1 |
〔 ① 〕土器は厚手で黒褐色,〔 ② 〕土器は薄手で赤褐色である。 |
答 |
①縄文 ②弥生 |
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縄文土器も弥生土器も「野焼き」という方法で焼かれた焼物です。現在の焼物とは異なり,ろくろを使って形をつくりません。ひも状の粘土を積み重ねて整形します。形ができたら,ひも(縄)を押しあてて模様をつけます。縄文土器は焚き火の中にそのまま入れて焼きます。そのため温度が一定にならないので焼きむらができます。だから割れやすい。割れやすいので分厚くする必要があります。
弥生土器になると製法は同じですが,焼き方に工夫がみられます。「覆(おお)い焼き」です。焼くときに土器をわらや土で覆ってしまうのです。これによって焼成温度が一定になり,焼きむらがなく硬い土器ができた。硬くつくれるようになったので分厚くする必要がなくなった。色の違いもこの焼成技術の違いからきているようです。
2つの土器の厚さ・色を【比較】しておきましょう。
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縄文土器(東京国立博物館) |
弥生土器(東京国立博物館) |
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2 |
日本独特の古墳の形式として〔 ① 〕があるが,その最大規模のものは仁徳天皇稜とされる大仙(大山)古墳で,〔 ② 〕にある。古墳時代の土器には,渡来人によって伝えられた〔 ③ 〕がある。 |
答 |
①前方後円墳 ②大阪府 ②須恵器 |
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大型の前方後円墳は近畿地方に集中しており,中でも大阪府には最大規模の古墳が点在します。【史料】これら巨大古墳は大王の墓だとされます。古墳のまわりには埴輪が置かれ,その形状には筒状のものや人間・動物・家などをかたどった形象埴輪があります。
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古墳の周囲に並べられた埴輪(埼玉県さきたま古墳群) |
さまざまな形の埴輪(東京国立博物館) |
須恵器という土器は大陸から渡来人が伝えたと考えられており,「ろくろ」や「窯」を使用し,これまでの土器とは異なる製法でつくられています。須恵器は点差がつく語句です。【時代区分・落とし穴】 |
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3 |
6世紀,仏教は〔 〕から伝えられた。 |
答 |
百済 |
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これは必須問題なんだけれども,いつまでもできない人が多い。日本に仏教を伝えた国はどこか?インドとか中国とか答えているようでは話になりません。朝鮮半島の百済です。【落とし穴】
時期も重要です。古墳時代末期から飛鳥時代の境目。少なくとも6世紀であることはおさえておきましょう。漢字・儒教は5世紀です。 |
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4 |
飛鳥時代のうち,聖徳太子のころの文化を飛鳥文化,大化の改新から平城京遷都までの文化を〔 〕文化といい,この文化は唐初期の文化の影響を受けている。 |
答 |
白鳳 |
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「白鳳(はくほう)」というのは,年号なのか時代なのかはっきりしませんが,だいたい中大兄皇子(天智天皇)や天武天皇のころの【時期】をまとめていう表現です。主に文化史で使われる語句で,飛鳥文化と天平文化の移行期にあたります。詳しい内容は必要ありません。文中に使われたときに時期を特定できることと,大切なのはこのころの中国は唐にかわっていますので,隋ではなく唐の文化の影響を受けているということです。 |
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5 |
奈良時代の僧には,社会事業や大仏造営に協力した〔 ① 〕や盲目になりながらも来日し,唐招提寺を建立した〔 ② 〕がいる。 |
答 |
①行基 ②鑑真 |
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行基と鑑真を比較させておぼえてましょう。行基は渡来系だともされますが,日本で生まれているので立派な日本人です。鑑真は唐(中国)から招かれたので,中国人です。問題では「貧民の救済」などの社会事業,大仏造営に協力とあれば,行基。鑑真の場合は「唐(中国)から来た」という内容が必ず書かれているはずです。 |
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6 |
奈良時代,〔 ① 〕・〔 ② 〕といった歴史書や諸国の地名・産物・伝承などを記した〔 ③ 〕,日本最古の歌集である〔 ④ 〕が編纂された。 |
答 |
①古事記 ②日本書紀 ③風土記 ④万葉集 ※①・②は順不同 |
