地理 第4回 民族と文化   発展編

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世界の宗教

1.仏教
①仏教の伝播
 仏教は主に二つのルートで東へと伝えられていきます。1つは北伝仏教,文字通りインドの北部,シルクロードを通じて,中国,朝鮮半島,日本へと伝わった仏教です。中国へ伝わったのは漢の末期
 北伝仏教は大乗仏教ともいいます。「大きな乗り物」の意味で,苦しい修行などせずとも仏様はみんな救って下さるよというもの。
 もう1つ南伝仏教とよばれるもので,インドの南,セイロン島(現在のスリランカ)や東南アジアへと伝わった。
 南伝仏教は大乗仏教に対して小乗仏教といういい方もします。これは仏様の救済範囲が狭いことを大乗仏教からみて批判した呼称ですので,彼らは自らを上座部仏教といいます。
 どういう人が救われるのかというと,出家したお坊さん,さらに厳しい修行をして悟りを開いた人です。ではスリランカや東南アジアの人はほとんど出家しているのかというと,当然そうではありません。
 「托鉢(たくはつ」)という制度があります。僧侶が信者に生活に必要な食糧などを乞うことです。日本でもみかけることがありますが,信者は托鉢僧に食べ物や生活物資・お金などを施すことで救われるというのです。
托鉢の様子(ラオス)
 一定期間出家して修行し,また世間に復帰するという期間限定出家という方法もあります。イスラム教のメッカ巡礼と同じで一生の間に一度は出家することを奨めています。

若い修行僧(カンボジア)

②仏塔
 仏教建築につきものなのが,仏塔とよばれる塔です。もともとインドではストゥーパといい,シャカの骨(遺灰)を埋めた墓のことでした。中国に仏教が伝わったとき,これに「塔」の字をあて,日本では何重もの屋根をもつ仏塔になります。法隆寺の五重塔は有名ですね。奈良県の桜井市には十三重の塔というのもある。

ストゥーパ(スリランカ) 仏塔の原型
五重塔(法隆寺)


チベット仏教
 中国のチベット(チベット自治区)を中心として信仰される仏教の一派です。ラマ教ともよばれます。日本でいうと密教に近い世界観をもっています。「ラマ」とはチベット仏教の高僧のことで,最高位のダライ=ラマという人物を宗教的指導者として崇めています。彼が死ぬとその生まれ変わりとされる子どもを捜して,その地位につけます。現在のダライ=ラマは14世。宗教的指導者の存在を認めない中国政府(中国共産党)と対立し,現在はインドに亡命しています。
 チベット仏教は他にモンゴルや中国の内モンゴル自治区のモンゴル民族によって信仰されています。その起源はモンゴル帝国がチベットを占領し,元の時代にはフビライ=ハンによってチベット仏教が重用されたことにあります。他にはブータンもチベット仏教。(ネパールはヒンドゥー教徒が多い)

2.キリスト教
①キリスト教の用語
三位一体
 キリスト教がローマ帝国内で公認されたのは4世紀初め(313年),当時の皇帝はコンスタンチヌス帝でした。当時キリスト教は誕生から何世紀も経ているため,その教義もさまざまでした。そこでコンスタンチヌスは教義を統一するため,いろんな教義の代表者を集めて会議を開きます。そしてその場で正統とされたのが三位一体説です。
 キリスト教徒がお祈りをするときに「父と子と聖霊の御名(みな)において・・・」と唱えます。父=神,子=イエス,聖霊=神の性質が形を変えたもの。これらは別のものではなくて,全部神なんだという考え方です。だからイエスは神であるし,善(正しい行い)や愛といった神の性質もすなわち神である。三位一体という考えは現在の主要なキリスト教宗派(カトリック・プロテスタント・正教会)で共通して受け入れられている中心教義です。
カーニバル
 謝肉祭。復活祭の約1ヶ月前。リオデジャネイロ(ブラジル)のカーニバルは世界的にも有名。
コンクラーベ
 ローマ教皇を選出する選挙。枢機卿とよばれるカトリックの高位聖職者が選挙室にこもり,必要なら何日も決定するまで外出を禁止される。その困難な様子から「根競べ(コンクラーベ)」とおぼえたりするとよい。現在のローマ教皇はフランシスコ。アルゼンチン出身のイエズス会士。
使徒
 イエスの直弟子。ローマに宣教したペテロが有名。ペテロの墓の跡地にバチカンのサンピエトロ(聖ペテロ)寺院がある。

