地理 第6回 農林水産業   発展編1 世界の農業

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世界各地の農業

1.東アジア(中国)
①中国の農業区分

 基礎編では中国の簡単な三分割の農業区分をお話しました。ここではそれをもう少し分割していきます。

 三区分で東部は南北にわけました。北部(黄河流域)の小麦,南部(長江流域)の米です。この南北の境界は降水量が少ない・多いで分けましたが,これにはある基準があります。北部と南部をわけるのは降水量1000mmのラインで,チンリン山脈・ホワイ川を結ぶラインにほぼ一致します。この境界線をチンリン・ホワイ線といいます。
 そして北部・南部をさらに二分割します。北部の北側は東北区,南側は華北。南部の北側は華中,南側は華南とそれぞれよぶことにします。
 西部も二分割します。北部の乾燥帯地域(砂漠・ステップ)と南部の高地(チベット高原)です。

 北部は涼しく降水量が少ない小麦地帯でした。しかし小麦にも二種類あることを応用編で学んでいます。春小麦・冬小麦ですね。アメリカで学んだことをここでも応用すればよいのです。「春が来た(北)!」でしたね。したがって東北区では「春小麦」華北では「冬小麦」がそれぞれ栽培されています。
 華北は黄河流域にあたります。黄河は文字通り「黄色い河」です。なぜ黄色いかというと,上流の内陸の乾燥帯の土砂が河の水に含まれているからです。この砂の粒子がそのまま風に運ばれて日本にまでたどり着くことがある。「黄砂」とよばれるものです。
 黄河によって運ばれた黄色い土砂はレスとよばれ,もともと生物の少ない場所の土ですからあまり肥沃とはいえません。このようにあまり肥沃でない場所に適した作物として中国ではこうりゃんという作物を栽培しています。こうりゃんはとうもろこしの親戚で,穀類の仲間です。小麦・米が育たない場所でも栽培することができるツワモノです。中国では黄河流域の華北だけでなく,さらに気候の厳しい東北区でも栽培がさかんです。かつて満州国ではこうりゃんを国花としていました。

 南部はアジア的自給農業の典型でもある水稲地帯。かつての時代には「江浙熟すれば天下足る」,の時代には「湖広熟すれば天下足る」とよばれました(別の表現も有り)。江浙(こうせつ)とは長江下流域,現在でいうと「江蘇省」・「浙江省」,湖広とは中流域,現在の「湖北省」・「湖南省」あたりをいいます。古くから漢民族の胃袋を支えてきた地域です。(上右図参照)
 華中はまさに長江が流れる地域,先に述べた下流地帯から中流域の四川省がある四川(スーチョワン)盆地も大稲作地帯です。発展編ではこの四川盆地が重要だと思って下さい。また四川はとうがらしを使ったピリ辛料理でも有名ですね。麻婆豆腐が代表例。
 また茶の栽培地域もこの華中が中心です。清の末期,イギリスが中国における勢力範囲としたのはこの長江流域でした。茶の栽培がさかんなところはかつてイギリスの植民地であった国が多いというのを基礎編でやりましたが,長江流域は茶の栽培がさかんであることとこの流域にイギリスが進出したことは決して無関係ではありません。福建省(華南に入れる場合もあれば,華東という場合もあります)は中国最大の茶の産地として知っておきましょう。
 華南チュー川という河川を中心としています。華中より暖かい地域ですから,稲作も二期作が可能です。

 ここまで中国東部を南北に大きくわけて説明してきましたが,南北にまたがる作物もあります。綿花です。綿花の産地は古くは華北地域でした。中国に伝わったのは宋代末期だとされます。それが元代に栽培が広がり,明代には木綿は大衆衣料となっていました。この需要を満たすため綿花の栽培も華北から長江下流域に広がります。長江下流域の農民がより商品価値の高い綿花に転作すると米の大産地は少し上流の湖北・湖南あたりに移っていきました。
 先に紹介した「江浙熟すれば~」という宋代の言葉が明代に「湖広熟すれば~」に変わっていったのはこういう理由からです。中国で綿花はチンリン・ホワイ線をまたいで栽培されていることに注意しましょう。

 では中国最大の綿花の産地はどこでしょう。実をいうと華北でも華中でもなく新疆ウィグル自治区です。それでは西部をみていきましょう。
 西部全体としては乾燥帯に属します。そのうち北部はゴビ砂漠・タクラマカン砂漠は砂漠気候となり,オアシス農業が,その周辺はステップ気候のため馬や羊の遊牧が営まれています。
 南部はチベット高原が広がります。高山気候となり,やはり植物の栽培にはあまり向いていません。この地域の特色はヤクというウシ科の動物の遊牧です。体毛を長くしたウシって感じ。ヤクは食用としてのほか,高地での荷物運びとして重要な役割を担っています。

②中国の農業政策
 その前に肝心なことを忘れている人,知らない人がいると困ります(笑い)。中華人民共和国は社会主義国です。一応。中国共産党の一党独裁。社会主義(共産主義)の理念は生産手段の公有(国有)と利益・財産の平等分配です。
 それでは進めます。1945年,対日戦争が終結します。その直後から中国は毛沢東率いる中国共産党蔣介石率いる中国国民党の内戦に入ります。共産党は制圧した地区(解放区といった)でその理念のもと,全国の農民を地主から解放していきます。地主の土地を没収して農民に土地を持たせたのです。
 中国は農民の国といってもいいぐらいですから,共産党に共鳴するのは当然です。結局この内戦は共産党の勝利に終わり,1949年に中華人民共和国が成立するわけです。共産党は中国全土の地主制を廃止しました。
 ところが農民が土地を得たところでその規模は非常に小さなものでした。理由は簡単,なにせ人口が多いからです。そこで政府は1953年からの第一次五ヵ年計画において農業の集団化をおこないました。農業生産協同組合(合作社といった)の誕生です。このような農業の集団化は社会主義の農業の特徴であることをおさえておきましょう。
 1958年から第二次五ヵ年計画がはじまり,そこでこの農協はさらに集団化され,人民公社とよばれるようになりました。平均5000戸の農家の集まりです。そこでは生産手段の公有,利益の平等分配が実践され,住民が生産・消費・教育など生活のすべて,そして政治までおこなっていました。

 これで中国の土地改革は一応完成したのですが,その後の自然災害に加え,社会主義ではよくある労働意欲の減退・杜撰な管理などの人災がさかなり,餓死者は出るわの大失敗に終わります。
 そこで1978年,政府が打ち出したのが生産責任制という制度です。生産請負制ともいわれるこの制度は政府から農民が農作物の生産を請け負うのです。請け負った分の生産は責任をもって作って政府に納める。しかしそれを超えた分に関しては農民の自由にしてよいというのです。これで農民の生産意欲は向上しました。自由にしてよいとは,市場に出してもよいということで,これによって社会主義であるはずの中国に自由市場が誕生したのです。この制度は中国の改革開放路線のさきがけとなりました。(改革開放は別の単元で詳しく)
 自由市場の誕生で裕福になった農民は「万元戸」とよばれました。「元」は中国の通貨,「戸」は農家のことですから「お金持ち農家」の意味ですね。そしてそれと同時に人民公社も解体されていったのです。