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奈良時代に書かれた書物を4つ。どれが問われてもおかしくありません。すべて完璧にしておきましょう。『古事記』の「記」と『日本書紀』の「紀」は字が異なりますので注意。 |
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平安時代中ごろ,阿弥陀仏にすがって極楽浄土に生まれ変わりたいという人々の願いから〔 ① 〕が広まった。藤原頼通が建立した〔 ② 〕(京都府宇治市)や奥州藤原氏の〔 ③ 〕(岩手県平泉町)は阿弥陀仏を本尊とする阿弥陀堂として有名である。 |
答 |
①浄土信仰 ②平等院鳳凰堂 ③中尊寺金色堂 |
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これも勘違いしやすい問題です。まず浄土信仰と浄土真宗(浄土宗)とは異なります。名前がよく似ているから,まちがいやすいというのもありますが,ここはきっちりと区別すること。浄土信仰が流行したのは平安時代。浄土宗・浄土真宗は鎌倉時代です。【時代区分】
仏教の最終目標は「悟りを開く」ことです。だれにでもできることではありません。悟りを開いて仏になると如来(にょらい)とよぱれます。大日如来・薬師如来・阿弥陀如来,そしてシャカも悟りを開いたとされるので釈迦如来といいます。仏教の世界では最高位にある仏様です。このうち阿弥陀如来(阿弥陀仏)がお住まいなのが極楽浄土です。簡単にいうと「天国」です。阿弥陀仏にすがり,死後,極楽浄土に生まれ変わろうという教えが浄土教であり,その教えを信仰するのが浄土信仰です。
浄土信仰はまず貴族の間で流行しました。藤原頼通の平等院鳳凰堂や奥州藤原氏の中尊寺金色堂はいずれも阿弥陀仏を本尊とする阿弥陀堂です。ともに場所をおぼえておきたい。【位置】 |
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平安時代,かな文字が普及するとさまざな文学が生まれた。〔 ① 〕は『土佐日記』を著し,最初の勅撰和歌集である『〔 ② 〕』を編纂した。 |
答 |
①紀貫之 ②古今和歌集 |
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紀貫之がなぜ重要か?最初にかな文字を使った文学作品を残したとされるからです。【歴史的意義】それはいつのことか?905年の『古今和歌集』です。「905年」となぜわかるのか?それは天皇の命令で編纂されたので,記録として残っているからです。(『竹取物語』も同時期のかな文字作品とされますが,作者はわかっとりません)
『古今和歌集』は最初の勅撰和歌集といわれます。【歴史的意義】単に「わが国最初の歌集」といわれれば,『万葉集』です。「勅撰」というのは天皇の命令によって編纂されたという意味。それが905年。おぼえておくと便利です。【時期】次におぼえておくべき勅撰和歌集は鎌倉時代の『新古今和歌集』。これはちょうど300年後の1205年になります。
『古今和歌集』には序文が書かれており,そこには和歌とは何か,どんな和歌がすばらしいか,などこの歌集を編纂した編者の意図みたいなものが述べられています。この序文には2つあり,仮名序と真名序といいます。「仮名」とは「かな文字」のことで,「真名」とは「漢字・漢文」のことです。当時は公式な記録・文書は「漢字体(漢文)」で書かれ,主に男社会で用いられました。勅撰和歌集は公式なものですから当然漢文で書かれなければいけないところ,『古今和歌集』ではかな文字も併用されたのです。そして仮名序の方を担当したのが,紀貫之でした。
とはいえ,かな文字を公式に男性が使用するのはまだまれな時代でした。こののち,紀貫之は土佐の国司として赴任し,都へ帰国する際の記録を『土佐日記』という作品にまとめますが,その冒頭はこうなっています。「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。(男がするという日記を,女である私もしてみようと思って書くのである)」
不思議な書き出しです。紀貫之は当然男です。しかし『土佐日記』は冒頭から女が主語になっいる。これは紀貫之自身が作品の中で女という立場で書いているのです。1つは当時女性が主に使っていたかな文字を使いたかったということ。1つは客観的に第三者(女)として書きたかったということ。そしてかな文字で書くことで女性読者(ファン?)を意識したのではないでしょうか?そしてその後,宮廷で女流作家が活躍するようになります。 |
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平安時代の貴族は〔 〕の邸宅に住み,男子は衣冠束帯,女子は十二単とよばれる女房装束を身につけていた。 |
答 |
寝殿造 |
