公民 第1回 日本国憲法 発展編

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人権思想の発達と日本国憲法

1 人権を保障するために法(憲法)を定め,その法にしたがって権力を行使することを〔   〕主義(政治)という。
立憲
   立憲主義というのは,憲法の力で国家権力を制限して,国民の権利や自由を守ろうという思想をいい,民主政治の基本原則です。憲法とは,国家権力を抑制する道具であり,この考え方が根付いたのが17~18世紀の市民革命だった。
 その原型はイギリスではじまります。13世紀のマグナ=カルタ(1215)にはじまり,清教徒革命前の権利の請願(1628),そして名誉革命後の権利の章典(1689)。イギリスには現在も憲法(成文憲法)とよべるものは存在しませんが,マグナ=カルタ以降定められた法典が,現在の政治にも活かされています。(不文憲法)
 こうしてイギリスでは大臣の助言によって王が権限を行使する「君臨すれども統治せず」の原則が確立します。そして憲法に基づいて,君主が政治をおこなう政治制度は立憲君主制とよばれ,立憲主義の原型が成立しました。
 その後18世紀はじめ,イギリスではジョージ1世という国王が即位します。このジョージ1世,ドイツから迎えられた王であったため,英語ができませんでした。またさしてイギリスの政治にも興味はなかった。そのため王にかわって政治を取り仕切るものが必要になりました。これが首相のはじまりです。
 初代の首相となったのはウォルポールという人物。ウォルポールは政府(内閣)の長であると同時に,イギリス議会(下院)の議席ももち続けました。議会においても影響力を保持するためです。そして議会(下院)がウォルポールの支持を拒否すると,そのとき彼は王の信任を受けていたにもかかわらず,首相の職を辞任したのです。これが議院内閣制(責任内閣制)のはじまりとなりました。
 近代的な意味で現在の立憲主義と直接つながってくるのは,フランス人権宣言です。人権宣言第16条では「権利の保障が確保されず,権力の分立が規定されないすべての社会は,憲法をもつものではない」と書かれています。否定形が多用されている文ですが,つまりは憲法の核心が,権利の保障と権力の分立にあることを明記し,近代立憲主義の思想を表現しています。
   
2 明治憲法では,三権分立が採用されていたが,天皇は〔 ① 〕の総攬者として三権は天皇に属していた。また軍の命令指揮権も天皇にあり,〔 ② 〕の独立として議会や内閣はこれに関与できなかった。
①統治権  ②統帥権
   明治憲法(大日本帝国憲法)では,天皇は国家元首であり,主権者であり,立法・行政・司法の総攬(そうらん)者であるとさられました。「総攬」とは権力を一手に握るという意味です。その地位は「万世一系(永遠に受け継がれる)」であり,神聖不可侵とされました。
 天皇は,国家の意思決定について大きな権限(天皇大権)をもち,その1つが統帥権(とうすい)です。陸海軍の最高指揮権のことで,政府も議会を全くこれに関与できなかったという点が重要。昭和の戦争が軍部主導でおこなわれたのは,この統帥権をかざしてのことでした。歴史作家の司馬遼太郎氏はこれを「魔法の杖」とよび,批判しました。
   
3 明治憲法が保障する基本的人権は,〔 ① 〕権・〔 ② 〕権・〔 ③ 〕権であった。
①自由  ②参政  ③請求(順不同)
   明治憲法が保障する「臣民の権利」は,自由権を基本として,参政権・請求権だけでした。さらに日本国憲法と比べるとかなり限定的です。
 自由権は法律に基づけば必要な制限を加えることができる「法律の留保」が明記されており,「法律の留保」とは「法律の範囲内で(において)」という表現です。唯一,「法律の留保」の条文規定がなかったのは信教の自由だけです。しかしこれも日本国憲法的に無制限に保障されたのではありません。むしろ逆。「法律の留保」を伴わないということは,法律でなくても制限できるという意味です。28条には「安寧秩序を妨げず,かつ,臣民としての義務に背かない限りにおいて」と定められていました。
 参政権の規定については,具体的には衆議院の選挙のみです。もちろん選挙権・被選挙権については別途法律で定められることになりましたが,平等権の規定はありませんから,選挙法で定められる選挙は婦人参政権のない制限選挙です。
 衆議院議員の選挙権に関しては,歴史で学びましたが,被選挙権についてお話すると,最初の選挙法では,直接国税15円以上を納める満30歳以上の男子で,選挙権とは違ってそれ以降の改正では直接国税の制限はなくなり,すべて満30歳以上の男子となります。
 請求権も限定的でありますが,裁判を受ける権利請願権などが認められていました。
   
4 明治憲法のもとで帝国議会は天皇の立法権に同意する〔   〕機関と位置づけられていた。
協賛
   明治憲法は外見的には権力分立の形をとっていましたが,立法権・行政権は天皇に属していました。そこで帝国議会は立法権をもつものではなく,天皇の協賛機関という地位にありました。「協賛」とは,天皇の立法権行使(法律・予算など)に協力し,同意(賛成)するという意味。
 衆議院と貴族院は衆議院の予算先議権を除けば対等な関係にありました。衆議院の任期は4年,貴族院は7年でしたが,衆議院は任期途中の解散があり,解散権は天皇にありました。当然,議会の国政調査権もありません
   
