地理 第4回 民族と文化   応用編

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世界の宗教と民族

1.一神教
①一神教と多神教
 三大宗教とヒンドゥー教,これを信者の多い順に並べるとどうなるか,キリスト教・イスラム教・ヒンドゥー教・仏教の順になります。仏教徒はヒンドゥー教徒よりも少ない。
 またキリスト教徒とイスラム教徒の数を合わせると世界の人口の半数以上が信仰していることになります。なぜこんな足算をするのかというと,キリスト教とイスラム教は実は兄弟のような宗教で,ともに同じ唯一の神を信仰している一神教なのです。これに対しヒンドゥー教や仏教では神様はたくさんいる。これを多神教といいます。

②ユダヤ教
 ユダヤ民族の宗教です。ユダヤ民族の民族国家として現在イスラエルという国がありますが,ユダヤ系の民族は世界各地に居住しています。この宗教はキリスト教・イスラム教と兄弟であり,もっとも早く誕生したので一神教三兄弟の長男といえるでしょう。つまり親はみな同じ,唯一の神から生まれた。ただ少しずつその見方が違うだけです。

 紀元前13世紀ごろ,モーゼという人物が開いたとされますが,ユダヤ民族の間ではもっと前から信仰されていたようです。現在のイスラエルがある地域を西アジアの中でもパレスチナ地方といいますが,この地域を中心に信仰されていました。唯一の神ヤハウェを信仰し,この神がそのままキリスト教やイスラム教の神になります。
 民族の長い苦難の歴史から極端な選民思想(自分たちの民族だけが救われる)をもっているのが特徴です。唯一神との契約を守ることで,来世での救いが約束されるというのです。
 ユダヤ民族と神との契約の歴史をまとめた書物が『旧約聖書』です。「旧約」の「約」とは「契約」の意味で,西洋人が「契約」という考えを大切にするのは,ここからきています。
 『旧約聖書』は人類の起源(アダムとイブ)から始まり,ノアの箱舟のお話で人類が一度滅亡します。唯一生き残ったノアの子孫アブラハムが神と契約を交わし,神は神への信仰を守ることを条件にアブラハム一族の繁栄を約束します。こうしてつづられたアブラハム家代々の歴史書が『旧約聖書』です。

 やがてユダヤ教を批判・改革してキリスト教が誕生し,ユダヤ民族以外の人々にも一神教が受け入れられます。さらにユダヤ教・キリスト教を批判・改革してイスラム教が生まれ,一神教は世界中に広まっていきました。
 一神教は神が唯一であるため,他の神を認めません。「他を認めない」という意識は「不寛容」につながります。したがって一神教の教えは「Don't ~」つまり「~してはいけない」という形になります。出発点が否定から始まることで,残った「一」を強調していくのです。

 強調された「一」は絶対的な存在となります。絶対者は信者に服従を求めます。『旧約聖書』の中で神はアブラハムに息子イサクを生けにえに捧げるように命令します。アブラハムは盲目的にそれを実行しようとします。それをみた神はアブラハムの信仰が本物であることを確認し,近くにいた羊を息子の代わりに捧げるように命じました。
 一神教では人間は神に従順であることが求められ,その従順さは羊に象徴されるようになります。従順で生けにえにもなる羊はユダヤ教・キリスト教・イスラム教の社会では大切な家畜としてあつかわれるようになるのです。

 このような「不寛容」・「絶対的服従」は他のものに対する攻撃性を生みます。現在の宗教対立,紛争の大きな原因の1つがこの三宗教の一神教的正確から生まれているのです。

③聖地エルサレム
 エルサレムはそもそもユダヤ教の聖地でした。ユダヤ人から出たイエスがユダヤ教を改革してキリスト教が生まれます。そのイエスはエルサレムで処刑されました。したがってエルサレムはそのままキリスト教の聖地になります。
 何世紀もあとになってここを訪れたムハンマドはエルサレムで天に昇る奇跡を体験します。このことからエルサレムはイスラム教徒にとっても大切な場所(聖地の1つ)になります。
 そもそもユダヤ・キリスト・イスラムは同じ神を信仰しているので,エルサレムが3つの宗教にとって聖なる地となっても不思議ではありません。ただ一神教三兄弟の仲がよかったら問題はないんですが,そうでもない。そこが大問題なのです。