 このようにして中国は政治は社会主義でありながら,経済に資本主義を導入したわけですが,今度は資本主義につきものの欠点が現れます。貧富の格差です。「万元戸」が出現する一方で,貧農も現れます。貧農となった農民の方が圧倒的に多いのが世の常。彼らは当然,稼ぎ場所を求めて沿岸部の都市に移動して職工として働きます。今日の中国経済を支えている人々は内陸部の農村出身者なのです。
 現在の中国の人口格差・経済格差はこうして起こり,ひいては環境問題をも包括する中国社会全体の問題になっているのです。

2.東南アジア
①東南アジアの稲作
 東南アジアの主要な農業は稲作とプランテーションです。この2つを大きく区分するには,地図に2本のラインを引くとわかりやすい。タイを基準に縦と横のラインです。

 まず稲作はタイを基準に横のラインでさかんです。するとインドシナ半島の国々。インドシナ半島はもちろんモンスーンの影響を受ける地域。なおかつ大陸と地続きですから,大きな河川が流れており,河口には広い三角州を形成しています。まさに稲作にもってこいです。そこで重要になるのが主要河川名です。ベトナムに河口をもつホン川メコン川タイチャオプラヤ川ミャンマーエーヤワディー川の4河川。さらにこのラインを延長していくと,東にルソン島(フィリピン),西にガンジス川がありいずれも米の大産地です。

 米の種類はいくつかありますが,代表的なものにジャポニカ米インディカ米があります。日本や東アジアで作られているお米はジャポニカ米南アジアや東南アジアで作られているのがインディカ米です。
 ジャポニカ米は丸みを帯び,炊くと粘り気がある。だからおにぎり・おすしといった食べ方ができる。インディカ米の方は,細長く粘り気か少なくパラパラしています。炒め物やカレー(日本のようなカレーではない)になどに向いています。よくジャポニカ米の方がインディカ米よりおいしいといいますが,個人的にはどちらにせよ日本の米以外はあまりおいしくない。飛行機の機内食を含めて海外で米を出されると,とても食べられたものではない。唯一おいしい料理はトルコのピラウ(ピラフのこと)でしょう。さすがは世界三大料理です。現地で東南アジアの人に聞いても日本の米はめちゃくちゃおいしいらしい。ただし高くてめったに手に入らないそうです。
 東南アジアのインディカ米のうち,これら河川の低湿地で作られている米は「浮稲」という稲からとれます。中でもタイの浮稲が有名です。インドシナ半島の大半はサバナ気候ですから,雨季と乾季にわかれています。田植えをしたあと雨季が訪れると田んぼは増水します。それに合わせて稲も茎を伸ばす。その背丈は人間よりも高くなる。ではどうやって稲刈りするかというと舟に乗るのです。そして上の部分だけ刈り取り,束ねてボートに乗せて帰る。
 このような特殊な土地柄ですから,浮稲農業は機械化しにくい。その分,人口が多いので農業に就く人手は豊富です。したがって労働生産性は非常に低い。さらに例えばタイなどは気候もよくて二期作・三期作・四期作ぐらいできて,さぞ単位面積あたりの収穫量(土地生産性)も高いだろうと考えがちですが,そうではありません。このあたりの雨季は日本の梅雨どころではございません。浮稲が示すようにとんでもない水量です。土地区画もきちんとできませんし,農薬や肥料も流出してしまう。雨季は年に一度ですから,この雨頼りの一期作が基本になります。(降水にのみ頼る農業を天水農業といい,その意味では原始時代と変わらない)日本をはじめとする東アジアのように土地を有効活用して,最大限の収穫を得られない。つまり土地生産性も低いのです。(ベトナム,特にメコンデルタでは灌漑設備が整っており,二期作・三期作が可能,したがって土地生産性はタイほど低くない)

 とはいっても耕地面積はタイで日本の4倍,ミャンマーで日本の2.5倍,ベトナムで2倍あるわけで収穫量としては日本よりはるかに多い。その上人口は日本より少ない(タイで日本の半分)のですから,米は余る。余る分,輸出に回せるというわけです。
 特にタイは戦前は独立国としての地位を守りました。大きな理由はインドシナ半島はタイを基準に西側はイギリスの植民地,東側はフランスの植民地となり,英仏両国は衝突をさけるための緩衝地帯として中央のタイを独立させたままにしておいたのです。そしてタイの東西ではプランテーション農業がさかんになると,そこでは自然と主食となる食物が不足します。そんな中,重要な役割を果たしたのがタイでした。タイは被植民地となった国々の食料庫となったのです。タイの米の輸出は独立国を守り通すための大切な産業だったのです。
 そんなこんなで農産物の輸出の統計でタイが出てきたら,「天然ゴム」か「米」のいずれかと的を絞り,「インドネシア」とセットで現れたら「天然ゴム」「インドネシア」の統計上に現れないのが「米」と判断しましょう。理由はこの後すぐ・・・。

天然ゴムの輸出 米の輸出量 米の輸入
タイ 32.5 インド 41.5 中国 9.7
インドネシア 22.2 タイ 12.0 フィリピン 5.8
コートジボワール 12.6 ベトナム 9.2 バングラデシュ 5.1
ベトナム 6.6 パキスタン 7.8 モザンビーク 3.0
マレーシア 6.2 アメリカ 5.6 コートジボワール 2.8
世界計(千t) 10512 世界計(万t) 5065 世界計(万t) 5092

[表:発展編6-1 データブック オブ・ザ・ワールド2024より 2021年]
 ではタイの米はどこに輸出されているのでしょう。1つは人口増加が著しいアフリカ諸国,1つは人口の多い中国。そして1つは近隣のインドネシア・フィリピンです。次はこの2国の稲作についてです。
 インドネシアは最初の米の生産の基本ラインから外れます。それではインドネシアは米の生産がさかんではないかというとそうではありません。日本なんかよりはるかに生産している。世界3位の米の生産国で,ジャワ島は米の大産地です。フィリピンは東南アジアの米の生産ラインの延長線上にあり,ルソン島でさかんでした。インドネシアとフィリピンはともに島であり,新期造山帯に属しています。結構険しい山岳地帯もある。広大な平野が少ないので山の斜面を切り開いて棚田にします。インドネシアでは棚田が世界遺産になっているくらいです。
 しかし同時にこれらの島は2つの国の人口密集地でもあります。つまり人口が多いので供給が間に合わないのです。インドネシアは世界有数の米の生産国であるとともに米輸入国でもありました。このあたりは米の輸入量世界1位の中国と考え方は同じです。
 1960年代,発展途上国を対象にある試みが実施されました。「緑の革命」といいます。発展途上国の食料問題を解決するために,アメリカのロックフェラー財団が資金を提供し,高い収穫量が得られるように品種改良された作物を作付けし,食料の増大を図ろうとしました。フィリピンに設立された研究所で開発された稲はインドネシアやフィリピンの米の収穫量を高めました。そして一時は,米の自給率100%を達成し,成功を収めたかにみえました。しかし高収穫品種の導入には化学肥料・灌漑設備などが必要なため,貧富の差を拡大さるという問題点も残します。
 ちなみにですが東南アジアの米の流通業者のほとんどは華人で占められています。

インドネシア(ジャワ島)の稲作
このあたりでは五期作がおこなわれているらしい。奥が収穫期を迎えた稲。手前はまだ穂が青い。

②東南アジアのプランテーション
 東南アジアのプランテーションを代表する作物はまず天然ゴムです。天然ゴムのプランテーションはタイを基準に縦のライン。タイ・マレーシア・インドネシア。インドネシアでも主にスマトラ島がこのラインは入りますね。ジャワ島は米の産地。インドネシアは米は輸入国でも天然ゴムは立派な輸出国です。
 天然ゴムはもともと南米のアマゾン川流域です。19世紀の末から,まずは自転車のタイヤから始まり自動車用へと普及していきます。「ダンロップ」ってタイヤメーカー聞いたことないですか。イギリスの会社ですが,この会社がゴムタイヤの始まりです。しかし南米にはイギリスが入り込む余地がなかったので,自らの植民地であるマレーシアに持ち込んで栽培をはじめたわけです。