5 明治憲法のもとでは,内閣は〔   〕に対して責任を負っていた。
天皇
   明治憲法では,行政権も天皇にあり,国務大臣は天皇の統治権を輔弼(ほひつ)して行政権を行使すると規定されていました。内閣は天皇の輔弼機関というわけです。「輔弼」とは助言したり,援助したりすることです。
 憲法には議院内閣制の規定はなく,内閣総理大臣は議会と無関係に任命されます。各国務大臣は個別に天皇の行政を輔弼することになっており,天皇に対してのみ責任を負っていました。内閣総理大臣の権限も小さく,国務大臣任免権はなく,他の国務大臣と同格とされていたため,内閣のまとまりが弱かった。だから閣内不一致がおきても大臣を罷免することができず,軍部の独断を防ぐことができなかった。
   
6 国家の重要問題に関して,天皇の諮問に答えるために〔   〕が設置され,内閣や議会に大きな影響力をもった。
枢密院
   内閣・帝国議会の上には,天皇の最高諮問機関として重要国務を審議する機関が設置されました。それが枢密院。「諮問」とは意見を尋ねることです。
 憲法制定のために設置され,初代枢密院議長は伊藤博文です。その後も憲法問題を扱ったため,明治憲法下では「憲法の番人」とよばれていました。
   
7 明治憲法のもとでは,〔 ① 〕裁判所の設置が認められており,軍法会議・皇室裁判所・〔 ② 〕裁判所があった。
①特別  ②行政
   明治憲法のもとでは,司法権はある程度独立しており,裁判所がもっていましたが,天皇の名において裁判はおこなわれました
 しかし特別裁判所というものが設置されおり,これはよく出ます。軍人が裁判官となる軍法会議,行政官が裁判官となる行政裁判所,特別に任命された皇室裁判員(枢密院議長など)が皇室問題を裁く皇室裁判所の3つです。現在の最高裁判所にあたる裁判所は,大審院とよばれていたこともおぼえておきましょう。
8 明治憲法の改正の発議権は〔   〕にあった。
天皇
   天皇の発議のあと,帝国議会において出席議員の3分の2以上の賛成で改正可能であった点も日本国憲法と大きく異なります。
   
9 明治憲法下の民法では,家族の中心は〔 ① 〕で,その地位は〔 ② 〕相続が原則であった。
①戸主  ②長子
 
10 戦後,幣原(しではら)喜重郎内閣のもとで明治憲法改正案が作成(松本草案)されたが,〔   〕はこれを拒否し,〔   〕草案をもとにして日本国憲法が制定された。
マッカーサー(GHQ)
   GHQに提出された松本烝治東大教授の改正案は,もとの明治憲法の字句修正でしかなかったため,マッカーサーによって一蹴され,GHQ側が作成した土台をもとに新憲法が作成されました。
 1946年10月,第90回帝国議会において可決されるわけですが,注意したいのはこの帝国議会の衆議院はすでに公職選挙法改正で,初の男女普通選挙によって選ばれた議会であったことです。
   
11 憲法は国の最高法規と位置づけられ,天皇や大臣,国会議員,裁判官など,公の地位にある人々には憲法〔 ① 〕・〔 ② 〕の義務がある 
①尊重  ②擁護 
   これまでみてきたように,憲法を守る義務があるのは,国民ではありません。国家権力を行使するものです。 【第99条】
   
12 国連で採択された人権に関する条約には,あらゆる人種差別の撤廃に関する〔 ① 〕(1965),国際人権規約(1966),女子差別撤廃条約(1979),子どもの権利条約(1989),障がい者の権利に関する〔 ② 〕(2006)などがある。
①人種差別撤廃条約  ②障がい者権利条約 
   国際人権規約は,社会権規約(A規約)自由権規約(B規約),それにB規約の選択議定書から成り立っています。「議定書」というのは,条約を補完するための下位の条約です。下位といってもそれはそれで独立した条約ですから,批准すれば拘束力をもちます。有名なのが,気候変動枠組み条約のもとで結ばれた「京都議定書」ですね。
 この条約全体として共通しているのは,民族自決権というのも保障していることです。条約が採択された1966年は,アフリカ諸国を中心に植民地からの独立が相次いだ時期だったことを考えると,それを反映したものといえます。
 さて社会権規約は,「経済的・社会的・文化的権利に関する国際規約」というのが正式な名称で,労働・健康・社会保障などのいわゆる社会権の保障です。そして自由権規約は,「市民的および政治的権利に関する国際規約」というのが正式名称。個人の市民的・政治的権利を尊重し,平等権・自由権を保障するのがねらいです。
 さらに自由権規約には,2つの選択議定書が付属します。第一選択議定書第二選択議定書とよばれます。選択だから,自由権規約を批准しても議定書を批准しなくてもよいということです。
 第一選択議定書には,個人通報制度というものが定められています。権利の侵害にあった個人が国連に申し立てをおこなうことができるという制度。そして第ニ選択議定書には死刑制度の廃止が定められており,別名:死刑廃止条約ともいいます。 
 ではここからが重要な点です。この国際人権規約に対する日本の立場を理解しておきましょう。まず社会権規約・自由権規約とも日本は批准しているということ。ただし社会権規約中,公務員の団体行動権,祝祭日の給与支払いについては留保しています。(※留保とは条約中の特定の内容の自国への適用を排除・変更すること)そして自由権権規約の2つの選択議定書には批准していないということ。
 ではなぜ日本は選択議定書を批准しないのでしょうか?まず第一選択議定書については「司法権の独立」を損なうおそれがあるからです。個人通報制度は,国連へ申し立てができる制度ですが,その前に国内裁判において最終判決が出されているはずです。その申し立てが通った場合,国連は日本の司法判決に異議を唱えることになるからです。同様に女子差別撤廃条約の選択議定書(個人通報制度)についても日本は批准していません
 第ニ選択議定書についてはもっと明確です。日本には死刑制度があるからです。(よい悪いの問題ではここでは置きます)