②カトリック分布の注意国
 応用編まででは東ヨーロッパは全体として正教会であるといいましたが,これは正確には正教会を信仰する国(信者が多数の国)が西ヨーロッパにないという意味です。
 実際カトリックの国は東ヨーロッパにも多く,ポーランド・チェコ・スロバキア・ハンガリー・クロアチア・スロベニア・リトアニアなどがカトリック教国です。
 またプロテスタントが多い北部ヨーロッパでもアイルランドはカトリックです。
 またあとでいいますが,プロテスタントの国をおぼえた方が早いです。

③プロテスタント分布の注意国
 東ヨーロッパで注意しておきたいのはバルト三国です。エストニア・ラトビア・リトアニアの三国は何かと一つでくくられますが,エストニア・ラトビアはプロテスタント,リトアニアだけはカトリックになっています。リトアニアはバルト三国の中でも一番南に位置する国です。すなわちポーランドと国境を接しており,歴史的にも結びつきが強かった。(16世紀~ ポーランド・リトアニア連合王国)ポーランドがカトリックの国なので,それと結びつけておくとよい。
 またイギリスは特殊な位置にいます。イギリスは宗教改革によってカトリックと袂をわかったんだけれども,その教義はカトリックのそれとほとんど変わるところがありません。ただ違うのはカトリックではローマ教皇がその頂点に君臨するのに対し,イギリスではイギリス国王が教会の長としての座に就きます。そこでイギリスのキリスト教はイギリス国教会といいます。反カトリックという意味でプロテスタントの一つに数えます。
※イギリス国教会の成立
 16世紀,国王ヘンリー8世の離婚問題が原因。カトリックは結婚は神が男女を結びつけると考えるため,離婚を認めていない。このことからヘンリー8世がローマ=カトリックから独立したのが始まり。(現在,国によってはカトリック教国でも法律によって離婚を認めている国もある。)


 このようにプロテスタントとカトリックの分布をみていくと,実はヨーロッパではプロテスタントの国が実は少ないことがわかります。したがってプロテスタントが多数派の国をしっかりおぼえておくのがよいでしょう。
 ドイツ(北部)・オランダ・デンマーク・スウェーデン・ノルウェー・フィンランド・エストニア・ラトビア・イギリス・アイスランド・スイス

④アジアのキリスト教
 国民人口に占めるキリスト教徒の割合がアジア最大なのはフィリピンです。次に東ティモール。そして韓国が第3位です。韓国は現在国民の約30%がキリスト教信者です。これは意外ですね。
 日本はザビエルが伝えたカトリックが最初ですが,江戸時代弾圧の対象であったことは知っていますね。弾圧の中,信仰を守った人々を隠れキリシタンといいます。九州に多かったようですが,開国後長崎に早速建てられた教会が浦上天主堂という教会です。
 一方,開国後ロシアから伝わったのが正教会です。国の重要文化財に指定されている函館の「主の復活聖堂」は函館ハリストス正教会の教会です(ハリストスはキリストの意味)。

3.イスラム教
スンナ派(スンニ派)
 イスラム教にも宗派のようなものがあって,多数派をスンナ派といいます。サウジアラビアを筆頭にほとんどのイスラム教国がスンナ派です。「スンナ」とは「ムハンマドの言葉や行い」の意味で,これに遵じて生活する人をいいます。

シーア派
 スンナ派に対立する少数派イスラムがシーア派。シーア派の国は少ないのでこちらをおぼえておきましょう。代表国はイランです。イランではほとんどの国民がシーア派です。そのほかシーア派が多数を占める国という意味ではイラク。国民の多数はスンナ派だけれども政府がシーア派(中でもアラウィー派)というのがシリアです。

タリバン
 2001年までアフガニスタンを支配していたイスラム原理主義組織です。アメリカ同時多発テロを計画したオサマ=ビン=ラディン率いるアルカイダを支援,アメリカの軍事行動によって衰退しました。かつてタリバン政権は偶像崇拝禁止の戒律から,世界遺産バーミヤン遺跡の石仏を破壊しています。
※イスラム原理主義
 イスラム教の戒律に忠実に従い,それをもとに政治活動をおこなう。かつてイランではイスラム原理主義の革命がおこり,現在でもイスラム法による政治がおこなわれおり,最高指導者は大統領より強い権限をもっている。


④その他のイスラム用語まとめ
・ムスリム…イスラム教徒
・ラマダン…断食
・ジハード…異教徒に対する聖戦
・カリフ…宗教的指導者(主にスンナ派)
・スルタン…世俗の支配者(王)
・ハラーム…禁止事項(豚肉・飲酒の禁止など)