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寝殿造とは,「寝殿」とよばれる貴族が住まう住居を中心として,庭を囲むように左右対称にいくつかの建物を配置します。建物と建物は廊下で結びます。1つの建物につき1つの部屋(ワンルーム)です。建物=部屋で,目的別に建てられます。主人の建物(部屋),接客用の建物(部屋),奥様の建物(部屋)など。一般に寝殿造は南が正門になっていて,北側に奥さんの建物(部屋)がありました。そこから妻のことを「奥」とか,「北の方(かた)」とよぶようになったんです。地位の高い貴族の奥様は家のこと(家政)を取りしきることから「北政所(きたのまんどころ)」ともよばれました。
やがて寝殿造が簡素になり,武家造に,建物の中が細かく間仕切りされるようになって書院造が生まれることになります。
平安貴族の服装は,お雛様を思い出せばよい。男子は衣冠束帯とよばれる正装。衣冠と束帯は本来は別の服装で,束帯が公式ユニフォーム。束帯は少し窮屈なので簡略化したのが衣冠。お雛様の男雛は束帯をお召しになっている。
これに対し,女性の正装は女房装束といいました。十二単(ひとえ)ともよばれ,このように表現されることもありますが,当時はこのような言葉はありませんでしたし,12枚も実際に着ていたわけではありません。『源平盛衰記』という本の中で,平清盛の娘が壇ノ浦の戦いで海に身を投げて自殺しようとしたとき「末の事なれば、藤重の十二単の御衣を召れたり。」(巻四三)とあって,これが誤解されたようです。
女房装束は「五衣唐衣裳(いつつぎぬからぎぬも)」が正式な名称,すなわち 「五衣(いつつぎぬ)+唐衣(からぎぬ)+裳(も)」で構成されており,計7枚です。まぁ季節によっては五衣のところが変わるぐらいですね。 |
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平清盛は一門の繁栄祈願のため〔 〕神社(広島県)に経典を奉納した。 |
答 |
厳島神社 |
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平清盛は安芸(広島)の国司であったころから厳島神社に信仰します。【位置】一門の繁栄と海上交易の安全を祈願して自ら写経した経典を奉納しました。現在の社殿の原型は平清盛が造営したもので,寝殿造を神社建築に用いています。 |
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鎌倉時代,武士の住宅様式は〔 〕とよばれ,普段は流鏑馬(やぶさめ)・笠懸(かさがけ)などの武芸に励むとともに農作業にも従事した。 |
答 |
武家造 |
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武家造とはいうものの,貴族の寝殿造を簡素化したものです。館の中では,流鏑馬・笠懸・犬追物などの武芸の鍛錬はかかしませんでした。【史料】いずれも走る馬上から矢を射る練習です。「いざ,鎌倉」といって,いつ何どき召集されても戦える状態にしておかなければなりませんでした。
それと同時に平時は農作業もおこなっていたのが鎌倉時代の武士の特徴です。【落とし穴】 |
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鎌倉時代,東大寺南大門の再建にあたり,門の左右に〔 ① 〕・〔 ② 〕らによる金剛力士像が安置された。 |
答 |
①運慶 ②快慶 ※順不同 |
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鎌倉時代の文学は戦乱の時代を反映して,文学では『平家物語』などの〔 ① 〕が,随筆では『〔 ② 〕』(鴨長明)や『徒然草』(〔 ③ 〕)などが書かれた。いずれも無常観を著している。一方,都では後鳥羽上皇の命で勅撰和歌集である『〔 ④ 〕』が編纂された。 |
答 |
①軍記物 ②方丈記 ③吉田兼好(兼好法師) ④新古今和歌集 |
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『新古今和歌集』が編纂されたのは,1205年。『古今和歌集』の300年後です。チンギス=ハンのモンゴル統一が1206年ですから,このころにもっとも近い日本の出来事といえます。【時期】 |
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鎌倉時代,浄土教が発展し,〔 ① 〕が浄土宗を,親鸞が浄土真宗を,〔 ② 〕が踊念仏を説いて時宗を開いた。また禅宗では〔 ③ 〕が臨済宗を,〔 ④ 〕は曹洞宗を開き,〔 ⑤ 〕は法華経を信仰する〔 ⑤ 〕宗を広めた。 |
答 |
①法然 ②一遍 ③栄西 ④道元 ⑤日蓮 |
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平安時代の浄土教(浄土信仰)に独自の解釈を取り入れて発展したのが,鎌倉時代の浄土教です。発展というのは普及といってもいいでしょう。普及するためには支持されることが必要です。支持されるためにはわかりやすいというのが大切です。鎌倉仏教は浄土教に限らず,わかりやすく実践しやすかったというのが特徴。
まず浄土教の共通点が,阿弥陀仏信仰・浄土信仰であったことを思い出して下さい。死後,浄土に生まれかわるには阿弥陀仏に頼る必要があります。その方法は「南無阿弥陀仏」という念仏を唱えることです。そうすると阿弥陀仏はだれでも助けてくれる。しかーし,そんな楽ちんなことでいいのでしょうか?