 それでは日本が批准していない代表的な国際人権条約をおさえておきましょう。
ジェノサイド条約(集団殺害罪の防止および処罰に関する条約)
 「ジェノサイド」とは,「大量殺戮」を意味する言葉です。歴史的例はナチスドイツのユダヤ人殺害(ホロコースト)でしょう。この条約締約国には,戦時・平時を問わず,集団殺害の残虐行為を防止する義務がある。するとその防止手段には武力の行使もありえるわけです。つまり日本は憲法9条という点から条約批准が難しいというわけです。
国際人権規約自由権規約の選択議定書(第一・第ニ)
女子差別撤廃条約の議定書(個人通報制度)
移住労働者権利保護条約
 日本をはじめアメリカやヨーロッパの多くの国が批准していない条約です。失業率・治安の悪化を懸念してのことです。
拷問等禁止条約の選択議定書(個人通報制度)
 拷問等禁止条約は批准しています。
 

国民主権・平和主義

1 皇位継承や皇室に関する法律を〔   〕という。
皇室典範
   皇室典範(てんぱん)は,戦前は憲法と双璧をなす地位にありましたが,現在では法律の1つです。名称だけが,戦前のものを引きつぎました。皇位継承は男系男子と決まっています。男系とは,男性の血筋という意味です。過去には一時的な女性天皇はいましたが,男系女性天皇です。そのあとは必ず男系天皇の血筋から天皇は即位してきましたので,女系天皇はこれまで存在しませんでした。そして現在は男系の男子と定められています。
   
2 憲法改正の国民投票の手順を定めた法律を〔 ① 〕といい,投票年齢は〔 ② 〕歳以上である。
①国民投票法  ②18
   憲法改正の手続きについては,【第96条】に定められていますが,国民投票については過半数の賛成とあるだけで,具体的な投票制度についてはつい最近まで規定されていませんでした。つい最近とは2007年(2010年施行)です。投票年齢は18歳以上と定められ,これにともなって選挙法が改正され,2015年に選挙権が18歳以上に引き下げられました
 有効投票総数(賛成票と反対票の合計)の過半数で成立するとされているのですが,最低投票率制度はないため,投票率が低くても憲法改正は成立してしまうという危うさがあります。
   
3 自衛隊の最高指揮監督権は〔   〕にある。 
内閣総理大臣
   【第9条】のもと日本は,戦前の反省,周辺諸国への配慮から,自衛隊の防衛力に対するさまざまな歯止めをかけてきました。文民統制非核三原則防衛費GNP(GDP)1%以内集団的自衛権の否認などです。
 自衛隊の暴走を防ぐため,自衛隊の行動や権限については,内閣及び国会が指揮・監督する文民統制(シビリアン=コントロール)をとっています。  
   
4 非核三原則は,1967年,〔   〕首相が国会で言及し,71年に衆議院で決議された。 
佐藤栄作 
   
5 日本の防衛費が無制限に増加するのを防ぐだめ,防衛費は対GNPの〔   〕%と設定されていたが,1987年にこの歯止めは解除された。 
1 
   自衛隊が自衛のための必要最小限度のものならば,何をもって最小限度かを示さねばなりません。そこで1976年に,国民総生産(GNP)の1%を超えないことをめどとするという閣議(三木内閣)がなされ,中曽根内閣の1987年にこれを突破するまでの目安とされました。
 しかしその後バブル崩壊後の財政難で,増額は続かず,逆に1%枠は概ね守られています。現在では国内総生産(GDP)の約1%で,およそ5兆円です。 
 日本のGDP(国内総生産)がおよそ500兆円であることは,知っておいた方がよいでしょう。その1%だから5兆円ということになる。世界ではアメリカの対GDP比5%が突出しているぐらいで,ヨーロッパ先進国でも2%ぐらいが普通です。自衛隊は軍隊とされていませんが,先進国では低い方です。(額は大きいことに注意)
 また一般会計歳出における防衛費の割合も数字を問われる(選択肢)こともありますが,グラフからわかるように5%強です。この数字をおぼえておいてもかまいませんが,防衛費がGDPの1%で5兆円だから,一般会計の歳出総額がわかれば,計算で求めることもできます。仮に歳出総額が100兆円だとしたら5÷100×100=5(%)。これに一番近い数字を選べばよい。
 昨今の国際情勢に鑑み,岸田内閣は2027年度には防衛費とそれに関連する経費を合わせてGDPの2%に達する予算措置を講じるよう指示しました。例えばNATO加盟国には国防費はGDPの2%という基準があります。日本はアメリカを除くNATO加盟国よりGDPが高いため,このまま進めばアメリカ,中国に次ぐ国防費となります。

[グラフ:発展編1-1 防衛庁ホームページおよびSIPRI Military Expenditure Databaseより作成]


[グラフ:発展編1-2 SIPRI Military Expenditure Databaseより]
 世界の軍事費についても想像通り,1位はダントツ,アメリカ2位中国。アメリカは2001年,同時多発テロ以降,伸びていることに注意。そして中国の軍事費は年々増加していることにも注目しておく。
   
