歴史 第9回 世界史 基礎編

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世界史

1 古代の四大文明とは,〔 ① 〕文明(ナイル川)・〔 ② 〕文明(チグリス・ユーフラテス川)・〔 ③ 〕文明(〔 ③ 〕川)と中国文明である。
①エジプト  ②メソポタミア  ③インダス
   四大文明はその位置,名称,河川名を一致させないと意味がありません。【位置】  
   
2 エジプト文明では象形文字が,メソポタミア文明では〔 ① 〕文字が,中国文明では〔 ② 〕文字がそれぞれ使用された。
①くさび形  ②甲骨
   各文明に共通しているのは,文字を使用したこと。そして青銅器を用いたことです。また日本の弥生時代のように青銅器と鉄器をセットにしてはいけません。 また各文明の文字を【史料】でみておくことが大切。
   
3 世界三大宗教とは,紀元前5世紀にインドでシャカが開いた仏教1世紀ローマ帝国イエスが開いたキリスト教,7世紀に〔   〕が開いたイスラム教である。
ムハンマド
   世界三大宗教は,地理でも必須問題。開いた人物と宗教名は必ず【セット】。歴史では,興った順が大切です。「仏教・キリスト・イスラム教,ヒンドゥー教はインドだけ」とお経のように唱える。この中の「仏教・キリスト・イスラム教」という部分は,成立した順になっています。【流れ】
   
4 中国の古代王朝は,殷・周にはじまり,春秋戦国時代という混乱の時代となったが,〔 ① 〕の始皇帝が再び中国を統一した。しかし〔 ① 〕はまもなく〔 ② 〕にほろぼされる。
①秦  ②漢
   中国の王朝は,高校入試でも必須の問題。まずは殷~清までしっかりと順にいえること。【流れ】そして日本との関わり。日本との関わりは「漢」の時代からです。【時期】 
   
5 の滅亡後,分裂の時代が続いたが,・〔 ① 〕・〔 ② 〕・〔 ③ 〕・〔 ④ 〕と続く。
①唐  ②宋  ③元  ④明
   
6 のあとの〔 ① 〕は約300年続いた大帝国であったが,1840年,〔 ② 〕戦争でイギリスに敗れるとヨーロッパ各国によって半植民地化された。1894年日清戦争で日本に敗れると,〔 ③ 〕がおこり,中華民国が建国された。
①清  ②アヘン  ③辛亥革命
   清が衰え,滅びゆく過程となった3つの重要な出来事を順に。【流れ】
アヘン戦争→日清戦争→辛亥革命 
   
7 戦後中国は毛沢東率いる共産党が勢力を拡大し,1949年に社会主義国である〔   〕が成立した。
中華人民共和国
   現在の中国は戦後(1945年以降),成立したこと。【時期】中国は社会主義国であるということ。以上は最低限おさえておくべきことです。 
   
8 14世紀イタリアで自由・人間らしさを追求する文化運動がおこった。これを〔   〕という。
ルネサンス
   ルネサンスとは「復興・復活」を意味する言葉です。ルネサンスがおこる前のヨーロッパは政治・社会・経済・生活のすみずみまでキリスト教が支配する世界でした。このキリスト教とは具体的にカトリックといいます。
 カトリックという組織には,頂点にローマ教皇とよばれる指導者がいて,その下に司教・神父とよばれる聖職者がいます。これらの聖職者がキリスト教の教義(教え)を広め,その教義にもとづいて一般社会を導いていきます。皇帝・国王とよばれる存在すら,聖職者にさからうことができませんでした。そもそも皇帝や国王は,神の代理人とされるローマ教皇からその地位を保障されていたのです。
 ローマ教皇の上には,本当は「神」という最高の地位がいます。普通の人間は,神と交信することはできません。人間の世界で選ばれた存在であるローマ教皇のみが神の教えを伝えることができた。とされるのです。だからこそローマ教皇は「神の代理人」とよばれる。皇帝や王は何によって,その地位に就くことができるのか。それは神の意志なのです。よって神の意志を伝えるローマ教皇が皇位・王位を左右するのです。