※ハラール
 コーランに基づく食に関する規制。禁止食物を意味するだけでなく,許可されている食物もコーランに基づいて厳格に処置されたものでないと口にできない。厳格なイスラム教徒はハラール処置の表示がない食品は口にしないといいます。またユダヤ教にも同様の戒律があり,ユダヤ教ではこれをコシェル(コーシェル)といいます。近い将来,必要な語句になるかもしれません。

⑤メスキータとアヤソフィア
 8世紀イスラム教の勢力はイベリア半島にまで及びますピレネー山脈を越え,フランス領内に入ったところで,フランク王国によって撃退されますが,現在のスペイン・ポルトガルは以降イスラム帝国の領域となりました。
 1492年(コロンブスが大西洋を横断した年),キリスト教徒による国土回復運動がスペイン王国によって達成されますが,現在でもスペイン・ポルトガルにはイスラム文化の名残をみることができます。
 その代表的な建築物がスペインのコルドバという古都にあるメスキータです。現在は聖マリア大聖堂というキリスト教の教会となっていますが,メスキータとはモスクのスペイン語,つまりこの建物はもともとイスラム寺院だったのです。その建築様式はイスラム様式のままキリスト教の教会につくり変えたのです。
 一方逆のパターンもあります。トルコのイスタンブールにあるアヤソフィア。トルコはイスラム教が台頭するまで東ローマ帝国の領土でした。つまりキリスト教です。6世紀,ユスティニアヌス帝によって当時最高の技術をもって建造された聖ソフィア大聖堂(アヤソフィア)はもともとキリスト教の寺院でした。
 1453年,オスマン=トルコが東ローマ帝国を滅ぼすとメフメト2世はこの教会をイスラムモスクに造り変えるように命令します。トルコが政教分離をかかげ,共和国となった第一次世界大戦後以降,ここでの宗教儀式はイスラム教・キリスト教ともに禁じられていますが,キリスト教からイスラム教へと転じた宗教施設の代表例です。

メスキータ内部 
イスラム教モスクの内部の様式がみられるキリスト教教会
アヤソフィア
四本の尖塔はイスラム征服後に建てられた。


4.ヒンドゥー教
 この宗教のもとになったのは,古代インドのバラモン教です。バラモン教はバラモンという僧侶階級を頂点とするカースト制度の上に成り立っています。
 カースト制度はインド特有の厳しい身分制度です。バラモン教はインドの風土に合っていたのでしょうか,仏教などの他の宗教が興ってもインド人の間で根強く信仰され,4世紀に興ったグプタ朝という王朝ではヒンドゥー教が国家宗教と位置づけられ,同時に仏教はインドでの宗教としての影響力を失います。そこで大事なのはヒンドゥー教ではカースト制度を否定していないという点です。ガンディすら否定しませんでした。
 聖地とよばれる場所も多数存在しますが,ガンジス川中流域のバラナシという場所は一応おぼえておきましょう。
 インド以外ではネパールがヒンドゥー教徒が多い国です。またカンボジアのアンコール=ワット(世界遺産)はヒンドゥー教の遺跡です。(仏教ではない)

アンコール=ワット(カンボジア)

 そうそうヒンドゥー教徒は左手を不浄の手として食事に使用しません。これはイスラム教にもみられる共通点です。

5.神道
 日本独特の宗教です。「八百万(やおよろず)の神」というようにたくさんの神様がいる多神教です。山自体を神とするところもあります。神社が宗教施設となります。
 でも日本各地には神社なのかお寺なのかどっちかわからないところがたくさんありますね。お寺の門をくぐったあとに鳥居が待っている。これは仏教を日本に取り入れようとした古代,仏教の仏様を日本古来の神様にあてはめて説明しようとしたところにあります。だから神仏融合がおこり,神様も仏様もごっちゃに崇めようとなったのです。
 ところが明治維新がはじまったころ,政府は天皇崇拝を強化するため神道と仏教を分離しようとしました(神仏分離令,1868)。これによって起こった民衆運動を廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)といいます。日本各地で寺院や仏像が破壊されました。