 天然ゴムはゴムの木の樹液です。木の幹に傷をつけて流れ出す樹液を集めます。生き血をすするようで残酷な感じがしますね。木だってつらいはずです。当然そんなことを続けられたら木だって衰える。そこで何とかならんかと考えられたのが石油からつくる合成ゴムです。合成ゴムの発明は,天然ゴムのプランテーションに打撃を与えました。
 そこでマレーシアでは天然ゴムに変わる新しいプランテーション作物が作付けされるようになってきました。油やしです。油やしからとれる植物油をパーム油といいます。(植物名は「油やし」,工業原料としては「パーム油」),石鹸やマーガリンの原料になります。
j油やし(マレーシア)
 これとよく似た作物がココやしです。実はココナッツ。ココやしから採取する油はコプラといいます。これも石鹸やマーガリンになります。コプラの方はフィリピンの生産が多い。フィリピンといえば,まずはバナナをおぼえておきましょう。そしてコプラ。

③モノカルチャーからの脱却
 モノカルチャー経済については応用編でお話しました。単一の農産物や鉱産資源に頼る経済のあり方です。この不安定な経済が脱却するには,農業の多角化,工業化の必要性があります。まぁ一朝一夕に産業構造を変えていくのは無理ですが,発展途上国には共通して有利な面があります。人件費が安いということです。これを売りに外国から工場を誘致,海外資本・技術の導入,輸出加工区の設置などをおこないました。
 しかし旧宗主国である欧米諸国からの導入もあって価値観・倫理観まで欧米式になってしまい,労働者の間に個人主義的な傾向がみえはじめました。個人主義的価値観・倫理観は発展途上の国では非能率につながりかねません。そこでマレーシアでは,工業化政策と同時に個人の利益よりも集団の利益を大切にする日本や韓国の社会に見習おうという政策を打ち出します。(マレーシアの場合,国内の民族問題もあった)これをルック・イースト政策といいます。(「東に見習え」)
 こうして現在は様々な問題もありますが,一応は工業化に成功し,バランスのとれた産業構造になってきました。

④要注意 ベトナムの統計
 近年,第一次産業の統計でベトナムが目立つようになってきました。以下にまとめておきます。

米の輸出量
【2022】
コーヒー豆の
生産
【2022】
日本のコーヒー豆
輸入先
【2023】
日本のえびの輸入先
(金額ベース)
【2023】

インド 40.0 ブラジル 29.4 ブラジル 35.0 インド 20.5
タイ 13.8 ベトナム 18.1 ベトナム 27.9 ベトナム 18.8
ベトナム 9.8 インドネシア 7.3 コロンビア 9.6
パキスタン 8.2 コロンビア 6.1 グアテマラ 6.2
中国 3.9 エチオピア 4.6 インドネシア 4.6

[表:発展編6-2 日本国勢図会2024/25より]

3.南アジア
 南アジアの農業地域は大きく4つにわけて考えます。ガンジス川流域,インダス川流域,デカン高原,アッサム地方セイロン島の茶の栽培地域。

①ガンジス川流域
 ガンジス川流域は夏のモンスーンの影響を大きく受ける地域です。中流域はヒンドスタン地方(平原),下流域はベンガル地方といいます。(バングラデシュの語源はベンガル)するとこれまでと同じようにアジア的な稲作地域となります。稲は多くの人口を支えることができますから,ガンジス川流域は世界屈指の人口密集地帯となっています。バングラデシュがそうでしたね。
 また世界でもこの地域でしか生産されていない特有の作物があります。ジュートという作物です。何かというと麻の一種,繊維原料です。この麻は穀物を入れる袋としてよく使われます。
 ジュートは生物分解性が高いことから環境負荷が少ない素材として最近注目され,袋だけでなく衣料・カバンにも加工されいます。バングラデシュは世界最貧国の1つとして知られますが,先進国(特に日本)は積極的に資本・技術を投資して,ジュート加工業を支援しています。
 ガンジス川流域ではありませんが,インド半島西岸も夏のモンスーンの影響を強く受けるところでした。ここでも米は作られる。インド最大の人口の都市ムンバイはこのインド西岸にあります。

②インダス川流域
 ガンジス川流域とは対照的に降水量が少ないのがインダス川流域。米より降水量が少なくて済む作物が小麦でした。特にインダス川中流域のパンジャブ地方をおさえておきましょう。パンジャブは「5つの川」の意味。インダス川とその他4つの支流が流れるところで,インドとパキスタンにまたがっています。インダス文明のハラッパ遺跡があるのもこのあたり。「パン(ジャブ)は小麦」とでもおぼえておきましょう。

③デカン高原
 デカン高原は乾燥帯です。南西の夏の季節風はまずデカン高原にぶつかって上昇気流をつくり,インド西岸に降水をもたらします。そしてデカン高原の上空を通過する。したがってデカン高原上では上昇気流は発生しにくい。デカン高原を越えた季節風は今度はヒマラヤにぶつかり,ここでまた上昇気流となる。だからヒマラヤ山脈の風上側であるヒンドスタン平原にはたくさん雨が降る。
 ではデカン高原では何を栽培しているのでしょう。答えは綿花。このデカン高原,雨はそれほど多くないのですが綿花に最適な土壌が広がってるのです。それをレグール土といいます。玄武岩が風化してできた肥沃度で,綿花土といわれるぐらい綿花栽培に適している。インドの綿花栽培はイギリスの産業革命を支えた。歴史的にも重要です。

④茶の栽培
 茶の栽培は夏に雨が多いこと。イギリスの植民地であること。が重要なポイントでした。この南アジアは典型的な場所といえるでしょう。その前に茶についてのお話。

 茶の原産地は中国南部(雲南省あたり)ではないかといわれています。わたしたちは緑茶やウローン茶・紅茶の形で普段親しんでいますが,実はすべて同じ茶の木なんです。各地域の環境に合わせて多少の違いはありますが,人間の人種と同じで種としての違いはない。
 では何でお茶にはいろんな種類があるかというと,加工方法の違いです。茶の葉には酵素が含まれています。摘み取られた葉をすぐに加熱して発酵させないのが日本の緑茶,発酵の途中で過熱して乾燥させるのがウーロン茶,発酵後に過熱・乾燥させるのが紅茶です。
 茶を飲む文化は新大陸を除いて世界各地にあります。しかも原産地が中国であるという証拠でしょうか,世界各国の「茶」を表す言葉がそのままユーラシア・アフリカ各地で使われている。中国の「チャ」が,そのまま日本では「チャ」と発音する。ロシア語・ペルシャ語・ヒンディー語(インド)・トルコ語では同じ「チャイ」,フランス語では「テ」,英語の「ティー」も「チャ」が語源。飲み方は世界様々ですが,茶の文化は世界共通のようです。
 日本には奈良時代に入ってきたようです。もともとは薬として伝えられた。中国でも昔は高級な薬として飲まれていました。吉川英治の『三国志』の最初の場面は,貧しい主人公劉備玄徳が病気がちな母のために茶を求めて旅をするところから始まります。
 日本において決定的に茶文化を変えたのが,臨済宗の栄西です。彼は宋から禅宗を伝えただけでなく,飲茶の習慣も伝えました『喫茶養生記』という本もも著しています。このことは稀に出題されます。
 アメリカでは茶が独立に大きな役割を果たしました。18世紀,イギリスは植民地アメリカに様々な税を課し,締め付けを強くします。茶条例(茶法)もその1つでした。イギリス東インド会社に茶の独占的販売を認めるというものでした。1773年,ついに本国への不満を爆発させたアメリカ住民がボストン湾に茶を積んで停泊中の東インド会社の船を襲撃,「ボストン湾をティーポッドにしてやる」と叫びながら,茶箱を次々と海に投げ込みました。歴史上「ボストン茶会事件」とよばれています。この事件をきっかけにしてアメリカ独立戦争が勃発したのです。この件があってかどうかはわかりませんが,アメリカ人は紅茶よりコーヒーを好む。アメリカンコーヒーというのがありますが,これはかなり薄味。コーヒーをお湯で割ったようなコーヒーをいいます。私にはとても飲めない。