 このようにカトリックが支配するヨーロッパ世界は,ローマ教皇を頂点とするピラミッド型社会だった。
 ところが11世紀末ある事件がおこります。キリスト教の聖地がイスラム教徒に占領されました。だまって見過ごすことはできませんから,ローマ教皇は全キリスト教世界に聖地奪還を命じます。ローマ教皇はこういいます。「神が望んでおられる」。
 当然,キリスト教徒はこれに応えてイスラム教徒との戦いに向かいます。これを十字軍といいます。約200年間続けられますが,結果は失敗。この失敗は何を意味するかというと,神はキリスト教に味方しなかったという事実です。これでは民衆の方が神から遠ざかっていくのは当然のことです。十字軍の失敗は,ローマ教皇,そしてそれを頂点とするカトリックへの忠誠心を薄れさせていきます。

 十字軍の遠征は主に地中海航路を用いておこなわれましたから,兵士は港町のある北イタリアに集まりました。そこで北イタリア諸都市では,商業・交易がますますさかんになります。
 十字軍遠征後の14世紀,ルネサンスが花開きます。ルネサンスは地中海交易で財を蓄えた北イタリアの諸都市でおこりました。【時期・位置】
 ルネサンスとはいわばカトリック(キリスト教)への反発から生まれたようなものです。一番大事な点はキリスト教のしきたりにとらわれないということです。キリスト教は神(への信仰)を第一に考えます。「神」の対義語は「人間」です。つまり人間(性)そのものに目を向けるのです。そのとき,ヨーロッパの人々が参考にしたのが,古代ギリシャやローマの文化でした。つまりキリスト教が生まれる前のヨーロッパです。そのため「復興・復活」という言葉が用いられたのです。
 古代ギリシャやローマでは,神はまさしく人間の姿をしていました。芸術においても人間の理想的な肉体を彫刻として残しています。キリスト教では,そんなことは許されませんでした。絵を描くにしてもイエスやマリアやその弟子たち,聖書に書かれた物語と題材は決まっていましたし,ましてや裸体を描くなど許されることではありませんでした。
 それが一気に解放されます。ミケランジェロ『ダビデ像』は旧約聖書に出てくる王の裸体を見事に表現していますし,レオナルド=ダ=ビンチ『モナ=リザ』は普通の婦人が微笑んで座っている絵です。【史料】決してマリアを描いたわけではありません。また遠近法という今ではあたりまえの技法を用いています。これはルネサンスにおいて科学知識が重視されたことでもあります。キリスト教社会では科学は信仰に反するものでした。だって聖書の中では,世界は神が創造し,太陽が地球を回っているのですから。
 そのうち,カトリック自身もルネサンスに影響されます。信仰よりもぜいたく・財力・権力(世俗化)だと。信仰心のうすらいだカトリックやローマ教皇はやがて批判の対象になり,宗教改革がおこるのです。 
   
9 16世紀,ルターが宗教改革をおこし,キリスト教の改革をおこなった。これによって誕生した新しいキリスト教を〔   〕という。
プロテスタント
   宗教改革とは,これまでのキリスト教を改めるということ。これまでのキリスト教とはカトリックをいいます。そして改革によって生まれた新しいキリスト教がプロテスタントです。プロテスタントとは「プロテスト(抗議)する人々」を意味します。カトリックに抗議したからです。
 プロテスタントはローマ教皇から離れた場所で広まっていきます。ローマはイタリアですから,地中海沿岸の地域はこれまで通りカトリックの影響力が強い。だからプロテスタントは主に北部のヨーロッパで信仰されます。【位置】
 プロテスタントが台頭したことでヨーロッパでの勢力を失ったカトリック側は,当時さかんになっていた大航海に便乗して,ヨーロッパ以外の地域へその教えを広めていこうとしたのです。 
   