世界の民族

1.アジア・アフリカ
①中国の少数民族
 出題歴のある少数民族としては,チョワン(チワン)族,ホイ族,ミャオ族です。
 チョワン族は中国少数民族としては最大の人口をもっおり,中国南部ベトナム国境地帯に居住し,広西チョワン族自治区となっています。
 同じく南部の山岳地帯に多いのがミャオ族。タイ・ラオスにかけても同系統の民族が居住しています。
 ホイ族は回族と書き,「回」とはイスラム教のことです。民族系統としては漢民族ですが,イスラム教を信仰している点で,宗教的に区別されている民族です。
 これに加えモンゴル族も中国国内に多い民族です。中国では内モンゴル自治区という自治区があり,ここに居住するモンゴル族は本家モンゴルの人口より多い。宗教のところでもお話しましたが,元朝のころからチベット仏教を信仰しています。


②客家(ハッカ)とよばれる人々
 客家は中国の少数民族ではありません。漢民族です。漢民族の中の漢民族といっていいでしょう。もともとは黄河流域の華北で古代中国の諸王朝を支えた人々が,さまざま理由で華中・華南へ逃れ,原中国文明の文化を今でも伝える人々です。広東省・福建省・江西省などに主に居住し,流通や商業にたずさわる人々が多く,客家語という独自の中国語を話します。
 中国最古の王朝であるはもともと「商」という都市国家が発展したものでした。この殷が周に滅ぼされたときに殷=商の人々が黄河流域を追われます。そしてかれらが就いた職業が「商業」・「商人」の語源となりました。
 次に三国時代・南北朝時代・唐代の混乱期,南宋・元による異民族の華北支配時代と,彼らは居住地を華中・華南へと移し現在にいたります。


③華僑と華人
 華僑とは中国国籍をもったまま外国で居住する人々を,華人とは外国籍をもった中国系の人々を意味します。いずれも海外において経済的に大きな影響力をもっている人もおり,その中には客家の出身者も多くいます。
 特に東南アジアに多く,の時代,15世紀に鄭和(ていわ)という人物が皇帝(永楽帝)の命を受け,南海遠征をしたのをきっかけに中国人の南方進出が加速したといわれます。
 現在マレーシアでは国民の約25%シンガポールにいたっては約75%が華人で,シンガポールの首相リー・シェンロンも華人です。(大統領も)

労力(クーリー)
 イギリスがアジアで植民地活動をしていたころ,各地の労働力としてインドや中国の下層民を単純労働者として世界各地に連れて行きました。低賃金で過酷な労働に従事した人々です。

バングラデシュ
 戦後,英領インド連邦はインドとパキスタンに分離独立します。宗教の違いが原因でした。このときイスラム教のパキスタンはインドを隔てて西パキスタンと東パキスタンに領土が分割されます。このうちベンガル人が居住する東パキスタンがバングラデシュとして独立しました。バングラデシュとは「ベンガル人」の国という意味です。インドより東に位置しますが,インドネシア同様,国民のほとんどがイスラム教を信仰しています。

ペルシャ人
 イランの民族です。西アジアでは唯一ペルシャ語を話します。イランはイスラム教でもシーア派,ペルシャ人,ペルシャ語。アラブとは一線を画します。もう一度いいます。イランはアラブではありません。

トルコ人
 トルコ民族はもともと東アジアにいた民族ですが,西進してイスラム世界に入っていきます。11世紀には,十字軍の原因ともなりキリスト教の聖地エルサレムを占領したセルジュク=トルコが,15世紀には大航海時代のきっかけともなったオスマン=トルコ帝国が歴史で名を上げています。トルコ語を話し,現在ではトルコ語はアルファベット表記です。
 第一次世界大戦の敗戦国となったトルコ(オスマン=トルコ)は,アジア的先生君主制を廃止し,西洋ヨーロッパの政治・文化・軍制を取り入れ,近代化を図ります。西アジアでいち早く政教分離を掲げた国となりました。その象徴の1つがトルコ語のアルファベット表記でした。以後トルコは政治的にヨーロッパとの結びつきを強めていったのです。EUの加盟申請もしていますがなかなか認めてもらえません。