法然は,1回より2回,2回より100回,100回より,1000回唱えなさい。100万回唱えれば,往生(極楽浄土にいく)できるだろうといいます。しんどいですね。つまり法然はちょっとは努力しなさいと説いたのです。これが浄土宗。
親鸞は法然の弟子です。親鸞は法然の自力の教えを捨てます。「絶対他力」です。阿弥陀仏を信じさえすれば,だれでも救われると説きました。その教えは「悪人正機説」といういい方もします。「善人なほもて往生を説ぐ,いわんや悪をや」 善人は往生(極楽浄土にいく)するのは当然だ。悪人も往生できないはずはない。(悪人こそ救われて当然なのである。)悪人とは「悪い人間」ですが,ここでは普通の人間だと考えて下さい。仏教では「戒律」というのがあります。「戒律」とは守らなければならない決まり,してはならないことです。この戒律を破ったものが悪人です。例えば,「殺生戒」というものがあります。動物を殺してはなけないというものです。だから昔のお坊さんは精進料理といって,動物の肉を食べませんでした。今でも厳しい戒律を守っているお坊さんは動物の肉を食べません。当然,人殺しはもってのほかです。
ところが普通の人間は,動物を殺してその肉を食べます。これは仏教でいうと悪人になってしまう。ということは世の中は悪人だらけです。そこへ平安時代から武士が登場します。武士は人殺しが仕事といってもおかしくない。世の乱れを正そうとし,これから支配階級になろうとする武士が悪人なんです。そこで親鸞は,戒律を守ろうとする人(善人)は救われて当然。でも阿弥陀仏は,普通の人(悪人)でも救ってくれる。ただ阿弥陀仏のことを信じさえすればよい。そしたらだれでも極楽浄土にいけるよといいました。これが親鸞の浄土真宗です。
一遍の教えも浄土真宗に似ている。一遍の名は「1回」の「一遍」です。1回唱えればよい。法然のように何回も唱える必要はない。しかも阿弥陀仏を信じる・信じないも関係ない。阿弥陀仏の力はどんな人にも及ぶとします。そして諸国を踊念仏といって踊りながら念仏を唱えてまわります。この踊念仏が時宗の特徴といっていいでしょう。
念仏を唱える浄土教に対して,題目を唱えるのが日蓮宗です。題目とは「(南無)妙法蓮華経」のこと。略して「法華経」のことです。開祖の日蓮は法華経というお経に,シャカの正しい教えが書かれていると説きます。法華経こそ救いの道であると。唱えるという点では浄土教と同じですが,信仰の対象がまったく違う。
禅宗の違いは《発展編》で。 |
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15 |
足利義満のころの文化を〔 ① 〕文化といい,公家と武家の文化の融合がみられた。義満の保護のもとに〔 ② 〕が観阿弥・世阿弥父子によって大成された。〔 ② 〕の合間には〔 ③ 〕とよばれる喜劇も上演された。 |
答 |
①北山 ②能 ③狂言 |
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室町幕府は,都のある京都に幕府が置かれた。都には天皇やその取り巻きの公家(貴族)がいますから,「公家と武家の文化の融合」という表現が使われる。
室町文化は大きく義満のころの北山文化と義政のころの東山文化にわけることができます。「北山」・「東山」は都を囲む山のこと。北側を「北山」,東側を「東山」といい,義満を象徴する金閣が建てられた場所が北山なので北山文化。義政を象徴する銀閣が東山に建てられたので「東山文化」とよんでいます。迷ったら「北山(きたやま)・金閣(きんかく)→義満」と頭文字の「き」をあわせておぼえて下さい。
北山文化(義満のころ)では,金閣以外に能が重要です。しかし能は能だけでおぼえていてもダメです。必ず狂言と【セット】にして違いをおさえておくこと。
能は簡単にいうと昔のミュージカルです。今のミュージカルとはずいぶん雰囲気は違いますが,舞台があり,主人公と脇役が登場し,音楽(リズム)にのって,踊りながら会話形式で物語を演ずる。主人公は「シテ」とよばれ,能面とよばれるお面をつけて演舞します。お面をつけているので視界がわるく,演舞はすり足でおこなわれます。能はこのすり足を楽しむものだという人もいます。
舞台の後ろにはいくつかの種類の太鼓や笛を演奏する人が座っていて,彼らのリズムや音に合わせて,独特の節回しで主人公と脇役が問答(会話)をおこないます。ストーリーには悲劇的なものが多い。そこで1つの話を全後半にわけて,前半と後半の間に,少し喜劇を挟んでやる。ずーっと緊張した話ではお客さんもしんどい。この合間に挟まれた喜劇を狂言といいます。こちらもやはり主人公と喜劇役者がいて音楽にあわせて演舞します。話だけでなく動きも滑稽です。能の主人公・脇役・狂言師はそれぞれその役を演じる専門の集団が存在します。
能や狂言はもともと朝廷や神社の儀式,庶民の踊りなどいろいろな要素が混じりあってできあがった芸能です。これを芸術の段階まで完成度を高めたのが観阿弥・世阿弥父子だということです。また狂言と答える場合には,問題に「喜劇」や「能の合間」という語句があることに注意して下さい。 |