10 1492年,イタリア人の〔 ① 〕はスペインの援助を受けてアメリカ大陸を発見した。また〔 ② 〕はインド航路発見を,マゼラン一行は世界一周を成功させ16世紀,世界の海はスペインとポルトガルに支配された。
①コロンブス  ②バスコ=ダ=ガマ
   最初の大航海はスペイン・ポルトガルが中心になってはじめられました。スペインとポルトガルはたいてい【セット】になって出てきます。コロンブスバスコ=ダ=ガママゼランもいずれかの国の援助で大洋に乗り出しました。それぞれの航路をしっかりとおさえておきましょう。【史料】
 大航海の真の目的は,アジアの香辛料を得ることにありました。こしょうなどのスパイスです。ヨーロッパの人々にとってこしょうは金と同じぐらい価値のあるものでした。肉の保存にかかせない必需品だったのです。
 これまではシルクロードを使って陸路でアジアと貿易していましたが,アジアとヨーロッパの間にイスラム教勢力が拡大すると,キリスト教徒であるヨーロッパ人の安全な交易がおびやかされるようになりました。イスラム文学の「アラビアンナイト」の中に「アリババと40人の盗賊」なんてお話がありますが,盗賊たちが「開けゴマ」の合図で扉が開く洞窟の中に隠していた金銀財宝は,異教徒であるキリスト教徒の商人を襲って得たものなのでしょう。ヨーロッパの商人は,どうしても陸路以外のアジア交易の道をみつけなければならなかった。
 さて重要なことは,「ルネサンス→大航海・宗教改革【流れ】,そしてこれらはすべて日本では室町時代の出来事であるということをおさえておきましょう。【時期】この世界の流れの中で,日本にも鉄砲(ポルトガル),キリスト教(スペイン)が伝わったのでしたね。鉄砲・キリスト教伝来が室町時代というのは多くの受験生ができない問題の1つです。
   
11 16世紀以降,海外進出で富を得たヨーロッパの国王は〔 ① 〕とよばれる政治をおこなった。イギリスの〔 ② 〕,フランスのルイ14世はその代表である。
①絶対王政  ②エリザベス女王(1世)
   大航海によって得た海外植民地から,ヨーロッパ諸国は多くの利益を得ました。こういった航海や植民地政策は国が中心になっておこないましたから,国王はその財力を背景に絶対的な権力を握っていきます。「絶対王政」の「絶対」とは,「他に並ぶものがない」という意味です。まずスペイン・ポルトガルにはじまり,やがてイギリスやフランスでおこなわれます。
 王が法律をつくり,その法律を実行し,王が裁く,あらゆる政治の権力を一手ににぎりったため,王=国家という図式になったのです。フランスのルイ14世の有名な言葉があります。「朕(ちん)は国家なり(私こそが国家である)。」 
   
12 絶対王政は国民の自由や平等を無視したため,市民革命がおこった。イギリスでは1688年に〔 ① 〕革命がおこり,〔 ② 〕によって国王の権力は制限された。
①名誉  ②権利の章典
   どんな政治もうまくいっているときは,文句も少ないものです。うまくいかなくなると不満が出る。絶対王政も善政がおこなわれれば,問題ないんですが,絶大な権力をにぎると,それを乱用したくなるのが世の常です。「王=国家」であったとしても,国には圧倒的数の国民が実際に生活をしているのです。それを無視すると,国家はたちゆきません。
 当時,国王の力を抑制するものは何もなかった。あえていえば,それまではキリスト教(カトリック)という宗教がその役割を務めていたのですが,ルネサンス以降,そのカトリック自体が支持を失ったことは,これまでにみた通りです。ではその代わりを務めたのはだれか?それが国民(市民)だったのです。
 やがて国民の自らの生きる権利(自由や平等)にめざめ,それを踏みにじる国家権力,つまり絶対王政に立ち向かおうとします。これが市民革命です。
 最初におこったのがイギリスであることをしっかりおさえておきましょう。ここからあらゆることがイギリスを先頭としておこっていきます。イギリスがおこなったことが,世界の手本となっていくのです。 
   
