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縄文時代には,厚手で黒褐色の縄文土器が使用されていた。また女性をかたどった〔 〕とよばれる人形がつくられた。 |
答 |
土偶 |
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同じ人形でも土偶と埴輪は,時代が異なるのできっちりと区別しておきましょう。【史料】土偶は縄文,埴輪は古墳時代です。 【時代区分】
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弥生時代には,薄手で赤褐色の弥生土器が使用されていた。祭器として使用された〔 〕はつりがねの形をした日本独特のものである。 |
答 |
銅鐸 |
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弥生時代に伝わった青銅器は,祭器(祭りや儀式の道具)として使用されました。【説明(目的)】実用的なものではなかったという点が大切。中でも銅鐸は日本独自の形なので,【史料】写真をしっかりとみておきたい。
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銅鐸(東京国立博物館) |
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古墳の周囲に埋められた人形を〔 〕といい,円筒形のものや人・家・馬などをかたどったものもある。 |
答 |
埴輪 |
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〔 ① 〕世紀には漢字・儒教が,〔 ② 〕世紀には仏教が日本に伝えられた。 |
答 |
①5 ②6 |
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儒教と仏教の伝来には少しずれがあります。仏教伝来の世紀の方が重要ですので,そちらを基準に儒教はその前と考えて下さい。【時期】儒教は孔子の教えをまとめた『論語』が伝えられるわけですが,当然漢字で書かれています。よって儒教と漢字は【セット】で伝えられます。 |
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聖徳太子のころの文化を〔 ① 〕文化といい,聖徳太子が建立した〔 ② 〕は現存する最古の木造建築物で世界遺産に登録されている。 |
答 |
①飛鳥 ②法隆寺 |
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ここから時代と文化の名前を【セット】でおぼえていかなくてはなりません。まず飛鳥時代は飛鳥文化で,時代と文化の名前が同じです。聖徳太子の法隆寺に代表される日本で最初の仏教文化であったという点をおさえておきましょう。【歴史的意義・史料】
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法隆寺五重塔 |
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奈良時代,聖武天皇のころの文化を〔 ① 〕文化といい,〔 ② 〕には聖武天皇の遺品が収められている。 |
答 |
①天平 ②正倉院 |
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奈良時代といえば聖武天皇でした。このころの文化は天平文化。奈良文化とはいいません。東大寺の宝物庫:正倉院におさめられている天皇の遺品にみられ,唐(中国)だけでなく,シルクロードによってもたらされた西方のさまざまな国の文化の影響をみることができます。【史料】そこでよく使われる文句が「国際色豊かな」というもの。
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東大寺大仏 |
そのほか,歴史書の『古事記』・『日本書紀』,歌集の『万葉集』,各地の地名の由来や伝承をまとめた『風土記(ふどき)』といった書物が【時代区分】の問題の中に現れます。 |
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平安時代のはじめ,〔 ① 〕は〔 ② 〕を開き,比叡山に延暦寺を建立した。〔 ③ 〕は〔 ④ 〕を開き,高野山に金剛峰寺を建立した。 |
答 |
①最澄 ②天台宗 ③空海 ④真言宗 |
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仏教の修派については,平安時代に3つ,鎌倉時代に6つ合計9修派と問われます。平安時代ではその初期(桓武天皇のころ)に天台宗と真言宗,中期(摂関政治のころ)に浄土信仰が広まります。【時期】
天台宗と真言宗はそれぞれの開祖(開いた人物)を正確に【セット】でおぼえて下さい。どちらがどちらか迷ったときには天台宗の方をこうおぼえて下さい。「ひえ~(比叡山),最澄,何いってんだい(天台)!」。
浄土信仰とは,浄土に生まれ変わることを願う信仰です。浄土とは天国のことだと思って下さい。浄土にいくには,阿弥陀仏という仏さんにお願いするのです。どうやってお願いするかというと「南無阿弥陀仏」と唱えればよい。これを念仏といいます。「南無」とは「すがる」という意味。「阿弥陀仏にすがる」ということです。これならだれにでもできますね。
これまでの仏教は,難しいお経を勉強したり,厳しい決まりを守ったり,山で修行をしたり,一部の人間にしか実践できないものでした。それが「南無阿弥陀仏」を唱えればよいんだから簡単です。この教えは日本中,貴族から庶民にまで広まっていきます。貴族の信仰を示す例として藤原頼通の「平等院鳳凰堂」があります。【史料】 |