 それでは南アジアの茶の産地。まずは先ほども出てきました。ヒマラヤの麓のアッサム地方。ここは世界最多雨地域でもある。アッサム地方は茶の栽培地域名(国名ではない)でおぼえておいた方がよい場所です。付け加えるならダージリンも聞いたことがあるでしょう。ここもヒマラヤの麓。ダージリンティーは香りがよくストレートティーで飲むのが好まれます。アッサムティーは渋みが強いのでミルクティーでどうぞ。
 忘れてはいけません。セイロン島(スリランカ)も紅茶の大生産地です。セイロンティーはセイロン島(スリランカ)で作られた紅茶の総称で,場所によって甘み・渋み・香りがさまざまです。
 ちなみにもう1つ有名な紅茶はアールグレイ。グレイ伯爵(イギリスの首相)という意味。これには中国茶が使われます。

カティーサーク号
19世紀,中国から茶葉を運んだ高速帆船(クリッパーとよばれる)。現存する唯一の茶葉専用運搬船。
紅茶販売の老舗トワイニングが出すカティーサークをデザインした紅茶缶


4.西アジア・中央アジア・アフリカの農業
①西アジア・中央アジア・北アフリカの農業
 この地域に共通することといえば,乾燥帯であることです。農業は基本的にステップ気候の遊牧砂漠気候のオアシス農業ということになります。
 この地域の遊牧の基盤となる家畜はですが,地域的にモンゴルの馬西アジア・北アフリカのラクダ(遊牧民をベドウィンという)が特徴的です。これらの地域では移動手段として大きな役割を果たしています。
(もちろん食べたりもします。)
 オアシスは砂漠で水の得られるところですが,水の得方にいくつかの方法があります。まずは湧き水が出るオアシス。オアシスの元来の意味です。砂漠にポツンとある感じです。
 次に河川沿いに形成されるオアシス。この場合,河川に沿って緑地帯が続きます。農業の規模は河川の大きさにもよります。大きなところとしてはエジプトのナイル川流域。灌漑農業によって綿花の栽培がおこなわれています。
 ナイル川下流は知っての通り,古代文明の興ったところです。周期的に起こる川の氾濫が肥沃な土壌を生み出し,小麦の大産地でした。「エジプトはナイルの賜物(たまもの)」といったのは古代ギリシャの歴史家ヘロドトス(異説あり)です。ローマ帝国時代にエジプト属州だけが皇帝の直轄地となったのは,ここが帝国を支える穀倉地帯だったからです。しかしエジプト(現在)の南部にアスワン・ハイ・ダムが建設されると水量が減り,その肥沃さは失われてしまいました。
 古代文明を生み出したという点ではチグリス・ユーフラテス両河川,いわゆるメソポタミアも河川が生み出すオアシスです。

河川に沿って続くオアシス(モロッコ)

 さて中央アジアにアラル海という塩湖があります。このアラル海にはアムダリア川(アム川)シルダリア(シル川)の2つの河川が流れ込んでいますが,流出する河川がないため塩湖となっています。旧ソ連時代,流れ込む河川を利用して灌漑をおこない,綿花の栽培がおこなわれるようになりました。アムダリア川にはカラクーム運河がつくられます。周辺地域は綿花の大産地となりましたが,アラル海への流水量が激減して,いやまアラル海は消失の危機にあります。

 人工的につくられたオアシスもあります。地下水路をつくるのです。地下水を掘り当ててそこから横に穴を掘って,集落に水を引きます。途中,地表からいくつもの工事や修理用のたて穴があけられ,規則正しく並んだ蟻塚のような光景がみられます。
 このような地下水路をイランではカナート,中央アジアではカレーズ,北アフリカではフォガラとよばれています。オアシス農業に共通する作物はナツメヤシです。

北アフリカ(モロッコ)の地下水路のたて穴
地下水路のたて穴

 アフリカ北部の地中海沿岸はおよそ下図のように気候がわかれます。だいたいの目印はアトラス山脈チュニジア
 アトラス山脈の北部は地中海性気候。アトラス山脈の南部はステップ気候このステップ気候のラインを横に広げていくとチュニジアの東の海岸にぶつかります。ちょうど地中海の海岸線が東西の海岸線から南北の海岸線に変化するところ。だいたいここまでがステップ気候です。このラインより南側は砂漠気候です。だから地中海に面しているからといって地中海性気候になるとは限らない。(地中海性気候と回帰線乾燥帯については気候で説明済み)
 地中海性気候の場所では地中海式農業が,ステップ気候では遊牧が,砂漠気候ではオアシス農業がそれぞれおこなわれていると考えればだいたいそれでよい。

 上の地図中のXの線を南から北へと進むと風景が次のように変わります。

①岩石砂漠
②向こうに見えるのがアトラス山脈
③アトラス山脈南麓 短い草が生え,羊が放されている。
④アトラス山脈の峠 標高2260m
⑤アトラス山脈を越えると樹木も見られるように
⑥アトラス山脈の北麓 緑が濃くなる
⑦地中海側に出ると小麦畑が

 サハラ砂漠の南部はサヘル地帯とよばれるステップ気候の地域です。砂漠化が進んでいる地域としてよく例に出されるところです。砂漠化の原因は,気候変動のほか人口増加による過放牧,燃料としての樹木過伐採です。