13 1775年,アメリカはイギリスからの独立戦争をおこない,〔 ① 〕を発表した。このとき司令官であった〔 ② 〕は初代大統領となった。
①独立宣言  ②ワシントン
   アメリカはイギリスから独立します。これがわかっていない人が多いんだなぁ。だからアメリカでは英語を話すんだよ。英語はアメリカ語ではありません。イギリス語です。
 アメリカの独立も市民革命の1つに数えます。ここでは先ほどの「国民(市民)・国王」の関係が「植民地・本国」の関係に置き換えたものだと思って下さい。「国王が国民を苦しめる,だから市民革命で王をやっつける。」これが「本国が植民地を苦しめる。だから市民革命(独立戦争)で本国をやっつける。」
   
14 1789年,フランスでも革命がおこり,〔 ① 〕が発表された。その後〔 ② 〕が現れて皇帝となり,ヨーロッパ征服のための遠征をおこなったため,フランス革命の自由と平等の精神がヨーロッパ全土に広がった。
①人権宣言  ②ナポレオン
   3つ目の市民革命はフランスでの文字通りフランス革命です。年代は非常に重要ですね。超一級品だ。1789年。「7・8・9」の並びですのでおぼえやすい。
 まずは年代と時期のお話をしますが,市民革命などこれからの世界の歴史はイギリスが先頭を切る。そして市民革命は「イギリス・アメリカ・フランス」の順でおこる。これをしっかりとおさえましょう。【流れ】
 その上で年代を確実におさえておくのは,フランス革命の1789年です。フランス革命から「-100」するとイギリスの名誉革命の「権利の章典」の年(1689)です。フランスはイギリスから1世紀遅れていることが理解できます。また1789年に「+100」すると日本の大日本帝国憲法の年(1889)です。日本はイギリスから2世紀,フランスから1世紀遅れていることになります。
 この200年の差は鎖国(1639-1854)の差でもあります。日本はこれらの市民革命がおこったころ,江戸時代で海外との交流を最小限におさえる鎖国をおこっていました。これが日本に遅れをもたらした。
 フランス革命の年は,いろいろなことを時期的に理解するのに都合のよい年です。しかもおぼえやすいので絶対におぼえておくように!
 次に市民革命とそれによって出された宣言文を必ず【セット】にしておく。名誉革命・権利の章典アメリカ独立戦争・独立宣言フランス革命・人権宣言。つながっていないと意味がない。
 最後にフランス革命で最終的に出現した英雄ナポレオンです。ナポレオンは国王をしのぐ皇帝という地位につきます。公立高校レベルでは,「皇帝」となった人物の名前が出てくるのはナポレオンぐらいです。したがって皇帝と出れば即座にナポレオンと応えても結構です。そのくらい皇帝の名前が出るのは珍しい。 テストをすると毎年1人ぐらいはナポリタンと応える人がいる。それはスパゲティです。
   