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16 |
足利義政のころの文化を〔 ① 〕文化といい,禅宗や明の影響を大きく受けている。水墨画を大成した雪舟や〔 ② 〕を大成した宗祇(そうぎ)などがいる。 |
答 |
①東山 ②連歌 |
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義満の北山文化に対して,義政は東山文化でした。東山文化は銀閣に代表されます。銀閣は書院造として重要でしたね。「書院」とはお坊さんの居間(リビング)と書斎を兼ねた部屋をいいます。ここでいうお坊さんは特に禅宗のお坊さんです。
では具体的にどのような建築様式かというと,現在の日本の室内様式だと考えればよい。家の中に襖や障子で間仕切りされたいくつかの部屋がある。部屋には畳が敷かれている。(それまでは床一面に畳は敷かれていませんでした)床の間には花瓶などが置かれているスペースがある。こういう今ではあたりまえの日本建築が書院造です。
ほかにも禅宗の影響を受けた文化に水墨画があります。これは中国の禅僧が,宋の時代から日本に伝えたもので,これを日本で大成したのが,これまた禅僧の雪舟だったのです。このほか,茶道・花道なども禅宗の影響を受けて発展していきます。
連歌とは和歌の上の句(五・七・五)と下の句(七・七)を別の人が読むという貴族のお遊び。室町時代初期からはじまって,このころ宗祇という人物によって大成された。 |
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17 |
室町時代には庶民向けの短編小説:〔 〕が成立した。 |
答 |
御伽草子(おとぎぞうし) |
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応仁の乱がおこると,その後世の中は戦国時代へと突入していきます。応仁の乱は京都でおこった戦乱ですから,都の貴族は戦乱を避けて地方へ逃れようとしました。このとき貴族の文化は地方へと伝播していくことになります。【歴史的意義】全国に「藤」の字をもつ名前が多いのはこのためです。加賀国に逃れた藤原氏が加藤など。
貴族のもつ年行事,生活習慣などが全国に伝わり,その地の文化と融合して現在の日本文化が形成されていきました。文学もそうです。日記,説話,伝説などの宮廷文学と民間伝承などが融合して,庶民にも親しみやすい昔話=御伽草子(おとぎ話)が成立しました。鎌倉時代の「無常観」を説くお話に対し,下剋上の世の中を反映して立身出世ものがあるのも特徴です。『ものぐさ太郎』や『一寸法師』などがそれです。 |
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18 |
桃山文化を象徴するものは〔 ① 〕を中心とする城郭建築と内部を飾る〔 ② 〕画である。その画家としては『唐獅子図屏風』を描いた〔 ③ 〕がいる。 芸能では出雲大社の巫女であった〔 ④ 〕によって,歌舞伎踊りが始まった。 |
答 |
①天守閣 ②障壁 ③狩野永徳(かのうえいとく) ④阿国(おくに) |
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桃山文化の豪華・雄大を象徴するのが,城郭建築でその中心が天守閣です。お城の中心となる建物で,城主の権威の象徴でした。その内部も豪華に飾られていて襖絵は障壁画とよばれ,金箔を使用するなど贅を極めました。時の権力者おかかえの絵師は狩野派とよばれる一門で,室町時代から続いていましたが,安土桃山時代の狩野永徳がもっとも有名です。『唐獅子図屏風』は彼の代表作でよく【史料】問題で出題されます。
注意したいのは,天守閣内部は書院造が基礎となっているということです。文中に「書院造」とあってもすぐに室町文化(東山文化)と飛びつかないこと。文を隅々まで読んで,「天守閣」・「障壁画」など桃山文化特有の語句があるかどうかを確認すること。桃山文化に「書院造」と書かれていてもまちがいではありません。
「歌舞伎」という語句も安土桃山時代と江戸時代にまたがる語句です。「歌舞伎」に「踊り」がつくと桃山文化だと思って下さい。歌舞伎は「傾(かぶ)く」からきています。「傾く」とは「まっすぐでない」ということ。つまり「ちょっと変わった」ということです。出雲出身の巫女「阿国(おくに)のちょっと変わった踊りが人気となり広まった。
阿国は巫女でしたので女性です。だから最初歌舞伎は女性が演じていた。男性によって演じられるようになったのは江戸時代からです。だから江戸時代の歌舞伎には「○○××郎」といった男の名前が出てくるのが特徴です。 |
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19 |
豊臣秀吉の朝鮮出兵で捕虜として連行された陶工により白磁の製法が伝わり,〔 〕などが製造された。 |