イスラエル
 ユダヤ民族の国です。ユダヤ民族は現在のイスラエルのあるパレスチナ地方に定住した民族でしたが,さまざまな王国・帝国のもとで迫害を受け,世界中に離散しました。金融業(昔のキリスト教社会では金融業は卑しい職業とされた)に就いたものが多く,移住した各地で財を築きます。
 第一次世界大戦ではユダヤ人財閥(ロスチャイルド家)がイギリスに資金援助をする条件として戦後の祖国建国を約束させましたが反故にされ,第二次世界大戦ではナチスドイツの大迫害(ホロコースト)を受けます。戦後,アメリカを後ろ盾に1948年,イスラエルを建国をし,世界中にちらばっていたユダヤ人が民族の祖国に帰還しました。
 ところがその地に長く住み着いた人々を追い出す形になり,その人々はイスラム教徒(アラブ人)であったため,周辺イスラム教国と関係が張り詰めました。追い出されたイスラム教徒をパレスチナ難民,周辺アラブ諸国とイスラエルの戦争を中東戦争といいます。現在でも世界でもっとも緊張した地域となっています。
※パレスチナ地方
 現在のイスラエルがある地方をパレスチナといいますが,紀元前のはるか昔,ここはもともとぺリシテという民族が居住していたことからこうよばれます。ユダヤ民族はこの地を「カナン」とよび,神がユダヤの繁栄を約束した地として彼らはあとから移住してきました。この地の民族間の争いは,もうこのころから始まっていたのです。古代ユダヤ国家(イスラエル王国)建国までのユダヤとぺリシテの争いは特に
『旧約聖書』の「サムエル記」に詳しく書かれています。
 中東戦争ではイスラエルに組織的に対抗するため
パレスチナ解放機構(PLO)が結成され,やがてパレスチナ自治政府へと発展し,現在国連では国家として認められています。(ただし投票権をもちません)

⑨南アフリカ共和国
 アパルトヘイトは1991年に廃止され,反アパルトヘイト運動家の黒人,ネルソン=マンデラが大統領になりました。そのマンデラ氏も2013年に亡くなりました。

2.ヨーロッパのその他の民族
①ヨーロッパのアジア系
 不思議なことにヨーロッパにはアジア系民族の国があります。外見上はヨーロッパ系白人とほとんど見わけはつきませんが,言語的に我々の日本語と同じ起源をもつためアジア系といわれます。代表例はハンガリーとフィンランド
 ハンガリーとは英語表記の「Hungary」の日本語読みです。この国名の「Hun」とはかつて中国を苦しめた北方遊牧民族民族:匈奴がヨーロッパに移動して「フン族」とよばれ,このフン族が起源であるとされたことから名づけられた国名です。実際はわかりません。ハンガリー人自身は自らの国を「マジャール」とよんでいます。これも東方から民族移動して現在のハンガリーに住みついた民族の名前です。マジャール語がモンゴル語や日本語と同じウラル=アルタイ系。ハンガリー人が人の名前を家族名→個人名の順で表記するのも,アジア的習慣です。
 フィンランドもアジア系のフィン人の国とされます。フィンランド人は自らの国を「スオミ森と湖の国」とよんでいます。

ルーマニア
 ルーマニアは周辺諸国がスラブ民族の中,ラテン民族の国です。「Romania」という国名の中に「Roma」が隠されている。2世紀,古代ローマ帝国がここを属国として,植民活動をしたことからラテン民族が居住するようになりました。ルーマニア語もラテン語系ですが,しかし宗教はカトリックではなく正教会です。

アイルランド
 アイルランドはケルト人とよばれる民族です。ケルト人はもともとヨーロッパの各地に居住していた民族です。紀元前1世紀ごろには,現在のフランスにまとまって部族社会を形成し,ローマ(まだ帝国ではない)に度々侵攻しました。これを征服したのがローマのジュリアス=シーザー(ユリウス=カエサル)です。彼の著書『ガリア戦記』に当時のケルト社会が記録されています。
 シーザーのガリア征服によってケルト人の大部分はローマ化されましたが,一部にブリテン島・アイルランド島などに渡ったものもいました。現在のイギリスはケルト人の土地だったのです。当時はブリトン人とよばれました。
 ブリテン島にやがてゲルマン民族(アングロ・サクソン人など)が移動してくると,ケルト人はブリテン島の北部(スコットランド),西部(ウェールズ),アイルランド島などに追いやられます。また大陸に戻ったものもいました。現在のフランスのブルターニュ半島はケルト系のブリトン人が居住する土地の意味です。そこでブリテン島はブルターニュ半島と区別するため大ブリテン島(グレートブリテン)の名称が使われているのです。
 これらの地域のケルト系の人名には「マク~(Mc~)」「オ~(O'~)」がつくことがあります。「マクドナルド」・「マクベス」・「マックイン」・「オコンネル」・「オブライアン」などなど。これらは「~の子孫」という意味。「マクドナルド」は「ドナルドさんの子孫」。
 さてアイルランドは6世紀ごろにはカトリックを受け入れ,ゲルマン系の民族に支配されたイギリスの侵略を度々受けながらも,ケルト文化を守ろうとします。ついにはイギリスに併合されます。
 1840年代,アイルランドにさらなる困難が襲います。ジャガイモ飢饉です。アイルランドの国土は肥沃ではありません。そのやせた土地でも栽培が可能なジャガイモはアイルランドの唯一の産業であり,唯一の栄養源といっても過言ではありませんでした。そのジャガイモが病気にかかり,全く採れなくなったのです。
 座して死を待つより,アメリカへの移住を決意した人々もいました。これがアメリカ人の中にアイルランド系の人口が多い理由です。現在アイルランド共和国の人口は約460万人ですが,アメリカにいるアイルランド系の人口は約3600万人に及びます。