15 18世紀,機械の発明により,世界で最初の〔 ① 〕がイギリスでおこった。機械による大量生産は,利益を追求する〔 ② 〕をうみ,資本家労働者という新たな対立も生み出した。
①産業革命  ②資本主義
   早々に市民革命を成し遂げたイギリスでは,産業革命がおこります。絶対王政時代は,国王に並ぶものがいませんでした。国王がすべてを判断したのです。しかし市民革命が達成されると不特定多数の人間がさまざまな分野で活躍するとようになります。商工業においても競争が生まれます。より多くのものをつくり,より多くのものを売ろうとする。競争は努力を,努力は発明・発想につながります。発明家エジソンはこういいます。「天才とは1%のひらめきと,99%の努力」であると。
 その他多くの要因がイギリスにはありましたが,市民革命が早くからおこったイギリスだからこそ,機械の導入も早かった。
 産業革命とは手工業が機械工業へと変化したことに留まらず,そのあとの社会の変化も含めて産業革命といいます。そのあとの変化とはどのようなものなのでしょうか?
 機械がモノを生産するようになると,大量生産が可能になります。なぜたくさんモノをつくるのかというと,たくさん売って利益を得るためです。こうして多くの利益を得た人のことを資本家といいます。土地主であり,工場主であり,雇い主です。一方,工場で働く人は労働者です。労働という価値を提供してお給料を得て生活します。賃金労働者ともいいます。こうして生産手段を持つ資本家持たない労働者との関係が成立し,両者の関係で生産がおこなわれる。これが資本主義です。産業革命によって資本主義が生まれた。
 資本主義の目的は利益の追求です。利益とは資本家の収入です。労働者はその一部を分配されるだけです。資本家がより多くの利益を得るためには,労働者に支払う賃金を安くすればよい,長時間働いてもらうとよい,よりよい労働環境も整える必要もない,機械がモノをつくるんだから大人の男の力も必要ない,だから女・子どもにも働いてもらえればよい。という具合に労働者に過酷な労働条件を課します。資本家はますます利益を得て,労働者の生活はますます厳しくなる。こうして資本主義は貧富の差を大きくし,多くの労働問題を抱えることになる。
 また工場のある場所に人は仕事を求めて集まります。集まった場所は都市となり,それ以外の過疎化が進みます。都市の工場が出す排気ガスは環境を悪化させ,貧富の差は犯罪にもつながります。
 このような資本主義がもたらした悪影響を解決しようと生み出された考え方が社会主義です。資本家の生産手段を労働者に分配します。みんなが生産手段を共有し,全員が労働者になる。生み出された利益は平等に分配することで,経済的な平等を実現しようという考え方です。

 ではポイントとなることは次の通り。
・産業革命はイギリスで18世紀におこった。【時期】
・歴史の流れは「絶対王政→市民革命→資本主義→社会主義」となる。【流れ】
 この「→」は一方的なもので,決して逆にならない。
 この流れはイギリスがつくった流れで,他の国は遅れてこの流れをたどる。
 この流れがヨーロッパでおこったころ,日本は鎖国下の江戸時代であった。
・資本主義,社会主義とはどのような社会のしくみか。 
   
16 19世紀,アメリカで〔 ① 〕がおこった。この戦争で大統領の〔 ② 〕は奴隷解放宣言を発表した。
①南北戦争  ②リンカーン 
   18世紀,イギリスでおこった産業革命は,他国では遅れて19世紀におこります。アメリカでは北部で早くからおこり,南部では遅れていました。そのため南部の綿花栽培には黒人奴隷が使用されていたのです。
 やがて北部と南部で奴隷制度をめぐって対立します。これが南北戦争に発展。工業化の進んだ北部が勝利することになり,黒人奴隷の解放が宣言されました。 
   
17 19世紀末から20世紀初め,資本主義が発達した欧米諸国が武力を用いて植民地を広げようとした動きを〔 ① 〕という。特にイギリスドイツの対立は〔 ② 〕に発展した。〔 ② 〕はドイツが降伏して終結し,〔 ③ 〕条約がフランスのパリで結ばれ,国際平和のため〔 ④ 〕が設立された。 
①帝国主義  ②第一次世界大戦  ②ベルサイユ  ④国際連盟 
   19世紀末になると,どの国もイギリスに追いついてきます。産業革命がおこり,国内で資本主義が進展すると,やがて利益の追求は海外に広がっていきます。安い原料の供給地と製品を売る市場を求めて欧米各国は植民地を広げていくのです。このような動きを帝国主義といいます。