②アフリカ中部と南部
 アフリカ中部は熱帯となりますので,プランテーション農業が主要な農業です。西部のギニア湾沿岸はかつては奴隷海岸,黄金海岸,象牙海岸(フランス語でコートジボアール)などとよばれ,ヨーロッパ諸国へ莫大な富を供給していました。現在この地域がヨーロッパにもたらす富とはカカオ豆です。
 カカオの原産地は熱帯アメリカです。マヤ・アステカの王がこれを煎じたもの薬として飲んでいたのをコロンブスが持ち帰り,スペイン国王に献上したのがヨーロッパにもたらされた始まりで,これに砂糖などを加えてお菓子として広まったのがチョコレートです。
 日本ではバレンタインデー近くになると1粒何百円にもなる高級チョコレートとなって売り出されます。しかしアフリカのカカオ農園の労働者の多くはチョコレートが何なのかも知らないといいます。西アフリカの農園では児童が労働者として使用されているところもあります。しかもその子どもに賃金が支払われないことも。現代の奴隷といってもよい。
 この子どもたちは周辺のさらに貧しい国から連れてこられます。ブルキナファソ,マリ,トーゴなどです。彼らは連れ去られたり,仕方なしに親に売られたり,お金は子どもを連れて来た人に払われるだけ。
 このような状況は国連などの国際機関をはじめ,子どもの人権を守るNGOなどが詳しく実態を把握していますし,カカオ豆を仕入れる業者,チョコレートの加工・販売する製菓会社もちゃんと知っています。この件に関して無知なのはカカオ農園で働く子どもたちと,最終的にチョコレートを食べる消費者なのです。
 発展途上国の商品を適正な価格で継続的に買取り,その国の経済の自立と安定を促す取り組みをフェアトレードといいます。チョコレートを買うと箱の裏にフェアトレードで仕入れた原料を使用していることを示した表示が書かれており,商品取引だけでなく現地の発展に貢献している(例えば学校をつくる)ことをアピールしているのを目にすることがあります。これはカカオに限ったことではありません。(コーヒー・紅茶などなど)商品を買うとき,一度注意深くみてはどうでしょうか。
 東部のプランテーションにはエチオピアのコーヒーケニアの茶があります。エチオピアはコーヒーの原産地です。カカオは南米原産でアフリカ大陸で多く生産され,コーヒーはアフリカ原産で南米での生産が多い。注意しておきましょう。

 アフリカ南部の農業は1つだけ,アフリカ最南端の地中海性気候でおこなわれる地中海式農業でした。
ここはこのぐらいで。

5.ヨーロッパの農業
①連作
 農業の一番の基本は土地です。次に気候。作物は肥沃な土地で豊富に実ります。肥沃な土地とは農作物にとって栄養価が高いこと。栄養はどのようにして育まれるかというと,自然には河川による土砂の堆積です。大きな川ほど放っておいても肥沃な土砂を下流の低地に運びますので,大きな文明が大きな河川流域で興ったのも当然です。
 もし土地が栄養補給しなかったらどうなるでしょう?土地の栄養はどんどん作物に吸い取られて衰えていきます。当然年を追うごとに作物の実りも減っていく。これを連作障害といいます。このことに人間が気づいたときから,「農業」というものがはじまったといえます。ではどうするの?
 手はいくつかあります。もっとも原始的な方法は,しばらくほったからかしにする。ほったらかしにすると雨・風・雑草・動物さまざまなものがその土地に入り込んで栄養補給してくれます。あえて農作物をつくらないことで土地の回復力にまかせる。休耕地をつくるという手段。
 肥料をやるという手もあります。焼畑農業は森を焼くことでその灰を肥料にします。それでもいずれは土地がやせていくので何年かはほったらかしにしておかなければなりません。堆肥有機肥料は土地に負担をかけずに栄養補給してやることができます。化学肥料は土地よりも作物重視の栄養補給です。
 水源から水を引いて栄養分を補給するというやり方もあります。作物への水やりもおこなえますので一石二鳥。これは「灌漑」という方法です。米(水稲)はほとんどが水田で生産されます。(水を入れない稲を陸稲という)同じ田んぼで何年も同じ作物(稲)を育てられるのは,水を毎年入れることで常に土地の栄養補給ができるからです。だから稲は土地生産性が高い作物といわれるのです。(だから多くの人口を支えられる)
 次に進む前に以上のことを頭に入れておいて下さい。

②ヨーロッパの農業は地中海式農業から
 紀元前のヨーロッパでは農業はアルプス以南の地中海沿岸に限られていました。それでも土地は石灰岩質の土地が多く,肥沃とはいえなかった。そこで地中海沿岸の人々は農業に力を入れるよりも,交易に力を入れる方がためになると考え,自らを養う穀物の多くはアフリカ(エジプト)や中東(メソポタミア)などに頼り, 自分たちは付加価値の高い商品を輸出するようになりました。地中海沿岸で大きな統一国家が成立しにくく,都市国家(ポリス)が栄えたのはそういうわけです。
 それでも彼らも全く農業をしていなかったわけではありません。ただし土地生産性は非常に低いものでした。主食である小麦は毎年同じ土地で栽培するわけにはいきません。そこで耕地を半分にわける。わけた一方で小麦栽培をおこない,一方は何も作らない。次の年はその逆,前年何も作らなかった耕地で小麦を作り,前年栽培した土地は休ませる。これを繰り返すのです。二圃式農業(「圃」は畑の意味。「畑」は和製漢字)といい,二年周期の農業でした。これだと耕地は半分の50%しか活用されないため,土地生産性が低いのです。

 そんな地中海沿岸にも紀元前4世紀から統一国家が生まれはじめました。最初は東地中海にアレクサンダー帝国が,紀元前3世紀にはローマ(このころは共和政)が台頭してきます。最終的にローマが地中海沿岸を支配するのですが,アレクサンダーの帝国(のちに3分裂しますが)にしろローマ帝国にしろ,北アフリカ・中東の肥沃な土地を支配しているわけですから,本国で一生懸命穀物を作る必要はますますなくなってきたのです。そこで大土地所有者なんかは休閑地をやめて商品価値の高いオリーブや果樹に転作していきます。夏の乾燥した気候とテラロッサという石灰岩質の土地が極めて果樹栽培,特にオリーブの栽培に適していたのです。
※テラロッサ
 石灰岩の風化した赤土。
「テラ」=土地,ロッサ=バラ(色)。

 こうして二圃式のうち休閑地は果樹園に変わりました。夏の乾燥した時期にオリーブ・ぶどう・オレンジなどをつくる。オリーブは食用油などに,ぶどうはワインに加工されます。またコルクがしという樹木も重要です。コルクがしの木の皮は剥がれてワインの栓になります。ぶどうとコルクがしは切っても切り離せない関係です。

ポルトガルのコルクがしの樹皮(左)
フランス製シャンパンの栓(右)

 さてもう二圃の一方の土地はどうしたのでしょう。こっちは果実が実らない冬の利用。これまで通り小麦などの穀物を育てるところもあります。でもそれほど収穫量は気にしなかった。いまでもイタリア・スペインは穀物の自給率が非常に低いし,イタリアは世界屈指の小麦の輸入国です。イタリアでも唯一肥沃なのは北部のポー川流域のロンバルディア平原です。この豊かな地方で古代から現代まで,ミラノをはじめとする大都市が栄えたのも生産性が高かったからです。現在ではポー川流域はヨーロッパではめずらしい米の産地となっています。イタリアにはリゾットというヨーロッパではめずらしく米料理があります。
 また小麦から別の農業に転換したところもありました。家畜の飼育です。夏の乾燥に強い羊やヤギを飼育する。その飼育の仕方も夏場は涼しい高地の牧場で飼育し,冬は低地の牧場に戻ってくる。このように季節によって移動先が決まった牧畜を移牧といいます。現在はスイスでおこなわれている農業で,家畜は乳牛が主です。夏の高地の牧草地を「アルム(またはアルプ)」といい,これがアルプスの語源です。アルプスの少女ハイジを知っていますか?その歌「♪おし~えて,おじいさん おし~えておじいさん おしえて~,アルムのモミの木よ~♪」

スイスのマイエンフェルトの風景
「アルプスの少女ハイジ」の舞台

 以上が地中海式農業が始まったいきさつです。まとめると
☆ヨーロッパの地中海式農業
 ・乾燥する夏…果樹栽培(オリーブ・ぶどう・柑橘類) 高地での移牧(ヤギ・羊,スイスでは乳牛)
 ・降水の冬…小麦(冬小麦)など穀物栽培 家畜は低地へ