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894年,〔 ① 〕が廃止され,日本独自の貴族文化が生まれた。この文化を〔 ② 〕文化という。〔 ③ 〕が発明され,〔 ④ 〕(『源氏物語』)や〔 ⑤ 〕(『枕草子』)などの女流作家が生まれた。 |
答 |
①遣唐使 ②国風 ③かな文字 ④紫式部 ⑤清少納言 |
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平安時代の文化名は「国風文化」。奈良時代の天平文化と平安時代の国風文化を確実に答えられるだけでも点数は確実に伸びてきます。絶対にいいかげんに済ませてはいけません。
「国風」とは「日本の風土にあった」という意味。つまり日本独自の文化です。きっかけは遣唐使が廃止されたことです。【歴史的意義】
具体的にどこが国風かというと,よい例が「ひらがな・カタカナ」です。これぞ日本独自のもの。よってまずは文学についてしっかりとおぼえておきましょう。 |
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鎌倉時代の文化は武士の気風を反映して力強く,質素な文化であった。東大寺南大門の〔 ① 〕などにその特徴が表れている。また琵琶法師によって語られた〔 ② 〕など戦乱を描いた物語が書かれた。 |
答 |
①金剛力士像 ②平家物語 |
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鎌倉時代は鎌倉文化といいますが,これが問われることはありません。理解しておかなければならないのは,鎌倉時代から武士の時代がはじまったので,鎌倉文化は武士の文化だということ。「男らしい」イメージですね。「力強い」・「質素・簡素」というイメージです。
「力強い」イメージから東大寺南大門の『金剛力士像』がよく例に出されます。【史料】東大寺南大門も鎌倉時代のものです。(決して東大寺ではありませんよ)寺院は南側に正門をつくるのが普通です。正門ですから,できるだけ立派なものをつくります。東大寺はあの大仏を収める寺院ですから,その南大門として巨大なものがつくられました。これ自体も力強くつくられています。その門の両脇に二体の金剛力士像が安置されています。筋肉隆々で鬼の形相でにらみつけています。
文学も武士らしいものが書かれました。「軍記物」というジャンルです。簡単にいうと「戦記」です。『平家物語』が一番有名ですが,「軍記物」といえば鎌倉時代を思い出しましょう。
「簡素・質素」という意味では,鎌倉時代の仏教は,ますます簡単なものになり,武士や庶民に広まっていきます。 |
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鎌倉時代には新しい仏教が生まれた。親鸞の〔 ① 〕など念仏を唱える浄土教,座禅をくむ〔 ② 〕などがその例である。 |
答 |
①浄土真宗 ②禅宗 |
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平安時代の浄土信仰(浄土教)は法然(浄土宗)・親鸞(浄土真宗)・一遍(時宗)の3人がそれぞの解釈を加えて発展しました。難しいことはおいて,「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えることが共通していますので,ここではそれだけおさえておいて下さい。特に浄土真宗は鎌倉時代だけでなく,のちに一向一揆とつながってくるので,ここでしっかりとおぼえておきたい。
日蓮宗というのもあります。日蓮という人物が開いたから,日蓮宗。浄土教の念仏に対して「題目」を唱えるのが特徴。「題目」とは「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」です。これは念仏ではありませんが,唱えるだけという点で簡単。だれでもできそうです。
禅宗はもはや何かを唱えるということさえしません。おこなうのは「座禅」です。「座禅」を組んで目を閉じ,じっくりとこの世界のことについて考える。すると悟りが開けて,幸せになるんだって。これは実際に体験しないと少しわかりにくい。少しわかりにくい分だけ,浄土教や日蓮宗ほどは広がりませんでした。どちらかというと上流階級の仏教です。禅宗には栄西の臨済宗と道元の曹洞宗があります。
あまり答えを書きなさいという問題は出されません。たいていは時代(鎌倉時代)を問う問題ですから,以上の6人とその宗派の名前が一致するようにだけしておくこと。【時代区分】そして浄土教(念仏),日蓮宗(題目),禅宗(座禅)のグループわけができることが大切。 |
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室町時代,3代将軍:足利義満は〔 ① 〕を,8代将軍:足利義政は〔 ② 〕をそれぞれ建立した。〔 ② 〕は現在の日本の建築様式のもとになった〔 ③ 〕の様式を取り入れている。 |
答 |
①金閣 ②銀閣 ③書院造 |
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室町時代の文化も室町文化としておけばよい。何といっても金閣・銀閣が確実にできるようになっておく。(金閣寺・銀閣寺ではないので注意)また銀閣では書院造も【セット】で。【史料】
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戦国時代には,明で学んだ〔 〕が水墨画を大成した。 |
答 |
雪舟 |
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室町の文化では,雪舟の水墨画,御伽草子(おとぎばなしの意味)ぐらいをおぼえておけば,十分です。ただし11(金閣・銀閣)で落とすなよ。
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安土桃山時代の文化は〔 ① 〕文化とよばれる。南蛮貿易で利益を得た大名や商人の影響を受け,豪華で雄大な文化である。秀吉につかえた〔 ② 〕は茶の湯を大成した。 |