 しかし帝国主義の段階に最初にたどりついたのはやはりイギリスでした。アジアでのアヘン戦争,インドの植民地化はその初期段階の例です。結果イギリスは最大世界の4分の1を支配することになります。
 20世紀になるとそのイギリスに対抗しようと力をつけてきた国がありました。ドイツです。第一次世界大戦はこのイギリスとドイツの帝国主義が対立し,そこへそれぞれの同盟国が加わって拡大した戦争です。
 結果はドイツの敗北。ベルサイユ条約によって,ドイツは植民地・軍備が奪われ,多額の賠償金を課せられました。 
   
18 第一次世界大戦中,ロシアでは〔 ① 〕が中心となって〔 ② 〕がおこった。その後世界初の社会主義国であるソ連が誕生した。
①レーニン  ②ロシア革命 
   第一次世界大戦中の重要事項は,ロシアで革命がおこったことです。この革命は社会主義の革命であったこと。社会主義の政府が成立したのです。【歴史的意義】
 ロシアという国の最大の弱点は常に「寒さ」です。第一次世界大戦は長期戦でした。戦争が長期化すると多くの兵が必要になります。兵には多くの食料が必要になり,庶民は食料不足となります。しかもロシアは寒い土地です。国土は広いとはいえ,農地として使える土地はそれほどありませんし,穀物だけでは栄養不足となります。寒い土地では,他の栄養となる食料が完全に不足していました。特に野菜や果物から採るビタミンCです。ビタミンCが不足すると倦怠感(疲れやすい),免疫力の低下を引き起こします。すると栄養失調だけでなく,風邪・インフルエンザ(当時大流行)・チフスなどさまざまな病気にかかり易くなる。その結果,戦闘による死者だけでなく,病死者もとんでもない数にのぼったのです。
 それでも戦争を継続する王室は,贅沢三昧。一般国民の状況は無視。労働者・兵士・農民など一般庶民の不満はついに爆発し,革命に至りました。
 このため欧米・日本はドイツを相手にすると同時にこの革命に対する干渉戦争を開始します。干渉戦争とは,よその国の出来事なのに,その出来事が自分の国にまで悪影響を及ぼすおそれがあるとき,その出来事を成功しないうちにつぶしてしまおうとすることです。社会主義は,当時の世界の流れ(資本主義・帝国主義)を否定する考え方ですね。これが自分の国にも広がったらえらいことになってしまうと考えた国々が,この革命を失敗させようと出兵したのです。
 日本ではシベリア出兵となり,この結果,米騒動という事件に発展しました。【時期】また第一次世界大戦は大正時代の出来事であるとしっかり認識しておきましょう。【時期・落とし穴】
 これを何とか耐えたロシアは社会主義国として,正式名:ソビエト社会主義共和国連邦(略してソ連)となりました。ソビエトとは,「労働者や兵士の議会」という意味です。第一次世界大戦後から昭和時代の終わりまでは,ロシアではなくソ連と答える必要があります。【時期・時代区分】  
   