 少し地中海式農業のイメージ変わりましたか?そう,地中海式農業の特徴は夏の果樹栽培だけれども,そこには牧畜も組み合わさっている。ここには次の混合農業を匂わせるものがあるね。

③混合農業
 ローマがその勢力を広げていくのと同時に,伝統的な二圃式農業も広がっていきます。アルプスより北側(ローマは現在のフランスをガリア,ドイツをゲルマニアとよんでいた)は特にその影響を受けますが,気候が地中海沿岸とは異なりますので,地中海式農業へは発展しません。発展はしませんが,ぶどう栽培だけ気候が許す限り北方に伝えられました。ローマ帝国は伝統的にライン川・ドナウ川をゲルマン民族との国境と定めていました。したがって今でもライン・ドナウ線がヨーロッパのぶどう栽培の北限とだいたい重なります。フランスではロワール川流域が北限。フランス南部のガロンヌ川(下流はジロンド川とよばれる)流域・北東部のシャンパーニュ地方は世界的なワインの名産地です。

 話を元に戻します。アルプス以北で発展したのは三圃式農業です。ニ圃式農業が耕地を二分割するなら三圃式農業は三分割です。3つの耕地をローテーションする。休閑地では家畜を飼います。
 こうすることで土地の3分の2を有効利用できるようになりました。さらにこれが発展すると休閑地がなくなります。穀物栽培のあとにカブやクローバーといった飼料作物を栽培する。特にクローバーなどの豆類は地力を回復させる性質をもっているので輪作にはもってこいの作物。マメ科の作物は大気中の窒素を地中に取り入れる特技をもっているのです。自然界では他に雷と細菌ぐらいといいますから,こいつらできる奴です。飼料作物を栽培するところでは牛や豚といった家畜を飼育して,その排泄物は土地の栄養にもなる。このような農業はイギリスではノーフォーク農業といって,土地生産性を一気に高め,人口を増加させ,やがては産業革命の一因となりました。これが現在のアルプス以北でおこなわれている混合農業です。穀物・飼料作物・家畜の3セット

 次にヨーロッパで産業革命が進展し海外進出が進むと,新大陸・植民地からの穀物輸入が増加していきます。かつてのローマと同じことがここでも起こった。それほど穀物栽培に必死ならなくてもよくなったので,より商品価値の高いものへと重点をシフトしていくことになります。それがかつての地中海沿岸では果樹栽培だったのが,アルプス以北の近代ヨーロッパでは家畜だったのです。混合農業のうち,家畜の飼育に重点をおいたのが酪農です。乳牛は冷涼湿潤の気候を好みます。特にヨーロッパ北部北海沿岸のイギリス・オランダ・デンマークバルト海沿岸のバルト三国で酪農がさかんです。また大都市向けの野菜・草花の栽培に転換していった農業が園芸農業です。オランダのチューリップは大切です。

オランダのチーズ店

 このようにヨーロッパでは連作障害を克服することからはじまり,やがてより商品価値の高い作物に切り替えていくことで,土地生産性・労働生産性を高め自給的な農業から商業的な現在の農業へと発展していったのです。


④イギリス
 イギリスの大ブリテン島の中央に南北に走るペニン山脈があります。偏西風がこの山脈にあたりますから,ペニン山脈の西側で降水量が多くなります。降水量が少ない東側のヨークシャー地方では乾燥に強い羊が飼われ,古くから毛織物業が発達していました。「ヨークシャー地方の毛」と音が似ているのでおぼえやすい。
 イギリスの産業革命は綿工業から始まりました。しかしイギリスは原料である綿花栽培には向いていません。綿花は専らアメリカとインドから入手し,綿織物産業の中心となったのはペニン山脈の西側のランカシャー地方でした。なぜ西側かというと綿という材料は羊毛(毛糸)とは逆に乾燥に弱いのです。乾燥すると柔軟性を失いもろくなる。綿糸を紡ぐ(紡績)とき乾燥しているとすぐに切れてしまうのです。ペニン山脈の西側は東側より湿潤です。だからランカシャー地方が産業革命の中心地となった。中心地はマンチェスター,材料と製品の輸出入はリバプール。世界で最初の実用的鉄道もこの二都市を結んだものでした。

⑤東ヨーロッパ・ロシア
 出題頻度は低いところですが,いくつかおぼえておきましょう。
 東ヨーロッパでは,ドナウ川流域がやはり肥沃で中でもハンガリーを中心にして広がるプスタとよばれる平原が穀倉地帯となっています。あとはブルガリアも農業国で名産品はバラ。香水の材料となります。もう1つ,ヨーグルト。ブルガリアヨーグルトは日本だけでなく世界的に有名です。ロシアのの微生物学者メチニコフがブルガリアを旅行中の見聞からヨーグルトが体にいいことをつきとめ,世界中に広めた。
 ロシアとその周辺に関しては下図のように黒海カスピ海を基準に平行線を描いて考えるとよいでしょう。南からカスピ海以東は綿花(中央アジアで既出),カスピ海ラインと黒海ラインは黒土(チェルノーゼム)とよばる肥沃な黒色土が広がり,小麦の大産地となっています。国でいうとロシアの南部,ウクライナ。ウクライナではもう1つ名産品としてひまわりをおぼえておきましょう。1970年のソフィア=ローレン主演の『ひまわり』という映画の名作があります。この映画の中では何度も地平線まで広がるウクライナのひまわり畑が感動的に映し出されています。将来一度は見て欲しい名画です。
 さらに難易度を上げると,旧ソ連時代つまり社会主義時代につくられた国営農場=ソフホーズ集団農場=コルホーズというのも近年問われることがめっきり少なくなってきましたが,まだ稀に問う学校もあります。