 第一次世界大戦後,アイルランドは独立しますが,アイルランド島北部のアルスター地方だけはイギリス連合王国の一部として残りました。これはアイルランドがカトリックであるのに対し,アルスター地方はイギリスと同じプロテスタントであったためです。

 作家の司馬遼太郎さんは,アイルランドがたどった困難に満ちた歴史から「アイルランドは百戦百敗の国」(『愛蘭土紀行』)であるとし,それでも自国の文化に対する誇りやアメリカにおけるアイルランド系移民の繁栄をみて,この国や国民が困難に立ち向かう姿を賞賛しています。

④スイス
 スイスの公用語は4つあります。フランス語,ドイツ語,イタリア語とロマンシュ語(イタリア語に近い)。
 スイスの位置を考えてみるとアルプス山脈にあります。この周辺の国がちょうどフランスとドイツとイタリア。フランス・ドイツ・イタリアはもともとフランク王国(486年~)という国でした。この国は9世紀に分裂して,現在のフランス・ドイツ・イタリアのもとになった。このときの境界線が言語境界線にもなっており,そこに17世紀,スイスが独立しました。それと同時にスイスは永世中立国となります。
 永世中立国とは他国間の戦争に一切関わらないことを宣言した国です。「永世」とは「ずっと」という意味ではなく,「いかなる場合でも」という意味に近い。したがってどの国とも軍事同盟を結ばず,いかなる国際紛争にも関わりません。逆にいえば孤立無援です。ただし自衛権は当然もっていますので,自国が攻撃された場合は防衛・報復は可能です。そのためスイスには国民皆兵制度があって,いざというときには全国民が祖国防衛に立ち上がり,またその備えも常にしてあります。(各家庭に武器・食料の貯蔵,防空設備が完備)
 そんなスイス兵の強さには,古くから定評があり,実はバチカンを守る衛兵は伝統的にスイス人傭兵ということになっています。
 永世中立国の代表例としては他に,お隣の国オーストリアがあります。こちらは戦後になってから。

ベルギー
 ベルギーはフランスとオランダに挟まれた国です。ベルギー語はなく西部のフランス語圏と東部のオランダ語圏に分かれています。そこでフランス語とオランダ語が公用語になっています。英国人ミステリー作家アガサ=クリスティーが生み出した『名探偵ポワロ』はイギリスに亡命したベルギー人という設定で,いつもフランス語混じりの英語を話すため,イギリス人からフランス人とまちがわれるというくだりがよくでてきます。

⑥旧ユーゴスラビア
 ユーゴスラビア連邦という国は現在存在しませんが,1991年まで存在した国です。この国の国名ユーゴスラビアは「南のスラブ人」という意味で,大きくスラブ民族ということでくくれますが,そう一枚岩のようにはいかない。かつてこのように表現されました。
「6つの共和国,5つの民族,4つの言語,3つの宗教,2つの文字で1つの国」
巧くいったものですが,これだけ複雑でありながら1つのまとまっていたことが奇跡です。
 6つの共和国とは現在独立している国々で,セルビア・モンテネグロ・マケドニア・ボスニア=ヘルツェゴビナ・クロアチア・スロベニア。5つの民族はセルビア人・モンテネグロ人・マケドニア人・クロアチア人・スロベニア人(すべてスラブ民族)。4つの言語はセルビア語・マケドニア語・クロアチア語・スロベニア語。3つの宗教は,正教会・カトリック・イスラム教。2つの文字はラテン文字(われわれの使っているアルファベット)・キリル文字(ロシア語で知られるアルファベット),それらがユーゴスラビア連邦という1つの国を形成していた。

 ではどこがポイントかというと,やはり例外に注目すべきです。それは宗教。まずスラブ民族は原則として正教会でしたが,クロアチアとスロベニアはカトリックです。そしてもっと大事なのがボスニア=ヘルツェゴビナにはイスラム教徒が多数いるということです。ヨーロッパでは唯一イスラム教徒が半数近くいる国としておさえておきましょう。