19 1929年にはじまった世界恐慌に対し,アメリカは〔 ① 〕,イギリス・フランスは植民地との関係を深める〔 ② 〕をおこなって切り抜けようとしたが,ドイツの〔 ③ 〕やイタリアムッソリーニは戦争によってこれを解決しようとし,1939年,ドイツがポーランドに侵攻したことで〔 ④ 〕がはじまった。
①ニューディール政策  ②ブロック経済  ③ヒトラー  ④第二次世界大戦 
   第一次世界大戦はベルサイユ条約で区切りがついたと考えて下さい。1919年です。そこから世界の歴史は10年後とに大きな区切りを迎えます。1929年1939年です。
 まず1929年世界恐慌がおこります。第一次世界大戦後,世界をリードする国はイギリスからアメリカに変わっています。イギリスは第一次世界大戦を戦い,国力をかなり消耗したからです。一方アメリカが大戦に参加したのは,かなりの年月が経ってからのこと。最後の一撃を加えたに過ぎません。しかしアメリカの参戦は戦争勝利に不可欠なものでした。戦争が終わってからのアメリカ経済は,イギリスを凌ぎ,繁栄を謳歌します。ニューヨークの高層ビル街が建てられたのも,つい最近のことではなく,一次大戦後の1920年代のことなのです。
 この「永遠の繁栄」と思われたアメリカ経済が,1929年10月24日にどん底を味わうとは,だれもが予想しませんでした。その日,アメリカ経済の中心地ニューヨークのウォール街の株式市場は売りの嵐,株価は急暴落し,一気に不景気の波が押し寄せました。このような急激な景気の後退を「恐慌」というのです。それもアメリカは世界経済の中心地,この波は瞬く間に世界中に広がったので「世界恐慌」。
 当然,不景気に対する対策が必要になってくる。対策にはいくつかの方法がありました。まずアメリカではニューディール政策とよばれる政策が実施されました。この政策は政府が失業者を積極的に救済していくという,労働者保護・公共事業です。
 不景気になると会社が倒産します。倒産すると失業者が増える。これがひどいのが「恐慌」でした。だから生活に困っている労働者・失業者は国が援助してあげよう。例えば,国がダムをつくりますよ,道路をつくりますよ,といった公共事業を積極的におこなう。ここで働けば国がお給料を払ってあげるよ。といって失業者を救済します。
 イギリスフランスブロック経済という方法をとりました。イギリス・フランスは第一次世界大戦の戦勝国です。つまり多くの植民地をかかえる国であることを頭に入れておきましょう。
 不景気になると他国との貿易が負担になります。他国の商品を買うと,その商品が自国の商品より性能がよく低価格であるとすると,自国の同じ商品が売れなくなります。つまり自国の産業がますます衰退する。また輸入するということはお金を支払うということですから,ただでさえ国内のお金の回りが少ない状況であるのにさらに通貨が国外へ流出する。
 だからいっそのこと他国との貿易をやめてしまえ,やめないまでも外国商品はできるだけ売れないようにしてやろう。売れなくするにはどうすればよいか?高い関税をかけてやればいいんだ。そしてあらゆる商品を自国とその通貨が通用する植民地で生産し,消費するようにしてやる。足りないものは外国から買うんじゃなくで,自国内(植民地を含む)でまかなえばいいんだ。というわけで植民地との結びつきを強化するのです。このように自国と植民地が一体となって,経済圏をつくりだす。このような経済圏を「ブロック」というんです。もう少しわくりやすくいうと現在の「EU」がそれに近い。「ブロック経済」はイギリスやフランスのような広大な植民地をもっていた国だからこそできた政策です。
 では植民地をもたない,持っていても少ない国はどうしたらよいでしょうか?答えは簡単です。植民地を増やして,イギリスやフランスのようなブロックをつくればよいのです。あまりにも安直ですが,これが答えです。しかし「植民地をください」といっても,「はいあげます」とはなりませんね。また「植民地になってください」といっても,「わかりました」と応えるはずもない。結局,植民地を増やすとは,軍事力による占領となってしまうわけです。
 このような政策をおこなった国の代表例が,ドイツとイタリアと日本でした。いずれの国もまず,戦争による恐慌対策をうったえる党(日本は軍部)があって,それらが国民の支持を受けて政権をとります。こうして誕生した政権は,=軍事政権です。軍事独裁を「ファシズム」といいます。(ドイツ・イタリア・日本やその他,少しずつ特徴は違うので,正確にすべてを「ファシズム」という言葉でまとめることはできませんが)「ファシズム」とは「団結・集団」というイタリア語が語源です。みんなが同じ考えのもとに団結して集団で行動する。「流行」を表す「ファッション」も同じ語源です。多くの人が同じような髪型・服装・音楽を好むので「流行」であり,「ファッション」なのです。日本語では「全体主義」といいます。
 「ファシズム」や「全体主義」の対義語は「民主主義」になります。「全体主義」の国では,「国=全体」(ここでは「軍」ということになりますが)が,「国民」に優先するのです。国民は国を形成する一部であり,国の決定に国民は従わなければなりません。一方民主主義では国民1人1人が国を形成するのです。国民の意思が国の政府を形成し,政策を決定します。
 といういうわけで,第二次世界大戦とは「ファシズム(全体主義)」と「民主主義」の戦いであったといえます。ファシズムの国は,日独伊三国(軍事)同盟を結び,それに対して他の民主主義をかかげるヨーロッパ諸国やアメリカが団結してこれを倒した。
   