答 |
有田焼(伊万里焼) |
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「陶磁器」と焼き物のことを一言でいいますが,陶器と磁器をあわせた言葉です。陶器は縄文時代からつくられてきた土器です。材料は粘土です。たたくと「コッ,コッ」と鈍い音がします。吸水性があって,水で洗っても少し放っておくと,すぐに乾きます。磁器の材料は磁石とよばれる岩石です。これを砕いて使います。たたくと「キン,キン」と金属のような音がします。吸水性はほとんどなく,洗ったあとはしっかりとふいてあげなくては,水分がとれません。
日本の磁器の技術は,秀吉の朝鮮出兵のときにつれてこられた職人によって伝えられました。まず佐賀県の有田や伊万里ではじまり,全国に広がっていきます。現在の伝統工芸品の中でも佐賀県の有田焼・伊万里焼,石川県金沢市の九谷焼が磁器として有名です。 |
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江戸初期の建築物には徳川家康をまつる〔 〕がある。 |
答 |
日光東照宮 |
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日光東照宮(残念ながら陽明門は修復中) |
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元禄文化には,文学では松尾芭蕉の俳諧以外に,町人生活を題材にした〔 ① 〕が〔 ② 〕によって書かれ,『世間胸算用』や『日本永代蔵』などの作品を残した。人形浄瑠璃では〔 ③ 〕が『曽根崎心中』などの脚本を書き,浮世絵の創始者である〔 ④ 〕は『見返り美人』を描いた。 |
答 |
①井原西鶴 ②浮世草子 ③近松門左衛門 ④菱川師宣(ひしかわもろのぶ) |
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元禄文化では,松尾芭蕉・井原西鶴・近松門左衛門の3人の文学をしっかりとおさえておくこと。作品名を答える問題はまず出ませんが,作品名から作者の名前はできるように。
絵画で出題されるのは1人だけです。菱川師宣の『見返り美人』は【史料】としてよく用いられます。菱川師宣が特別重要なのは,浮世絵というジャンルの最初の人だからです。「浮世」とは「あの世」に対する言葉。つまり「この世」です。そのときそのときの普通の人の暮らしや風景を映し出す文学が井原西鶴などの「浮世草子」であり,描いたのが「浮世絵」。これまでの神々や理想像,夢物語など特別なモチーフを描くのではなく,日々の暮らしのありふれた風景を描くのです。 |
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18世紀中ごろから政治・世相の風刺,人情の機微を歌う〔 ① 〕(31字)や〔 ② 〕(17字)が流行した。 |
答 |
①狂歌 ②川柳 |
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川柳・狂歌には「政治・世相の風刺」という言葉が使われる。「風刺」とは「欠点をばかにする」という感じの意味です。しかしストレートに「馬鹿にする」わけではなく,遠まわしに,ユーモアを入れてです。だから結構,技術が要るんですよ。「川柳」は「柄井川柳(からいせんりゅう)」という俳諧の人物名からきています。ただし川柳には季語などのルールはありません。五・七・五の型だけが俳諧の形式をとるだけです。
狂歌は「歌」とあるから,和歌の形式。五・七・五・七・七ですね。「狂」には「狂言」と同じく「おかしい・滑稽」という意味がある。 |
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化政文化には,文学では〔 ① 〕(『東海道中膝栗毛』)や〔 ② 〕(『南総里見八犬伝』)らがいる。絵画では錦絵(にしきえ)とよばれる多色刷りの浮世絵版画が流行し,〔 ③ 〕(美人画),〔 ④ 〕(『富嶽三十六景』),〔 ⑤ 〕(『東海道五十三次』)らがいる。 |
答 |
①十返舎一九 ②滝沢馬琴 ③喜多川歌麿 ④葛飾北斎 ⑤歌川広重(ひろしげ) |
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化政文化では浮世絵が発達します。多色刷りの版画になります。だから何枚も同じ絵が刷れる。菱川師宣の浮世絵(「見返り美人」)は,自分で筆をとって描きましたから1枚きりしかありません。しかし化政文化を代表する3人の絵は,何枚も流通しています。だから大人気となった。3人の人物が描いたモチーフをしっかりとおさえて絵をみておきましょう。化政文化は絵画が重要。【史料】
文学では十返舎一九・滝沢馬琴などがでてきますが,作品名を答えたり,作者名を答えたりする問題は少ない。やはり時期が問われる問題が主流です。【時期】少なくとも作者と作品が一致できればよい。 |