答 |
①桃山 ②千利休 |
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安土桃山時代の文化は,「桃山文化」といいます。「安土」はつけない。お城などの建築物にみられる「豪華・雄大な」文化です。どちらかというと大名や大商人といったお金持ち文化というイメージ。よくお城(姫路城や大阪城)の写真やお城の内部の絵が【史料】として使われます。「お城」といえば桃山文化を思い出す。
人物でいうと千利休。茶の湯(茶道)ですね。とちらかというと上流階級のお遊び。 |
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江戸時代,5代将軍:徳川綱吉のころの文化を〔 〕文化といい,上方(京都・大阪)がその中心であった。 |
答 |
元禄 |
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江戸時代には2つの文化があります。元禄文化と化政文化。ポイントは時期と場所で区別すること。【比較・時期・位置】町人(商人や職人)の文化であることが共通点。
・元禄文化…江戸時代前期(徳川綱吉のころ) 上方(京都・大阪)中心
・化政文化…江戸時代後期 江戸中心
元禄・化政の時期は正確でなくてもよろしい。最初が元禄,あとが化政ぐらいで結構です。場所は元禄が上方中心。この上方(かみがた)といういい方ができるようにしておきましょう。京都・大阪をあわせた呼び名です。化政は江戸中心。「元禄文化」の「禄」の字は,まちがいやすい漢字のトップ10に入る文字です。「衣へん」ではありませんので注意すること。 |
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元禄文化では,〔 〕が紀行文:『奥の細道』を記し,俳諧を大成した。 |
答 |
松尾芭蕉 |
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元禄文化では文学をおさえるのが,得点への早道。特に人物名です。 |
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江戸時代,19世紀初めの文化を〔 〕文化といい,江戸がその中心であった。 |
答 |
化政 |
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化政文化では絵(浮世絵)をしっかりとみておきましょう。特に歌川広重と葛飾北斎の絵です。富士山が描かれているのが葛飾北斎です。【史料】 |
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江戸時代,幕府の学問の中心は〔 ① 〕であった。そのほか西洋の学問を研究する〔 ② 〕や日本古来の伝統を研究する〔 ③ 〕などがあった。〔 ③ 〕者では〔 ④ 〕が『古事記伝』を著している。 |
答 |
①朱子学 ②蘭学 ③国学 ④本居宣長 |
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朱子学は,儒学(儒教)の一派です。身分の秩序を重んじます。よって厳しい身分制度をとった江戸幕府にはうってつけの学問でした。
蘭学の「蘭」はオランダを意味します。鎖国をしていた江戸時代当時,西洋といえばオランダを意味したので,「蘭学」とよばれました。具体的には医学・科学であったことを理解しておきましょう。「蘭」は「竹かんむり」ではありません。書くときに注意。
国学は日本らしさとは何かを追求する学問です。日本の古典を研究するのが特徴です。 |
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明治時代,太陽暦が採用されるなど生活が西洋化したことを〔 ① 〕という。西洋の学問も活発に取り入れられ,〔 ② 〕は『学問のすすめ』を書いて自由・平等などの考えを広めた。 |
答 |
①文明開化 ②福沢諭吉 |
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文明開化とは明治時代の「生活の変化」です。明治維新と区別して下さい。【比較】問題に「生活」とあれば,「文明開化」。例に出されることとして,「太陽暦」,これは1年365日のカレンダーですね。それから「石(レンガ)造りの建築,ガス灯,すき焼き(牛肉),洋服」など。難しい言葉では「散切(ざんぎ)り頭」。これは「ちょんまげを切った髪型」です。
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銀座ガス灯 |
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大正時代を代表する作家には〔 ① 〕がおり,〔 ② 〕文学の名作:『蟹工船』を書いた。 |
答 |
38.小林多喜二 39.プロレタリア |
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大正時代の特徴は「大正デモクラシー」という言葉でした。その中で社会主義の文学も現れた。プロレタリア文学というのが最も特徴的です。「プロレタリア」とは「労働者」を意味します。資本主義社会が資本家側に立った社会なら,社会主義の社会は労働者側に立った社会です。労働者の過酷な仕事環境や生活を題材にとりました。
小林多喜二は社会主義をとりしまる治安維持法によって逮捕され,投獄され,そこで拷問わ受けて亡くなった人物です。 |
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〔 〕方送が始まったのは大正時代である。 |
答 |
ラジオ |
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ラジオ放送も大正時代の説明文によく出される典型的な例です。 |