のころに発展(重工業)した。【比較】 
   
18 第一次世界大戦がおこると輸出が増加し,〔   〕とよばれる巨額の利益を得るものがあらわれた。
成金 
   「成金」という言葉は,将棋というゲームが由来です。将棋には「歩」という弱い駒があります。しかしこの駒は相手陣地に入ると「金」という強い駒に変身するのです。これを「金に成る」から「成金」といいました。一気に大金持ちになった人のことをいいます。
 ではそのきっかけは何かというと,第一次世界大戦期の好景気です。大戦景気に乗じて急激に裕福になった人を指していうのです。したがってテストで「成金」と答えてよいのは,大正時代限定です。【時期】何とよくまちがうかというと「財閥」です。
 そこで次のグラフがよく出題されます。

【近現代日本経済史要覧】
以下の点を理解しておきましょう。
・「1914年=第一次世界大戦の始まり」を導き出せるかどうか。
このころから輸出が輸入を上回ったこと。(グラフのどちらが輸出・輸入かを理解できているか)
・輸出が大きく伸びた原因が「第一次世界大戦によってヨーロッパ諸国が植民地としていたアジア・アフリカへの輸出が伸びたから」であること。
大戦終結後,ヨーロッパ経済が復興すると再び輸入が輸出を上回り,日本経済は不景気になったこと。
   
19 明治時代から昭和初期にかけて,銀行を中心に日本の産業・経済を動かした大企業を〔   〕という。戦後すぐ〔   〕は解体された。
財閥 
   財閥は日本の産業革命をきっかけに成長した大資本家です。したがって財閥は明治後期,日清戦争ごろから現れる。【時期】成金と比較しておぼえておきましょう。【比較】
 この財閥は昭和初期の不景気にも,耐えることができるほどの財力をもっていました。耐えるどころかどんどん倒産する銀行や企業を吸収して,さらに成長したほどです。親会社である銀行がさまざまな産業の子会社を支配しするのです。
 支配した産業の中には,鉱山・工場など軍事と深く結びついたものもありますから,軍部と密接な関係を築きます。こうして財閥は戦前の戦争を支えた。だから戦後すぐ財閥解体がおこなわれたのです。  
   
20 戦後,政府は〔 ① 〕の土地を小作人に安く売りわたし〔 ② 〕を増設した。これを〔 ③ 〕という。 
①地主  ②自作農  ③農地改革 
   地主の多くは財閥の株主となっていました。つまり地主が財閥を支えていたのです。また地主の下で働く小作人は,小作料(土地レンタル料)を地主に払って耕作させてもらっていました。小作人の生活は貧しく,特に小作人家庭の次男ともなると食べていくのも精一杯でした。彼らは軍隊に入ることで家族や自分自身を助けていたのです。軍隊に入れば食いぶちに困りません。
 つまり地主・小作人の制度が日本の軍国主義を支えていたのです。よって財閥とともに解体しなければならない。これが農地改革です。農地改革によって増設された農民は自作農といいます。自分の土地をもち,自分で耕作する農民です。 
 農地改革はその内容を【説明(内容)】させる問題がよく出題されます。

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