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24 |
江戸時代中期から医学・科学の分野でオランダ語を通じて蘭学が発達した。〔 ① 〕・前野良沢はオランダ語の人体解剖書を翻訳し,『〔 ② 〕』を書き上げた。〔 ③ 〕は幕府の命令で正確な日本地図を完成させた。〔 ④ 〕人医師の〔 ⑤ 〕は長崎に鳴滝塾を開いている。 |
答 |
①杉田玄白 ②解体新書 ③伊能忠敬 ④ドイツ ⑤シーボルト |
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蘭学は江戸時代中期とありますが,少なくとも徳川吉宗以降であると理解しておくこと。もっともよく出るのは『解体新書』ですが,これは田沼時代です。
日本人では伊能忠敬の日本地図,または平賀源内のエレキテル(静電気発生器)ぐらいおぼえておけば十分でしょう。
外国人ではシーボルト。この人がドイツ人であったことは重要です。だって日本にはオランダ人しか入れないもの。シーボルトはオランダ人と偽って日本に来た。最初は出島のオランダ商館の医師を務めていましたが,そのうち出島の外にも開業し,長崎の鳴滝で蘭学塾をはじめます。これが鳴滝塾。塾生には,蛮社の獄で処罰を受けた高野長英らがいます。
鳴滝塾(長崎市)
シーボルトは日本滞在中,楠本タキという女性に出会いイネという女の子をもうけます。シーボルトは帰国後,紫陽花(アジサイ)の学名をハイドランゲ・オタクサと名づけています。「おタキさん」とよばれていた妻の名前をつけたという逸話が残っています。また娘のイネはのちに日本最初の女医(正式ではない)となります。 |
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25 |
江戸時代,幕府の学問所では主に〔 ① 〕が学ばれ,民間の教育機関では「読み・書き・そろばん」をおしえる〔 ② 〕や著名な学者らが私塾が全国に開設された。 |
答 |
①朱子学 ②寺子屋 |
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朱子学は儒学の一派です。宋の時代に誕生しました。身分秩序を重んじるのが特徴で,身分の上下関係を重視する幕府の政策には都合がよい学問だったのです。
寺子屋は庶民の教育機関で「読み・書き・そろばん(計算)」を教える塾のようなもの。「寺子屋」は「寺小屋」でも○かという問題が公立高校の入試でおこりました。県によっては○・×わかれるようですので,確実に○にしたければ「寺子屋」と書くようにして下さい。
江戸時代,一般庶民が文字の読み書きを学んだことで,日本は世界最高水準の識字率(80~90%)だったようです。産業革命が進んでいた同時期のイギリスでも都市部で20%ぐらいといいますから,これはすごい。このような識字率の高さが,明治維新を可能にし,他のアジア諸国と違って植民地にならなかった要因の1つだと考えられています。 |
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1872年,〔 ① 〕が発布されると小学校・中学校・大学校が設置された。1886年には小学校の義務教育が〔 ② 〕年間とされ,日露戦争後の1907年には〔 ③ 〕年間に延長された。 |
答 |
①学制 ②4 ③6 |
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この分野もあまり注意して勉強しないところですね。【落とし穴】まずは学制がもっともよく出るのでしっかりとおぼえます。年代はあまり細かくおぼえる必要はありませんが,おぼえられる人はおぼえておきましょう。少なくとも明治のはじめ明治維新の一環として学校制度を整えたというぐらいはおさえておきたい。
ただしこの学制,学校に通うには授業料がとられましたから,就学率は非常に低かった。また当時は農民がまだまだ多い世の中。子どもは立派な働き手でしたので,庶民の批判・不満が高まった。だから学制反対一揆がおこったということを頭に入れておきましょう。
教育の歴史については義務教育期間のうつりかわりだけを追っていきましょう。4→6→9です。4→6は明治期。6年になったのは,日露戦争後。【時期】このころに就学率は90%を越えます。理由は簡単です。義務教育が無償になったからです。
そして9年(小学校6年・中学校3年)になるのが,戦後,教育の民主化のため制定された教育基本法です。教育に関する法律関係でおぼえておくべきものは,学制と教育基本法,そしてあとに出てくる教育勅語の3つ。 |
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民権思想を広めた人物には福沢諭吉のほか,ルソーを翻訳した〔 〕がいる。 |
答 |
中江兆民 |
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中江兆民も出題されると差がでる人物。【落とし穴】「東洋のルソー」とよばれ,自由民権運動の理論的指導者でした。 |