6 安保条約に関連して,日本に駐留するアメリカ軍の施設やアメリカ軍との裁判管轄関係などを規定している協定を〔   〕という。 
日米地位協定 
   1951年日米安全保障条約が結ばれます。1957年,米軍が使用する東京都砂川町の立川飛行場の拡張を巡って,基地反対派が飛行場内に侵入し,安保条約に基づく刑事特別法違反で起訴されました。これを砂川事件といいます。
 1959年,砂川事件の第一審(東京地裁)では,駐留米軍が【第9条】の禁止する「戦力」にあたるとして,違憲判決を下しました。しかし最高裁は【第9条】の戦力は日本の戦力であって駐留米軍はこれに該当しないとします。そして次が大事です。高度に政治性を有する国家の行為については,司法審査の対象とならず,国会や内閣の判断にゆだねられるべきであるとして,憲法判断を回避したのです。このような考えを難しくは「統治行為論」といい,以後【第9条】を根拠とする憲法判断の先例となりました。

 1960年,大規模な安保闘争を押し切って新安保条約が成立しました(岸信介内閣)。ポイントはこれまでどおり米軍が日本に駐留することを認めること以外に,日米の共同防衛義務,重要事項の事前協議制度といった日米関係がより対等なものになったということでした。そしてこの条約に基づいて結ばれたのが日米地位協定です。駐留軍には治外法権などが認められており,いわば米兵を守るたための協定です。
 しかし沖縄などで米軍兵士による犯罪がおこると,米軍有利な地位協定の改定を求める声が大きくなってきます。しかし日米両政府は,協定の改定ではなく,運用の改善によって対応しようとしているのが現状です。
 また日米地位協定と在日米軍駐留経費負担特別協定に基づいて,在日アメリカ軍駐留経費の日本側負担の一部を防衛省の予算として計上しています。この予算は通称:「思いやり予算」とよばれています。「思いやり」の理由は,当初1970年代のアメリカ経済の停滞をおもんばかってのことでしたが,その後,米兵のレジャー・娯楽施設にも範囲が広がり,その額も年間2000億円前後,駐留経費の70%以上に達しています。これは他国に比べてその割合がダントツに大きいため,その削減がさけばれています。 
   
7 外国からの武力攻撃に対し,自国を防衛するため必要な措置をとる権利を〔   〕という。 
個別的自衛権 
   他国からの武力攻撃に対して,自国を防衛するため実力を行使できる個別的自衛権は,独立国家がもつ当然の権利だと考えられています。
 では【第9条】で戦争放棄を定める日本はどうでしょうか?当然もっていることになります。そこで自衛隊が存在するわけですが,政府見解では,「国家は自衛権を有しており,自衛隊は自衛力(自衛のための必要最小限度の実力)であって戦力ではない」としています。他国へ攻撃することなく,他国からの攻撃から自国を守るための行動を専守防衛といい,専守防衛に徹するのが,日本における個別的自衛権の行使ということです。
  この自衛隊が合憲かどうかが争われた裁判で,1973年の長沼ナイキ訴訟では,札幌地方裁判所は自衛隊を憲法違反とする判決を出しました。これが唯一の自衛隊違憲判決です。その後,高裁(札幌)でも最高裁でも憲法判断は回避されました。
 また1989年,茨城県の航空自衛隊の基地建設問題で,自衛隊が憲法違反かどうかをめぐって争われた百里基地訴訟においても最高裁での憲法判断はなされていません。
 これらいずれの裁判も最高裁は統治行為論を使って,憲法判断を回避しているのです。したがって「最高裁で違憲判決(または合憲判決)がだされたことがある」という文は誤文となります。 
   
8 日本国憲法第条により,アメリカが攻撃されても日本は共同防衛にあたることはできないという〔   〕の禁止が,1972年以来とってきた政府見解であった。しかし2014年,安倍内閣は憲法9条の解釈を変更して,〔   〕の行使の容認を閣議決定した。 
集団的自衛権 
   集団的自衛権とは,ある国が武力攻撃を受けた場合,攻撃を受けていない第三国が攻撃を受けた国を援助して共同で防衛にあたるというものです。日本の場合,日本が攻撃を受けた場合,アメリカが日本の防衛をおこないます。安保条約ですね。ところが逆に,アメリカが攻撃を受けた場合はどうでしょうか?
 個別的自衛権がどの独立国にも認められているというのは,明らかなことでしたが,集団的自衛権が認められたのは,国連憲章で明記されてからのことです。そして「個別的自衛権とともに集団的自衛権は日本にも認められているが,【第9条】上,それを行使することは防衛のための自衛権の範囲を越えるため行使できない」というのが,日本政府の見解でした。
 しかし現在の世界情勢ではそんなことはいってられないという機運が高まってきています。まず第一にテロの拡大です。きっかけは2001年のアメリカ同時多発テロ。本土をテロによって攻撃されたアメリカはタリバン政権下のアフガニスタンをNATO諸国と連携して攻撃をおこないました。NATOは集団的自衛権に基づく集団防衛体制の典型例です。
 ここで自衛隊と個別的自衛権・集団的自衛権に対する日本政府の見解の変化をみてみましょう。