聖地エルサレム
中央の金のドームはイスラム教のモスク
嘆きの壁(エルサレム)
ユダヤ人が祈りを捧げる

嘆きの壁を挟んで向こう側に金のドーム
聖墳墓教会(エルサレム)
イエスが処刑されたゴルゴタの丘に建てられた。

②キリスト教
 キリスト教の聖地はエルサレムです。ローマではありません。エルサレムはイスラエルの首都です。(正確には違います)
 イエスの死後,使徒とよばれるイエスの弟子によって当時のローマ帝国領内に広められていきますが,当初は弾圧を受けます。古代ローマは多神教の社会ですから,キリスト教の神が1つ増えても困ることはありませんでした。一神教とは異なり多神教は「寛容さ」が特徴です。
 しかしキリスト教徒はローマ皇帝の権威を認めなかった。彼らが服従する相手はイエス(=神)ただ1人だからです。そこで彼らは幾度か大弾圧を受けることになります。ローマは2世紀ごろの大繁栄のあと,混乱期に入り,その中でキリスト教は信者を増やしていきます。
 ついに4世紀初めに公認を受け,4世紀末にローマ帝国の国教となります。このあたりは点差をつけるポイントとなります。

 キリスト教ではイエスを神の子としています。そのイエスの生涯を描いた物語が『新約聖書』です。キリスト教では『旧約聖書』と『新約聖書』の両方を聖典としています。だから単にキリスト教の聖典は「聖書」としても結構です。

 さてイエスの生涯の最後は十字架にはりつけにされて処刑されますね。処刑にしたのはイエスに批判されたユダヤ教徒です。以後の歴史でユダヤ教徒がキリスト教徒に嫌われた決定的な理由はここにあります。
 さらに死んだはずのイエスは3日後に復活して天に昇ったとされます。イエスは生涯さまざまな奇跡を民衆に示したとされますが,復活の奇跡を信じるか信じないかがキリスト教徒であるかキリスト教徒でないかを区別するとされるぐらいイエスの復活はキリスト教徒にとって大切なことなのです。そこでイエスが復活したとされる日は復活祭(イースター)として誕生祭(クリスマス)と同様に大切な行事として祝われます。
 復活祭は3月末~4月初で日付は不定です。クリスマスは12月25日ですね。

③イスラム教
 イスラム教の開祖ムハンマドは現在のサウジアラビアのメッカ(イスラム教の聖地)の商人の家に生まれました。各地に行商にいくうちに,既存のユダヤ教やキリスト教に疑問をもつようになりました。ある日,瞑想していると神の使いが現れ,ムハンマドに神の教えを説いたといいます。そこでムハンマドは神の言葉を預けられた者という意味で預言者(予言者ではない)とよばれるようになりました。イエスもアブラハムもモーセも預言者とされますが,ムハンマドは今でも最後の預言者として崇められています。イスラム教では神を「アラー(アッラー)」とよんでいます。

 ムハンマドが授かった神の教えは後に『コーラン』(クルアーン)と呼ばれる聖典にまとめられました。豚肉を食べてはいけない(けがらわしい)と,数々の「Don't=戒律」はここに書かれています。(豚肉の禁止はユダヤ教も同じ)
「アッラーが汝(なんじ)らに禁じ給うた食物といえば,死肉,血,豚の肉,それからアッラー以外の名が唱えられたもの(異神に捧げられたもの)のみ。」(2.167〔173〕
「わしに啓示されたものの中には,死肉,流れ出た血,豚の肉―これは全くの穢(けが)れもの―それにアッラー以外の(邪神)に捧げられた不浄物,これらを除いては何を食べても禁忌ということにはなっていない。(何を食べてもよいということ)」(6.146〔145〕) 
『コーラン(上)』 井筒俊彦訳 岩波文庫