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大日本帝国憲法が発布されると,天皇制を強化するための教育理念や指導原理を示した〔 〕が1890年に発布された。 |
答 |
教育勅語 |
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明治時代から敗戦直後までの日本の教育方針となったものです。道徳的な内容としてはよいものもありますが,もっとも議論となるのが「忠君愛国」という考え方です。「君」は天皇のこと。「忠君」で「天皇に忠義をつくす(従うぐらいの意味)」。これは天皇の権力が強い大日本帝国憲法と対になるものですので,応用編を学ぶみなさんは,2つ【セット】で意味があるものだとしておぼえてましょう。また問題には「忠君愛国」・「教育」という言葉がセットで使われますので,これらの語句に注目して下さい。
「忠君愛国」という言葉が,暴走すると「天皇陛下とため・国のため」といって駆り立てられる戦争になってしまう。与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」にそれがあらわれています。【史料】
あゝおとうとよ、君を泣く 君死にたまふことなかれ 末に生まれし君なれば 親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて 人を殺せとをしへしや 人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや
一連目だけですが,最後の四行,「親」と実の親という意味の裏には「国・国家・天皇」という意味もあるのでしょう。国のために「人を殺せ」と教えられていたのです。与謝野晶子は末っ子の弟に「そんなふうに育てたのだろうか,いやそうではないはずだ」と嘆いているのです。 |
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明治時代になると小説は〔 ① 〕体で書かれるようになり,〔 ② 〕(『舞姫』),〔 ③ 〕(『たけくらべ』),〔 ④ 〕(『吾輩は猫である』)などが出た。 |
答 |
①言文一致 ②森鷗外 ③樋口一葉 ④夏目漱石 |
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言文一致の「言」とは話し言葉(口語体),「文」は古典の言葉(文語体)を意味し,それまで書き言葉は文語で書かれていたのですが,これからは話し言葉の口語体で書こうということになりました。これが明治時代です。文学の「言文一致体」という語句がでてきたら明治時代。森鷗外と夏目漱石は明治を代表する作家。国語でも重要ですね。 |
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1916年,東京大学の〔 〕は民本主義を唱え,明治憲法下における国民の政治参加を説いた。 |
答 |
吉野作造 |
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大正時代には,ラジオ放送の他,レコード,無声映画,雑誌など大衆文化が発展した。1日100万部を越える新聞も発行され,女性が教師・タイピスト・電話交換手・バスの車掌など社会進出し,〔 〕とよばれた。 |
答 |
職業婦人 |
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上の問題文に書かれていることがらはすべて大正時代を表すことがら。【時代区分】を問う問題ではよく出てくる説明文です。
ラジオ放送の1925年は,普通選挙法と治安維持法の年でもありますからおぼえておきたい。【時期】 |
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1953年,〔 ① 〕放送が開始されると,高度経済成長期初期に白黒テレビは洗濯機・冷蔵庫の電化製品は「三種の神器」とよばれた。さらに後期には〔 ② 〕・クーラー・カラーテレビが3Cとよばれ,一般家庭に普及した。 |
答 |
①テレビ ②自動車(乗用車) |
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ラジオは大正,映画は戦前,テレビは戦後とおぼえておきたい。【時期】高度経済成長期には,白黒テレビとカラーテレビの普及率が逆転していったこと。「三種の神器」とは天皇にとっての必需品である「剣・玉・鏡」をいいますが,ここでは一般庶民の必需品という意味です。「三種の神器」と「3C」は混同しないようにしましょう。【比較】このとき「3C」をしっかりとおぼえておけばよい。「カー(car)」・「クーラー(cooler)」・「カラーテレビ(color tv)」 で3つの「C」です。 |