※東ヨーロッパの民族・宗教のまとめ
 下の図を参考におぼえておくとよいでしょう。名づけて「ポチ・ハル・ユブ」の図。東ヨーロッパの主要国の頭文字をとって並べただけの図です。ポイントは北部・中部・南部の2ヶ国ずつセットにするのがポイント。





⑦ヨーロッパにおけるイスラム教徒
 ヨーロッパにイスラム教徒がいる理由としては,現代では移民が考えられます。移民の目的は職を求めての出稼ぎ労働。例えばフランスはかつて北アフリカ諸国(モロッコ・アルジェリアなど)を植民地としていました。これらの国は現在もフランスとの結びつきが強く,フランス語を解します。
 ドイツ(主にかつての西ドイツ)でも戦後の労働者不足を補うための移民政策をとりました。主な受け入れ国はトルコです。
 フランスでもドイツでもイスラム教徒を受け入れたことが現在,社会問題になっています。フランスでは「ブルカ禁止法」というのが成立し,イスラム教徒の女性が公の場(公立学校など)でスカーフを着用するのを禁止しました。スカーフを被るのは隷属の象徴だというイスラム教のもつ女性蔑視性に対する観点と政教分離の観点からです。逆の立場からするとイスラム教の伝統・文化を無視しているように映りますので,フランス国内では賛否両論あります。
 ドイツでは働く場をトルコ人に奪われ,失業率が上がり,ドイツ人の若者の間では民族主義運動が高揚しています。かつてのナチスのユダヤ民族迫害になぞらえてネオ・ナチを掲げるものもいます。
 また歴史的背景からヨーロッパに定住した,またはキリスト教から改宗したイスラム教徒もいます。オスマン=トルコ時代,その領土は西アジア・北アフリカだけでなく,東ヨーロッパにも拡大しました。特にバルカン半島はすっぽりオスマン帝国に支配されていました。やがてキリスト教徒は信仰を守り独立していくわけですが,イスラム教徒も一部地域に残ります。その例がボスニア=ヘルツェゴビナです。

3.アメリカ大陸オセアニア
人種のるつぼ
 アメリカ大陸は南北とも多民族国家が多く,民族どうしが共存共栄していることを「人種のるつぼ」という言葉で表現することがあります。「るつぼ」とはさまざまな金属を合成する容器です。アメリカ合衆国の場合は,人種間の差別が強く,さまざまな人種・民族が混じりあわず独自性を保っている面が強いため,この表現とは別に「人種のサラダボウル」ともいいます。
 一方,ラテンアメリカは混血が進み,人種間の融合がより見られることから「人種のるつぼ」の表現が北アメリカよりあっています。
 アングロアメリカにおいて人種差別が多いのは,最初のヨーロッパ系の植民活動から明確に征服意志があったのでしょう。ヨーロッパ大陸ではかなえられなかった信仰の自由,ヨーロッパ式生活を新天地で確立するためには,原住民の生活を犠牲にしてもいいというある種の覚悟をもって渡って来た。だから今でもアメリカ人は一般市民も武器(銃)を手放せない。アメリカ国民(特にヨーロッパ系)にとって自由とは武器で勝ち取ったものなのです。
ピルグリムファーザーズ
 1620年,イギリス国教会の弾圧から逃れるために新天地(アメリカ)にわたった清教徒の一団。乗船したのはメイフラワー号。イギリス人によるアメリカ開拓の最初期の人々です。


 一方,スペインの植民地化の目的はカトリックの布教にあった。布教を成功させるためには混血が効果的です。もちろん民族対立がなかったわけではなかったのですが,対立ではなく「同化」が重視されたのではないでしょうか。

②アメリカ合衆国における黒人とアフリカ系
 アメリカ合衆国において「黒人」とは,奴隷貿易によってアメリカ合衆国に連れてこられたアフリカ人とその子孫をいいます。1863年,リンカーン大統領によって奴隷解放宣言が出されますが,時期的にはそれまでに連れてこられた人々とその子孫。
 アフリカ系アメリカ人とは,黒人奴隷の子孫ではなく,移民としてアメリカ合衆国に入ってきたアフリカに出自をもつ人々です。ただしサハラ以北の北アフリカは民族的にはアラブ人なので含みません。
 オバマ大統領は黒人初の大統領といわれることがありますが,オバマさんは奴隷の子孫ではありませんので,正確には黒人初ではなくアフリカ系アメリカ人初の大統領ということになります。また歴史の教科書で南北戦争あたりで「黒人」の語句が使用されているにもかかわらず,地理の教科書では一貫して「黒人」の語句は使われず,「アフリカ系」と使用されているのはこのような理由からです。
 1950年代から60年代にかけて,アメリカ合衆国のアフリカ系アメリカ人が公民権(参政権など)の獲得と人種差別撤廃を求めた大衆運動を公民権運動といいますが,指導者のキング牧師が有名です。先ほどの黒人の定義はキング牧師などが提唱しています。