『コーラン』
アラビア語で書かれており,本来他の言語に訳してはいけないことになっている。
アラビア語
右から左へ読む


 イスラム教の戒律の中で注目しておきたいのは,「偶像崇拝の禁止」です。この点が『コーラン』の中でもっとも激しくキリスト教を非難している点です。偶像崇拝とは神の代わりに何か形のあるもの(金属や石・木などで作った像など)を崇めることです。キリスト教ではイエスやマリアの絵や十字架などです。イスラム教では神を何か別の形で表すことができないとして禁止しています。

教会内部の宗教画
(ベルギー アントワープ)
『フランダースの犬』の主人公ネロはこの絵を前に死ぬ
教会内部のステンドグラフ
(ベルギー アントワープ)
文字の読めない人々に教えを伝えるため聖書の物語を絵にした。
顔がかき消されているキリスト教の宗教画(トルコ カッパドキア)
イスラム教徒の占領にあったとき,偶像崇拝の禁止からイスラム教徒が消した。

 イスラム寺院をモスクといいます。モスクにはドームとよばれる丸屋根があるのが特徴です。またキリスト教の教会と違ってモスクの中には人の絵を描いたものはありません。その代わり細密に描かれた草木や幾何学的な模様が神秘的で心地よい。

ブルーモスク(トルコ) アフリカ最古のモスク(チュニジア) モスク内部の装飾

 イスラム教は西アジアを中心に,西はサハラ以北のアフリカ,東はパキスタン・バングラデシュ・インドネシアで信仰されています。特にインドネシアはインド基準の宗教分布の例外になり,インドより東のイスラム教国であり,世界最大のイスラム教国としてよく出題されますのでしっかりとおぼええておきたい。(バングラデシュもインドより東のイスラム教国であるが,出題率においてインドネシアの方がはるかに重要)

2.キリスト教の宗派
カトリック(ローマ=カトリック)
 イエスの使徒ペテロはローマ帝国の首都ローマで布教活動をおこなった人物でした。数々の弾圧を受け,あきらめてローマを去る決意をします。そこへイエスの幻が現れてペテロははこう言います。「Quo vadis, Domine(クォ ワーディス ドミネ=主よ,どこに行かれるのですか)」。イエス(幻)は答えて,「そなたが見捨てるローマへ」。ペテロは思い直し,ローマへ戻る決意をしました。ペテロはイエスと同じく十字架にかけられて死ぬのですが,その地が現在のバチカンです。(このお話はポーランド作家シェンキェヴィッチの『クォ ワディス』という本に書かれています。)
 ペテロは初代ローマ教皇とされています。バチカン内にあるサンピエトロ(聖ペテロ)寺院はローマ教皇の教会です。ローマ教皇は代々選挙によって選ばれますが,神の代理人として最高地位につき,指導者として布教します。このローマ教皇を頂点として,庶民まで階級を構成する教会のしくみをカトリック(ローマ=カトリック)といいます。

バチカン市国 サンピエトロ寺院
ペテロ像(サンピエトロ寺院)
右手にもつのは天国の鍵

 信仰している地域は南ヨーロッパ(イタリア・スペイン・ポルトガル)。したがってスペイン・ポルトガルの植民地となったラテンアメリカ(メキシコ以南のアメリカ)もカトリック信者がほとんどです。
 注意すべきはフランスです。フランスはヨーロッパ北方にも広い国土をもっていますが,カトリック教国としておぼええておきましょう。アジアではフィリピンがキリスト教カトリックです。これもフィリピンはもともとスペインの植民地だったためです。点差がつくところです。

正教会(東方正教会)
 4世紀末,ローマ帝国が東西に分裂しますが,西ローマ帝国領内で栄えたのがカトリック,東ローマ帝国領内で栄えたのが正教会でした。両者は何世紀も指導権を争っていましたが,11世紀に決定的に分裂しました。(カトリックとの教義の違いは受験範囲を超えているのでここでは省きます。)
 したがって信仰している地域のほとんどは東ヨーロッパに固まっています。ロシアを中心にルーマニア,ブルガリア,セルビア,ギリシャ(他ウクライナ,グルジア,アルメニア)。各国ではその国の名前を冠して,ロシア正教会ギリシャ正教会,セルビア正教会などという呼び方もします。