・制定時(1946)…吉田内閣
 第2項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果,自衛権の発動としての戦争も, 交戦権も放棄している
・朝鮮戦争…吉田内閣
 警察予備隊の目的は全く治安維持にあるので,それは軍隊ではない。
・1972年…田中内閣
 「第2項が保持を禁じている「戦力」は自衛のための必要最小限を超えるものである。それ以下の実力の保持は同条項によって禁じられていない。
 「わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは,わが国に対する急迫,不正の侵害に対処する場合に限られるのであって,したがって他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は,憲法上許されないといわざるを得ない。」→集団的自衛権の否認
・1990年…国連軍への参加と協力に関する政府統一見解
 国連軍の目的,任務が武力行使をともなうものでも国連軍の武力行使と一体にならない限り,自衛隊の協力は憲法上許される。→湾岸戦争後,ペルシャ湾の機雷除去に自衛隊の掃海艇を派遣(初)。1992年,PKO協力法に基づいてカンボジア派遣(初の海外領土)。
・2014年…安倍内閣
 わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し,これによりわが国の存立が脅かされる場合において,必要最小限の実力を行使することは,自衛のための措置として,憲法上許容される

 安倍内閣にいたっては集団的自衛権を限定的ではありますが認めている点が重要です。「わが国と密接な関係にある他国」とは,具体的にはアメリカのことでしょう。「わが国の存立が脅かされる場合」というのは「存立危機事態」といい,日本の存立や国民の権利が危うくなるケースで,これにあたると判断されれば,自衛隊は他国軍と一緒に戦うことができるというのです。
 安倍内閣は,この見解に基づいて2015年,平和安全法制整備法(安全保障関連法・安保法制)を成立させました。自衛隊の役割を拡大するため,関連法を一括して改正させるための法律です。  
   
9 自衛隊が防衛出動をおこなうような緊急事態がおきた場合,自衛隊や政府諸機関が円滑に行動できるよう,あらかじめ法整備をおこなうことを〔   〕という。 
有事立法 
   安保条約はそもそも冷戦を背景としていました。具体的な相手(敵)はソ連です。そして安保条約に基づく具体的な防衛協力のあり方をまとめたものを「ガイドライン(日米防衛協力のための指針)」といいます。
 1990年代,冷戦が終結し,ソ連の脅威がなくなると,当然,日米安全保障の再定義が必要になり,ガイドラインも見直さなければならなくなりました。そこで1997年,新たに「日本の周辺において発生しうる事態」への対応を盛り込んだ新ガイドラインがつくられました。これにともなって周辺事態法(現:重要影響事態法)をはじめとする国内法の整備がはじまりました。
 2001年アメリカ同時多発テロを受けて,テロ対策特別措置法(テロ特措法)が成立し,自衛隊がテロ対策に限って,戦時に米軍などの軍事行動を後方支援できるようになりました。これによって自衛隊がインド洋に派遣され,米軍支援をおこなったわけです。戦時としては初めての自衛隊海外派遣です。
 さらに2003年イラク戦争終結後,イラクの復興支援や治安維持活動のため,イラクの非戦闘地域に限って自衛隊を派遣します。
 また1990年代から北朝鮮が長距離ミサイルの発射実験を繰り返します。このような自衛隊の積極的な海外派遣,周辺国の動向から,日本はいつ武力攻撃や戦争に巻き込まれないとも限らない。有事(緊急事態)の際には国家が迅速に態勢を整えなければならないということで,あらかじめ有事法制を整備しておく(有事立法)必要にせまられました。
 有事関連法には,他国からの武力攻撃に対処する際の理念や手続きを定めた武力攻撃事態法,有事における自衛隊の活動を円滑化するための改正自衛隊法,有事に対処する政府機能の強化をはかる改正安全保障会議設置法,武力攻撃を受けた際に,国民の生命・財産を守るため,国や地方公共団体,医療・交通といった公共機関などの役割を定めた国民保護法などなどです。 
   
10 ソマリア沖やアデン海での海賊行為から,日本に関係する船舶の航行を守るための法律を〔   〕といい,これによって自衛隊や海上保安官の海上船舶護衛任務おける武器の使用が認められることになった。  
海賊対処法  
   きっかけはアフリカのソマリアを拠点とする海賊行為が急増していたことになありました。各国政府は海軍の戦艦を現地に派遣し、航行船舶の護衛をはじめていましたが,日本関係の船舶の護衛は外国に任せっきりの状況だったのです。
 日本の領海外で行われる自衛隊の警備活動は,護衛の対象は日本船籍の船,日本企業の運航する外国船,日本人が乗船している船に限られ,外国船を護衛することはできませんでした。また武器の使用は警告射撃,正当防衛,緊急避難,武器防護のために限られていました。いずれも憲法9条との関係から,海外での武器使用を限定すべきだという理由でそうなっていたのです。
 この海賊対処法では,護衛の対象を拡大し,日本関係の船舶だけでなく他国船舶も保護対象とします。また武器の使用を拡大し,海賊船が民間船舶に著しく接近し,停船命令に従わない場合に,他に手段がなければ船舶停止のための船体射撃もできるようにしました。条件を絞ったとはいえ従来の範囲を超えて船体射撃ができるという点は,憲法が禁止する「武力の行使」からみて大きな転換です。
 この結果世界中どこでも武装した自衛隊を海賊行為対処という名目で派遣することができ,事実上戦闘行為が可能になったのです。 
   
11 日本の外交・安全保障の意思決定を,迅速かつ適切におこなうために,〔   〕(日本版NSC)が設置された。
国家安全保障会議
   有事関連法に基づいて,アメリカの国家安全保障会議(NSC)をならって設立された機関で,内閣総理大臣,外務大臣,防衛大臣,官房長官らで構成されます。
   
12 日本の安全保障に関する情報のうち,特に秘密にすることが必要なものを〔   〕として指定し,この漏洩による罰則を定めた法律を〔   〕保護法という。
特定秘密
 
13 沖縄県の〔 ① 〕(宜野湾市)にあるアメリカ軍海兵隊基地は,安全性や騒音,アメリカ兵による刑事事件などから〔 ② 〕(名護市)への移転が計画されている。
①普天間  ②辺野古
 