③アメリカ合衆国人種・民族分布
・アフリカ系
 南東部沿岸諸州で割合が高い。特にルイジアナ州・ミシシッピ州,ジョージア州。
※ルイジアナ州の州都ニューオリンズは西洋音楽とアフリカ系音楽が融合したジャズの発祥の地として知られる。
・ヒスパニック
 南西部のメキシコと国境を接する州テキサス州・ニューメキシコ州・アリゾナ州・カリフォルニア州
・ネイティブアメリカン
 アラスカ州…カナダのイヌイットと同様黄色人種。
・カナダのフランス系
 東部のケベック州フランス系住民が多く,フランス語のみを公用語としている。


④ラテンアメリカの混血
 メスチソ…白人とインディオの混血

⑤ラテンアメリカの国の説明文に使われる語句
・メキシコ…メスチソの割合が多い。(「メ」キシコの「メ」スチソとおぼえる)
・ペルー,ボリビア(低緯度高地)…インディオの割合が多い。
・アルゼンチン…白人の割合が多い。
・ブラジル…日系人が多い(割合ではない)。または日系人の数が世界で最も多い。


⑥日系ブラジル人
 1905年,日本は日露戦争後のポーツマス条約に調印しますが,賠償金が得られず経済は混乱します。農村の疲弊は激しく,貧困が大きな問題となりました。そこで日本人移民の話が持ち上がります。
 ブラジルでは黒人奴隷を廃止しており,労働力不足の解消として日本人移民を受け入れました。移住した日本人は主にコーヒー農園などの農業にたずさわることになります。工業・建設業いわゆる第二次産業ではありませんので注意。

マオリ族
 ニュージーランドの先住民。よく知られている風習にバンジージャンプや,ラグビーのナショナルチームの試合前パフォーマンスである「ハカの踊り」があります。

4.日本の祭り・伝統行事
雪祭り(札幌)
 伝統行事というより観光イベントです。雪や氷の巨大な像が街の大通り飾られます。
ねぶた祭り(青森)
 青森県でおこなわれる夏祭りです。青森市などでは「ねぶた」,弘前市では「ねぷた」といいます。テストではどちらで表記されているかはわかりませんが,青森県ということでおぼえておきましょう。歌舞伎役者のような武者の山車を「ラッセラ」の掛け声とともに練り歩くのが特徴です。
七夕祭り(仙台)
 江戸時代に仙台藩(伊達家)の城下でさかんにおこなわれたのが有名になりました。
竿燈祭り(秋田)
 文字通り長い「竿」に「燈」(ちょうちん)をたくさんぶらさげて,歩いていきます。ちょうちんは米俵を表しており,五穀豊穣を祈願するお祭りです。
※ねぶた祭り・七夕祭り・竿燈祭りは東北三大祭とよばれます。
神田祭り(東京)
 東京神田明神の祭礼。
※京都の祇園祭り・大阪の天神祭とともに日本三大祭りとしてしられます。
祇園祭り(京都)
 京都八坂神社の祭礼。平安時代からおこなわれていた疫病を鎮めるためにはじまった。応仁の乱(1467年~)で一時中断しましたが,京都の町衆らの活躍によって復活。様々な山車が出るので有名です。歴史でもよく出題されます。
天神祭り(大阪)
 天神祭りも全国各地でおこなわれる祭りですが,大阪のものが大規模で有名。「天神」とは「天満宮」に祭られている神様で,菅原道真を意味していることをおぼえておきましょう。
お水取り(奈良)
 東大寺二月堂でおこなわれる修行の1つ。「修二会(しゅにえ)」ともよばれます。「お水」が表すように「水」とは関係なく,「おたいまつ」とよばれる大松明をかついで僧がお堂を駆け回る。奈良の春の訪れを告げる風物詩。
阿波踊り(徳島)
 日本の盆踊りといえばこれ。日本最大の盆踊り。「連」とよばれるチームが次々と独自の踊りを披露します。「阿波」が徳島を表す旧国名であることをおぼえておきましょう。
博多どんたく(福岡)
 福岡のゴールデンウィークの風物詩。阿波踊りと同じく様々なチームが踊りを披露します。

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