モスクワのクレムリン前にあるロシア正教の教会
タマネギのような屋根が特徴的。


プロテスタント
 16世紀の宗教改革によってカトリックから分離した宗派です。信仰している国はヨーロッパではドイツ・イギリス・北欧4ヶ国(デンマーク・ノルウェー・スウェーデン・フィンランド)の主に北部ヨーロッパ。その他の地域ではアメリカ合衆国・カナダ・オーストラリア

 ヨーロッパにおけるキリスト教の宗派はヨーロッパ民族の分布にほぼ一致しますので,これもおおまかで結構ですので以下のようにまとめておきましょう。


3.儒教
 儒教は宗教かどうかちょっとあやしい。というのも他の宗教とちがって崇拝の対象となる人間を超越したような存在がないからです。むしろ生活や道徳の規範を説いています。その意味では非常に現実的な「学問(儒学)」とよぶ方がよいかもしれません。
 始めた人は孔子。紀元前5(6)世紀ごろ,中国の春秋戦国時代(春秋時代)の人物です。この人の教えをまとめた書物が『論語』。
 儒教を宗教としてとらえると中国や韓国は,信者が多い地域となっていますが,たぶん中国や韓国の人は自分は儒教徒だとはいわないでしょう。ほかの宗教を受け入れながら,生活のレベルで儒教を実践しているだけでしょう。したがって宗教分布としては東アジアは全体的に仏教でよい。

4.おぼえておきたい世界の民族
①中国の少数民族
 少数民族で重要なのは,チベット自治区のチベット族チベット仏教(ラマ教)という独自の仏教を信仰しています。
 次にウィグル族。新疆(しんきょう)ウィグル自治区というところに居住する人々です。トルコ系でイスラム教を信仰しています。

②東南アジア
 東南アジアには,かつて移民として中国から渡来して定住した人々がいます。このような中国系移民を華人といいます。特に華人の割合が多いのが,シンガポールとマレーシアです。

③インド
 インドも他民族国家です。しかし一見して民族の違いを区別することは難しい。しかし次の資料をみて下さい。インドの紙幣です。この中には17の言語で同じ額面が表示されています。公用語として使われているのが,まずは英語です。インドはイギリスの植民地であったため,英語が共通語として使われている。それに現地の言葉の代表例がヒンディー語というものですが,これはおぼえるまでもないでしょう。その他15の代表的な言語が裏面に表示されている。これはあくまでも代表的なもので,厳密にはどのくらいの言語があるのかわからない。


アラブ人
 「アラブ」・「アラビア」というのは地域的には西アジアを中心としますが,地理的な意味よりも言語や宗教的意味合いが大きい。主にイスラム教を信仰していてアラビア語を解する人々です。
 西アジアではありますが,トルコやイランは主にイスラム教徒であってもアラビア語を話しませんので「アラブ」とはいえないでしょう。また北アフリカは人種・民族的には多種多様ですが,主にイスラム教でアラビア語を解しますので「アラブ」ということができます。

⑤アングロアメリカ
 メキシコ以南のアメリカ大陸の国々をラテンアメリカと表現しました。それに対し,アメリカ合衆国とカナダの2国を「アングロアメリカ」とよぶことがあります。しかしこの言葉そのものは近年,ほとんど出題されなくなってきました。

 アメリカ合衆国には「WASP(ワスプ)」という言葉があります。これはアメリカ合衆国の社会で支配的地位を占める人々を指します。W=white=白人,AS=Angle・Saxon=イギリス系(アングロ・サクソン族),P=protestant=プロテスタント。白人で英語を話すイギリス移民の子孫で新教徒。
 しかしこの地域にはかつてフランス人も入植したことがあります。特に現在もフランス系の人々が居住するのがカナダです。カナダでは公用語は二つあり,英語とフランス語です。問題の中で「公用語が二つ」とあれば,たいていカナダを指す。

⑥日系人
 日本人が海外へ移民し,その子孫を日系人といいます。この日系人が多い国の代表例としてブラジルをおぼえておきましょう。

白豪主義
 オーストラリアの白人優先政策。20世紀初めから1970年代までとられていました。アボリジニーの迫害や中国系移民の締め出しが目的でした。

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