基本的人権の尊重

1 アイヌ人に対して,明治政府は〔 ① 〕を制定し,農業用地の供与を目的にアイヌの共有地を奪った。この法律は1997年に〔 ② 〕が施行されたことで廃止された。さらに2019年,〔 ② 〕は〔 ③ 〕が制定されたことで廃止された。
①北海道旧土人保護法  ②アイヌ文化振興法 ③アイヌ施策推進法(アイヌ民族支援法)
   幸福追求権【第13条】平等権(法の下の平等)【第14条】はすべての人権の根底にあり,すべての人権を包括する権利です。だから憲法の条文で一番最初に登場する権利なんです。【第15条】以下と新しい人権を保障するための権利です。
 アイヌ文化振興法は法の下の平等に関する,もっともよく出題される代表的な法律です。まずは法の下の平等【第14条】をめぐる最高裁の違憲判決からみていきましょう。
尊属殺人重罰規定(1973)
 刑法200条にある尊属殺人(祖父母・父母など)に対する刑罰(死刑または無期)が,普通殺人(刑法199条)と比べて不当に重い。→刑法200条の違憲無効→国会が刑法200条を削除(1995)。特定の法律に対する初めての違憲判決でした。
衆議院議員定数不均衡(1976・1985)⇒《公民:第2回発展編》
 衆議院選挙で2度の違憲判決。(参議院では出されておらず,両院とも「違憲状態」と判断されたことはある。)
非嫡出子(婚外子)国籍訴訟(2008)
 婚姻関係にない日本人男性とフィリピン人女性の間に生れた子どもたちが,日本国籍の確認を求めて裁判。子どもは出生後,日本人男性の認知(親子関係をの同意)を受けている。
 国籍法では,外国籍の母から生れた子どもは,両親が結婚していなければ日本国籍が取れないことになっていた。例外的に出産前に男性が子どもを認知した場合は取得可能。出産後の認知では日本国籍は認められないことになっていました。→出生後の認知では日本国籍を認めない国籍法の規定は違憲国籍法改正(2008)。
非嫡出子相続格差(2013)
 非嫡出子の法定相続分を嫡出子の2分の1とする民法の規定→違憲判決→民法改正(2013)
・女性の再婚禁止期間(2015)
 女性の再婚禁止期間(前婚の解消から再婚までの期間)が6ヶ月であり,100日を越える民法の規定は過剰な制約である。(男性には再婚禁止期間がなく,女性にあるのは,生れてくる子どもの父親推定に混乱が生じるため)→【第14条】・【第24条】違反→民法改正(2016)

 次に法の下の平等に関する差別の事例と関連法についてみていきます。
・部落差別(同和問題)
 1965年,同和対策審議会答申(同和対策の基本方針)では,同和問題を「基本的人権に関わる問題」とし,早急な解決を国家の責務とします。1969年には同和対策事業特別措置法が制定され,その失効後に地域改善対策特別措置法を制定しています。現在は国策としての同和対策は終わったとしていますが,未だにいわれのない差別に苦しむ人は存在します。
・アイヌ民族など少数民族への差別
 明治時代に制定された差別的な北海道旧土人保護法が廃止され,アイヌ文化振興法が制定されました。旧法は,保護という名の下にアイヌ民族の土地を没収したり,風習を禁止したり,日本風氏名に改名させたり,民族や文化を否定するものでした。アイヌ文化振興法を成立させたのは,アイヌ民族初の国会議員:萱野茂(かやのしげる)という人物です。
 さらにアイヌ文化振興法は,文字通り文化振興が主な内容であったため,2019年にはアイヌ民族を北海道の先住民族との認識を示し,その誇りが尊重される社会を実現するための施策を推進する法律が制定,施行されました。アイヌ施策推進法(またはアイヌ民族支援法)といいます。これによって先のアイヌ文化振興法は廃止されます。
☆アイヌ民族に関する法律
 北海道旧土人保護法(明治期)→アイヌ文化振興法→アイヌ施策推進法(アイヌ民族支援法)

 また在日韓国人・朝鮮人に対する差別も忘れてはいけません。
ハンセン病患者
 国立ハンセン病療養所の患者が,らい病(ハンセン病)予防による国の隔離政策が,憲法違反の人権侵害であると熊本地裁に国家賠償請求訴訟をおこしました。結果,地裁は国の隔離政策に違憲判決を出し,政府は謝罪します。2008年,ハンセン病問題基本法(ハンセン病問題の解決促進に関する法律)が制定されました。
・障がい者
 障がい者差別の解消と障がい者の社会的自立を促進するための基本理念を定めた障害者基本法があります。
   
2 民法において,親族の範囲は〔 ① 〕親等内の血族,〔 ② 〕,〔 ③ 〕親等内の姻族とされている。直系血族・兄弟姉妹は互いに〔 ④ 〕の義務がある。 
①6  ②配偶者  ③3  ④扶養 
   民法には大きく2つのことが定められています。財産についてと家族・相続についてです。まずは家族について。
 家族関係には親族・夫婦・親子の関係があります。親族とはいわゆる親戚関係のことです。血のつながりのある親族を血族,婚姻関係(夫婦)にあるものを配偶者,婚姻関係によって親族となったもの(配偶者の血族)を姻族といいます。配偶者とは夫からみて妻,妻からみて夫のこと。
 また父母・祖父母・子・孫のように縦の関係を直系,兄弟姉妹・叔父叔母のような横の関係を傍系といいます。そこで次の民法の規定をおぼえておきましょう。「直系血族・兄弟姉妹は互いに扶養の義務がある。」【民:877条】
 もし経済的に困窮した場合,生活保護という生活費援助制度が設けられていますが,国から支援を受けるその前に直系血族・兄弟姉妹が援助(扶養)する義務があるというのが原則だということ。
 親族の範囲については,民法で「6親等内の血族・配偶者・3親等内の姻族」とされています。ここで理解しておきたいのは「親等」という考え方です。親戚関係の遠近を表す数値で,遠くなるほど数字が大きくなる。数え方のポイントは3つ。
☆親等の数え方
・自分は「0」である。
・配偶者同士は同数である。
・兄弟姉妹は親から数える。 