20 戦後,国際平和のため〔 ① 〕が組織されたが,アメリカを中心とする資本主義国とソ連を中心とする社会主義国が戦火を交えないで対立した。これを〔 ② 〕という。〔 ② 〕の象徴であった〔 ③ 〕が1989年に取り壊されると,〔 ② 〕は終結に向かった。
①国際連合  ②冷戦  ③ベルリンの壁 
   第一次世界大戦後に成立した国際連盟は第二次世界大戦を防ぐをことができませんでした。そこでより強い組織として第二次世界大戦後,国際連合が成立しました。国際連合は公民で詳しくみることになりますが,次の点をしっかりとおさえておきましょう。【時期・比較】
・国際連盟→第一次世界大戦後
・国際連合→第二次世界大戦後
・国際連合の本部はアメリカのニューヨーク

 国際平和組織が成立した一方で,世界には新たな対立が生まれます。「冷戦」です。戦後世界を特徴づける言葉ですので,確実におぼえておきたい。【時期】
 冷戦とは,アメリカ中心の資本主義諸国とソ連中心の社会主義諸国の対立です。資本主義と社会主義が水と油であることは何度もお話しました。とても大切な考え方です。ここでの資本主義は自由主義とも表現されます。これは社会主義国では国が経済を管理するからです。また政治においても共産党という政党しか存在せず,政治的決定権も共産党にあります。共産党は資本主義的な考えが広まらないように国民の生活・思想・文化も管理(監視)します。社会主義国はこのような体制にあったため,これに対するアメリカ陣営は自由主義陣営とも表現されるのです。
 冷戦では実際にアメリカとソ連が直接武器を使用しての戦争にはいたりませんでした。それはこの二国があまりにも大国(超大国)であったからです。さらに両国は大量の核兵器を所有していました。二国の武力衝突はもはや殺し合いではなく,地球の破壊につながります。易々と戦争に突入するわけにはいきません。よって火花の散らない,「冷たい戦争」となったのです。
 冷戦にはもう1つ,対立関係を表す表現があります。「東西対立」といいます。これは冷戦の最前線がドイツにあったからです。敗戦国ドイツは戦後,東ドイツと西ドイツに分離独立します。東ドイツはソ連が,西ドイツはアメリカが援助します。つまりドイツは資本(自由)主義国と社会主義国が接する緊張した場所だったのです。そしてこのドイツを境にして西ヨーロッパは資本(自由)主義陣営,東側が社会主義陣営となります。そこで冷戦のことを東西対立ともいうのです。
 さて今日,ドイツの首都はベルリンです。そのベルリンは旧東ドイツにありました。冷戦当時,実はこのベルリン自体も東ベルリンと西ベルリンに分割され,西ベルリンは西ドイツ領とされました。東ドイツ領内に西ドイツ領があるというちょっとかわった状態です。冷戦が激しくなると東ドイツ(東ベルリン)市民の中には自由を求めて西ドイツ(西ベルリン)に逃げ込もうという人が増えてきました。そこでソ連は東ベルリンと西ベルリンの境界線に高い壁を築いて,これを阻止し,銃をもった兵隊を配置したのです。これをベルリンの壁といいます。冷戦=東西対立の象徴といってもよい建築物です。

 そのベルリンの壁が1989年に取り壊されます。これをきっかけに冷戦は終結。翌年,東西ドイツも統一され,現在のドイツとなりました。この年は平成元年でもあります。【時代区分】 

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