6.南北アメリカ大陸・オーストラリア
①企業的農業
 ヨーロッパの農業が商業的であることを学びました。かつて新大陸とよばれた南北アメリカ大陸・オーストラリアではさらにそれが発展し,さらに多くの資本・機械をつぎ込む企業的な農業がおこなわれています。アメリカ合衆国ではすでに「大農法」という言葉でその特徴を学びました。広い土地であまり手をかけないで作物を作る。気候も土壌も作物に適した場所でつくる(適地適作)ので,手間も肥料も少なくて済みます。つまり土地生産性(単位面積当たりの収穫量)は低い。また機械化が進んでいるので,人手が少なく多くの収穫量が得られる。つまり労働生産性(投入した労働力に対しての生産量)が高い。言い換えればこれが特徴になります。
アグリビジネス
 アメリカ大陸・オーストラリアの農業は食料供給という面はもちろんのこと,ビジネス=お金儲けの面が非常に強い。お金儲けには合理化と効率化が大切です。単純に作物を植え,育て,収穫するだけでなく,そこにはさまざまな関連企業・研究機関が大きく関わってくる。農業機械,化学肥料,農薬,品種開発,流通などなど。これらすべてをひっくるめてアグリビジネスといいます。農業=アグリカルチャーとビジネスを合わせた造語です。アグリビジネスに関わる産業をみていきましょう。
穀物メジャー
 農産物輸出などの流通を支配する大企業です。穀物の生産はしません。生産者から穀物を買い取り,貯蔵・輸送し,世界各地に供給します。集荷・保管・輸送に必要な施設・運搬機器を大規模多数に保有しているため,輸送コストを抑えることができ,収穫時期が異なる穀倉地帯に集荷網をはりめぐらせているため年間を通して安価な食料を供給することができます。
 農産物は気象条件に収穫量が左右されやすい。つまり本来は価格の変動が激しい商品です。これを穀物メジャーは先物取引という方法でそのリスクを回避しています。簡単にいうと将来の商品(農産物)の価格をあらかじめ決めておいて取引する。そうすれば将来穀物価格が下落しても損益を抑えることができる。逆に利益を得ることもある。
 利益を最大限に得ようとすれば,国内外を問わずさまざまな情報収集が必要になる。どこの国の今度の夏の気象条件はどうなるか。どこの国で干ばつが起きて食料不足になるか。逆にどこで豊作になりそうか。あるいはどこの国で戦争や紛争が起きそうかなどなど。そういった情報網も穀物メジャーは市場において何歩も抜きん出ています。
バイオテクノロジー
 穀物メジャーの中には積極的にバイオテクノロジー(生物工学)に研究費を投じるものもあります。根本的な原因は世界人口の増大による食糧問題とエネルギー問題です。
 人口の増大は食糧不足をもたらします。これは地球規模の大問題です。生産量を増やしたいが,手間ヒマはかけたくない。それでは病害虫強くや厳しい自然条件でも育つ品種をつくればよい。さらに遺伝子そのそものを組み替えてスーパートウモロコシ,スーパーダイズを造ろう。遺伝子組み換え作物の誕生です。現在世界の大豆の80%,とうもろこしの30%(いずれも作付け面積)は遺伝子組み換え作物です。
 遺伝子組み換え作物の問題点は生態系への影響や食品の安全性が主なものですが,これが植物だけでなく,家畜などの動物となると人間への応用へと急に飛躍し,倫理面の問題もはらんできます。
 エネルギーの問題も地球環境問題と合わせて重要な問題となってきます。植物からアルコール(エタノール)を抽出して,ガソリンの代わりとして利用しようというのです。この生物(バイオマス)由来の燃料(バイオ燃料)をバイオエタノールといいます。理論的には植物ならなんでもよい。植物の糖分,デンプン質,繊維質(セルロース)からエタノールをつくります。「糖分」の代表例はさとうきび,「デンプン質」の代表例はとうもろこし,「繊維質」は木でも草でも何でも。植物の繊維質のセルロースは分解すると糖になるのでセルロースからでもエタノールは理論的にはつくれるんだけれどもこれがなかなかどうして,難しいらしい。研究は進んでいるので近い将来雑草からでもエタノールをつくれる日がやってくるはずですが,今は専らとうもろこしとさとうきび。まぁ牛でも草を食べて,それを分解しているんだから人間にやれないはずはない。
 バイオエタノールの長所は再生可能エネルギーであるということ。そして二酸化炭素を増やさないことです。(「出さないこと」ではないので注意)というだけで簡単に納得してはいけない。バイオエタノールが将来性があるということで耕地をどんどん広げていく。広げていくために森林を伐採していくとどうなるだろう?たとえエタノールを燃焼したことで発生する二酸化炭素をエタノールをつくるために育てる作物で吸収したとしても(この二酸化炭素プラスマイナス0という考え方をカーボンニュートラルという),森林を伐採したことで地球全体の二酸化炭素の量は減少しなくなるでしょ。逆効果になってしまう。また森林(特に熱帯林)の伐採は他にもさまざまな環境問題を引き起こします。
 また将来性があるということで投機の対象となってしまうと,食料価格の高騰を招きます。食糧不足は発展途上国にとって大きな問題であるはずなのに,発展途上国が食料をを買うことができない。世界の食糧問題を扱う国連食糧農業機関(FAO)は国連食糧サミットなどを開催して,バイオ燃料の問題に取り組んでいます。
 さらにいうととうもろこしは食糧や飼料という役割もあるし,粒の部分しか使用できない。芯や茎はセルロースが主成分のため,先ほどもいったように現在その利用は開発中です。一方さとうきびは茎の糖分を利用しますから,とうもろこしよりも耕地面積あたりのエタノール収量がよいとされます。またアメリカ以外にバイオエタノールの原料となる作物の栽培に積極的なのがブラジルです。と同時にブラジルでは耕地の拡大がアマゾン流域の森林減少を招いています。
・大規模農業
 今度は農業そのものに注目します。アメリカの農業を大きくみると「適地適作」という言葉があてはまりました。さらにその内部をみていくと,「等高線耕作」というキーワードが浮かんできます。等高線耕作とは日本にもある棚田や段々畑のことだと思ってもらえればよい。ただし規模はアメリカの方が断然大きいですけど。
 なぜこんなことをするのかというと,第1に土壌流出を防ぐためです。耕地に傾斜があるままだと風雨の影響を受けて表面の土壌が高いところから低いところへ流出してしまう。第2に洪水対策です。土壌が流出してしまうと地面が保水力を失い大量に雨が降ると洪水を引き起こしてしまう。
 ところが等高線耕作だと機械の力が発揮しにくい。耕地が曲がりくねっているんだからね。そこでアメリカ式効率主義で考えると「そんなこと考えずにまっすぐな四角形の耕地をつくったほうがよいんではないか」ということで等高線に沿った耕地が失われつつある。環境より利益というわけです。

 グレートプレーンズではセンターピボットという水やり機械が使われています。この機械は中心から伸びた水や肥料をまく長いアームが回転します。回転するアームの長さを半径として円が描かれ,その内側(円の中)が農地となる。まさに機械化・大農法を代表する機械ですが,まずこの農法はまさに等高線耕作を無視しています。つまり土壌流出がおこるということです。第二にグレートプレーンズは乾燥帯ですから,灌漑のための水には地下水を利用します。グレートプレーンズの地下には世界最大級の地下水層があり,センターピボットはこの地下水をあてにしています。日本の面積ををこえる広さがあるといいますが,その地下水ですら枯渇しそうだといいます。また地表でまかれる化学肥料によってこの地下水の汚染が進んでいるともいわれています。

 もう1つ畜産について重要な語句があります。フィードロットという肉牛の肥育場。「フィード(feed)」は「餌を与える」,「ロット(lot)」は「区画・敷地」の意味。肉牛をを出荷前に栄養価の高い餌をどんどん与える。マルマルと肥えさせて出荷する。これもアメリカがはじまりです。

②ブラジル
 ブラジルの農業は何といってもまずはコーヒー栽培。欧米資本のプランテーションやラテンアメリカ伝統の大土地所有制度のもとで栽培されています。
※ラテンアメリカの大土地所有制度の大農園(稀に出題 多くは説明文の中で使われる)
 
ブラジル…ファゼンダ
 
アルゼンチン…エスタンシア
 メキシコなど…アシェンダ

 コーヒー栽培の中心地はサンパウロ州,州都はもちろんサンパウロだからサンパウロの位置をしっかりおぼえておけばいいんだけれども,リオデジャネイロがすぐ隣にあって実はこれ,ちょっと難しい。サンパウロをおぼえるときはリオデジャネイロも一緒におぼえておきましょう。二都市ともほぼ南回帰線上にある都市です。ポイントをいうとサンパウロは内陸都市です。したがってコーヒー豆の輸出は外港(内陸都市の港湾機能を担う港)のサントス港からおこなっています。リオデジャネイロの方は有名なコパカバーナビーチがあるくらいだから海に面している。リオデジャネイロはリオ・デ・ジャネイロ。リオは「川」,ジャネイロは「1月(Januaryのポルトガル語)」の意味。「1月の川」の意味なんだけれども川はない。大きな湾があってこれをポルトガル人が最初,川とまちがえたんだそうで。
 さてサンパウロを中心としたブラジル南部はコーヒー栽培に適したテラローシャという土壌が広がっています。地中海沿岸のテラロッサとまちがえないように。玄武岩が風化した赤紫色の土壌です。またコーヒー栽培に適しているのは南北回帰線の間とされ,この一帯をコーヒーベルトといいます。(下図 コーヒー豆の生産上位5ヶ国)南米ではコロンビア,アフリカのエチオピアはコーヒーの原産地。注目してほしいのはベトナムです。このベトナムは近年コーヒー豆の生産量をぐんぐん上げてきており,今後も生産量の統計で要注意国です。