 夫婦関係つまり婚姻(結婚)については,まず【第24条】に規定があります。「婚姻は両性の合意に基づいて成立し,夫婦は同等の権利を有する・・・。」ここでは「両性の合意」・「同等の権利」という語句が重要になります。「両性の同意」・「平等の権利」と誤らないこと。
 次に親子関係。「親権」という言葉です。「未成年者は親の親権に服する。」【民:818条】親権とは,未成年者の教育・監督,財産の管理などの父母の権利です。民法の改正によって2022年4月から,成人年齢が18歳に引き下げられたことにともなって,婚姻年齢は男女とも18歳以上になります。同時に「未成年者の婚姻についての父母の同意」を求める条文は削除されます。
 20歳以上のまま維持されたものには,酒・タバコ・公営競技(競馬・競輪など)があります。
   
3 財産・家族について定めた現行の民法では,遺産相続は,配偶者が〔   〕,子が〔   〕を均分相続することになっている。
2分の1
   憲法の平等権は【第14条】のほかに【第24条】でも触れられています。家庭生活における個人の尊厳と両性の本質的平等です。ここでは民法と女性差別についての問題をみていきます。
 すでにみたように,明治憲法下の旧民法ですは,相続権は長子にありました。長子とは「長男」のこともあれば,当然「長女」の場合もありますが,親等が同じの場合,男子が優先されました。例えば,子どもが姉・弟の関係である場合,姉は長女,弟は長男となります。親(戸主)からみて2人の親等は同じ1親等ですから,「長女(姉)」は「長子」であるけれども,相続権は長男である弟のみにあるわけです。
 現在の民法ではこのような相続制は廃止され,均分相続が原則となっています。遺産相続は配偶者が2分の1残り2分の1を子が均分相続する。子が1人なら2分の1がそのまま相続されますし,2人なら子ども1人あたり4分の1ということになります。次の例をみてみましょう。


 では次に家族や社会での性差別問題をみていきましょう。
 まずは日本が1985年に批准した女子差別撤廃条約によって女性差別問題の改善が大きく前進しました。
 国籍法が改正され,それまで父が日本国民でないと日本国籍を取得できない父系血統から,父か母が日本国民なら取得できる父母両血統主義に改められました。(※基本的に国際結婚しても夫婦はそれぞれの国籍のままです。)
 そして男女雇用機会均等法の制定。この法律が制定される前は,住友セメント事件(女性の結婚退職制度)日産自動車事件(男女定年差)芝信用金庫事件(男女の昇進差)など職場でのさまざまな性差別が問題となりました。
 また高校での家庭科の男女必修化もこの条約の求めるところにより実現しました。
 条約締結後も実現していない内容の1つに夫婦別姓の問題があります。結婚後男女が同じ姓を名乗るというのは,1898年から施行された民法によって一般化したものです。現在でも夫婦はいずれかの一方の姓を名乗ることになっており,世界的にみてもこの制度は遅れています。夫婦別姓の制度は未だ日本では確立していないので注意しましょう。
 ストーカーDV(ドメスティック・バイオレンス=家庭内暴力)といった被害者の多くが女性である問題も,本質的には人権意識が問題であるとされています。
   
4 政治と宗教の結びつきを禁止する原則を〔 ① 〕の原則といい,〔 ② 〕の自由を守るためのものである。
①政教分離  ②信教
   自由権は,国家権力に干渉されない「国家からの自由」です。精神・身体・経済の3つにわかれることはすでにお話しました。ここでは自由権に関する注意点や裁判所の判例を挙げていきます。
①精神の自由
(1)思想,良心の自由【第19条】