 もう1つ。このコーヒー栽培には20世紀はじめから日本人移民が多く関わってきた。これがブラジルに日系人が多い理由です。19世紀終わり,ブラジルでは黒人奴隷制度を廃止しました。そのためコーヒー農園での働き手が激減,一方日本は日露戦争で賠償金が取れなかったことが響いて農村の貧困が大問題になりました。双方の利害が一致して日本人移民がブラジルに渡ったのです。日本の名作ドラマ『おしん』って知っていますか?今の子は知らないでしょうが,このドラマの最初の方で,日露戦争後,主人公おしんの山形の貧しい小作一家がブラジルへ移民するかどうか悩むシーンがあります。結局ブラジルへの移民をあきらめるのですが,その代わりにおしんは幼いながら奉公に出される。残酷な言い方をすれば口減らしです。

※ブラジル1位の統計
 サイザル麻は本当は麻ではありませんが,繊維の一種です。これも熱帯のプランテーション作物。最近はあまり出題されませんが参考までに。

コーヒー豆の生産 さとうきびの生産 サイザル麻の生産
ブラジル 30.2 ブラジル 38.5 ブラジル 44.7
ベトナム 18.6 インド 21.8 タンザニア 16.4
インドネシア 7.7 中国 5.7 ケニア 10.3
コロンビア 5.7 パキスタン 4.8 マダガスカル 8.0
エチオピア 4.6 タイ 3.6 中国 6.4

[表:発展編6-3 データブック オブ・ザ・ワールド2024 2021年]

 近年,難関校ではブラジルの大豆に関する統計がよく出題されるようになりました。以下はブラジルの大豆・とうもろこしの生産量・輸出量の推移を示したグラフです。
[グラフ:発展編6-4 FAOSTATより]
 大豆・とうもろこし共に生産量は拡大していますが,ブラジルでは大豆の生産量が2000年代よりとうもろこしを上回っています。それと共に大豆の輸出量が大幅にに増加している。まずブラジルの大豆の輸出先のほとんどが中国であることをおさえておきたい。中国では輸入した大豆を油として利用し,残った大豆かすは飼料とします。これは中国での畜産物消費量が増加したことと,米中間の貿易摩擦によってアメリカ産大豆・とうもろこしの輸入量が減少したことにあります。


③アルゼンチン
 アルゼンチンの農業の中心はパンパです。ラプラタ川下流域の肥沃な草原地帯。河口には首都ブエノスアイレスがあります。もちろん小麦栽培が中心ですが,肉牛の放牧もさかんです。家畜の放牧には飼料も必要ですから飼料の代表格とうもろこしの栽培もおこなわれていますし,とうもろこしの輪作にはマメ科の作物が適していましたから大豆も栽培されています。少し難しいですが,マメ科の作物にアルファルファという植物があってこれがパンパの特産物的な作物です。日本でいうとモヤシ?いやカイワレダイコンに近いかな。日本のスーパーでも野菜として買うことができますが,パンパでの利用は牧草です。
 アルゼンチンの農業の発展には冷凍船の発明があったことをおさえておきましょう。いくら企業的な牧畜に適した広い土地があるからといって,それを輸出することができなかったら宝の持ち腐れです。世界の消費地は北半球に偏っていますが,南半球のアルゼンチンやオーストラリアから肉類を輸送すると赤道を越えなければならない。それこそ本当に宝が腐ってしまう。そこで19世紀に発明された冷凍船はその問題を解決したのです。

④オーストラリア
 オーストラリアの農業は北部・中部・南部に大きくわけます。そして3つの地形名がポイントとなる。グレートディバイディング山脈グレートアーテジアン盆地(大鑽井盆地),そしてマーレー川

 中部からみていきます。中部は南回帰線を中心とした地域。つまり乾燥帯です。このうち中央部は砂漠気候なので農業らしい農業は不可能です。ただグレートディバイディング山脈の西側にあるグレートアーテジアン盆地では乾燥に強い羊の飼育がさかんです。
 アーテジアンとは「掘りぬいた」という意味。日本語では「大鑽井(だいさんせい)盆地」といいますが,「鑽」の字も「穴を開ける」という意味があります。なぜこんな名前がついたのでしょう?
 グレートアーテジアン盆地には大量の地下水が蓄えられています。グレートディバイディング山脈に降った雨が水を通す地層にしみ込んで地下水となるわけですが,流れ込んだ先では水を通さない地層に挟まれてしまいます。閉じ込められた地下水は大気に触れることもなく,高い圧力を加えられることになります。(被圧地下水)このような状態で何か(地震など)をきっかけに不透水層に亀裂が入ったとします。すると溜まった地下水が一気に噴き上げます。これを自噴といい,グレートアーテジアン盆地にはこのような自噴井(じふんせい)がたくさんある。自然であれ人工的であれ,深い不透水層を突き抜けて帯水層から水をくみ上げた井戸を掘り抜き井戸といいます。グレートアーテジアン盆地の名前の由来はこの「掘り抜き井戸」にあるのです。したがって切っても切り離せない関係。

 しかしここの地下水,塩分濃度が高くて灌漑用水には向かない。そこで少々しょっぱくても我慢して飲むことができる羊の飲用水として使うことに決めた。オーストラリアで飼育される羊のほとんどはメリノ種という羊です。羊ってほんとにエライね。乾燥にも強く,塩辛い水も飲めて,毛・肉・乳とも人間に大役立ち。

 中部の上下,北部と南部はともに牛の飼育です。南半球では北部は暖かく雨が多いので牧草地に恵まれます。この北部で大規模経営の肉牛。一方南部は冷涼湿潤で,シドニー・アデレード・メルボルンなどのオーストラリアの大都市がある。このようなところは乳牛の飼育に適していました。北半球とは逆に南部で酪農

 オーストラリアで小麦はどこでつくっているのでしょうか。あまり暑いところではやりませんね。降水量は多すぎてもダメ,少なすぎてもダメ。ってことはやはり南部がよい。南部にはマーレー川という川が流れています。このマーレー川流域が小麦の産地。小麦の産地は南北緯40度を基準に考えればよい南緯40度はタスマニア島との海峡を横切ります。

⑤ニュージーランド
 ニュージーランドも畜産業のさかんな国です。偏西風の影響を受ける地域ですから西岸海洋性気候で,イギリスをそのまま南半球にもっていったような国。中央に南北に走る山があるのもイギリスと同じ。偏西風はこの山地にぶつかり西側が湿潤,東側がやや乾燥。したがって湿潤な西部で酪農がさかん。一方東側は雨が少ないので羊の飼育に向いている。酪農と牧羊,これもイギリスに似いている。

 おつかれさまでした。これで世界の農業は終了です。

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