 精神の自由の中で,最初に規定されています。それだけ精神の自由の中でも根本的なものです。他と大きく異なる点は,「思想」・「良心」は人間の内面に留まるということです。つまりそれが内面にある限り,公共の福祉で制限できないということになります。心の中にあるものを外に出したり形にすると,「表現」・「言論」・「出版」などとなり,他者(公共)との関係が生じるわけです。
 思想,良心の自由は自由権の中で唯一,公共の福祉で制限できない権利だと理解しておきましょう。
(2)信教の自由【第20条】
 信教の自由も内面に留まる限り,公共の福祉の制限を受けることはありませんが,これが宗教行為として外面に現れたときは,公共の福祉により制限を受けることもあります。
 また戦前の日本のように,国家が特定の宗教と結びつくと,他の信教の自由が脅かされることがあるため,政教分離の原則が定められています。
津地鎮祭事件(1977)
 三重県津市の体育館の起工式で,市がおこなった神道式の地鎮祭(安全祈願)が政教分離規定に反するかが争われた。
 最高裁判決は合憲。憲法の政教分離規定の規制対象は,「目的が宗教的意義をもち,かつ効果が特定宗教に対する援助・助長・促進,または圧迫・干渉になる行為」を示す(目的効果基準)として,この地鎮祭は宗教的行為ではないとしました。
愛媛玉串料訴訟(1997)
 愛媛県が戦没者遺族のために靖国神社などに玉串料(祈祷をお願いするためのお金)を公金支出していたことが,政教分離に反するとして争われた訴訟。
 最高裁判決は,目的効果基準を考慮した上で違憲。宗教的意義があり,特定の宗教団体への援助・助長・促進にあたるとしました。
現職閣僚の靖国神社参拝
 東京の靖国神社は,明治維新の死者を祭るための神社として出発しました。その後,国のため命を捧げたものを祭る宗教施設となり,戦前の軍国主義の象徴的な施設となっていったのです。例えば西郷隆盛は,維新功労者ですが,のちに反逆(西南戦争)をおこしたため祭られていません。
 現職閣僚が靖国参拝することに批判的になるポイントは2つあります。1つは憲法が定める政教分離に反する。これについては小泉純一郎首相(当時)が福岡地裁などで違憲判決を受けています。
 もう1つは,戦後の東京裁判でA級戦犯として死刑となったもの(東条英機など)も,ここで祭られており,現職閣僚が参拝するのは,先の戦争を肯定するものだと,特に周辺アジア諸国から非難される。
(3)学問の自由【第23条】
 明治憲法には学問の自由を保障する規定はありませんでした。そこで戦前は天皇機関説(美濃部達吉)のように国家が学問の自由を侵害する事件が度々おこった。
 現憲法では,学問研究,研究発表などの自由に加え,大学での学問の自由を保障するため,大学の自治も含むと考えられています。
東大ポポロ事件(1963)
 東大構内で,大学公認の劇団ポポロが演劇発表をおこなった(発表内容は政治的内容を含む)ところ,公演に情報収集のため入場していた私服警官を学生らが拘束したため,学生は公務執行妨害で逮捕・起訴された事件。
 一審・二審とも大学自治のための正当行為であり,大学における警察権の行使は違法,学生は無罪の判決。しかし最高裁では有罪判決。学生の政治的社会的活動は,大学自治の範囲外であり,警察官の立ち入りは違法ではないとしました。
(4)集会・結社,言論・出版,その他一切の表現の自由【第21条】
 表現の自由は,思想・良心・信仰などを外部に表明することで,個人の自己実現であるとともに民主主義をささえる非常に重要な権利です。18世紀のフランスの啓蒙思想家:ヴォルテールの有名な言葉があります。「私は君のいうことには反対だが,君がそれをいう権利は命がけで守る。」
 デモや報道の自由もこれに入ります。しかし外部に出るということは他者との衝突もありえますので,公共の福祉の制限を受けることになります。ただしそれは経済の自由と比べると必要最小限の制約にとどまり,プライバシーの侵害や名誉毀損などやむをえない場合に限るということを理解しておきましょう。
横浜事件(1942~45)
 戦争中,雑誌に掲載された論文がきっかけで,編集者・新聞記者ら約60人が逮捕・有罪となった言論弾圧。(獄死者も数名)戦後,被告人やその家族・支援者らが再審を請求し続け,2005年に再審開始,免訴判決に。
(5)検閲の禁止・通信の秘密【第21条】
 表現の自由に付随して,禁止されていることがらです。教科書検定や犯罪捜査のための通信傍受法(1999)がこれにあたらないか問題になりました。

②身体の自由
 不法な逮捕・監禁・拷問,恣意的な裁判などから人身を守るための権利です。そこで憲法では刑事手続きに関する条文が中心になっていることを応用編で学びました。刑事手続きと人権問題については裁判所でもう少し詳しくお話します。
(1)奴隷的拘束・苦役からの自由【第18条】
 意思に反する強制的な労働をさせられないということですが,徴兵制度はこの条文に反します。
(2)法的手続きの保障【第31条】
 逮捕・拘留などには,身体拘束手続きが法律で定めれていること。犯罪・刑罰はあらかじめ法律で定めらていなければならない(罪刑法定主義)。
(3)不法な逮捕からの自由・不法に抑留・拘禁されない権利・住居の不可侵【第34~35条】
 これらは被疑者の権利といってもよいでしょう。そして逮捕・捜索・押収には裁判官の発する令状を必要とする令状主義を定めています。ただし現行犯は除きます
(4)公平・迅速な公開裁判【第37条】,二重処罰の禁止【第39条】
 被疑者に対して,これらは被告人の権利です。二重処罰とは同じ犯罪について重ねて刑事責任を問うことです。これを禁止することを一事不再理といいます。
(5)黙秘権【第38条】・弁護人依頼権【第35・37条】
 被疑者・被告人に共通している権利が黙秘権弁護人依頼権です。黙秘権は自分の不利益になる供述を強制されない権利ですが,自白だけが証拠の場合(他の物的証拠がない)は有罪とならないこともおさえておきましょう。
(6)拷問・残虐刑の禁止【第36条】
 問題となるのは死刑制度が残虐刑にあたるかどうかです。1948年,最高裁では死刑は合憲と判決されています。具体的には火あぶり・さらし首・はりつけ・ゆで釜が残虐刑で,日本でおこなわれている絞首刑は残虐刑にあたらないということです。

③経済の自由
 まず経済の自由は,市民革命当時は神聖不可侵の権利として厚く保護されてきましたが,19世紀以降,資本主義が発達し,経済的不平等が拡大,20世紀になって社会権が保障されると社会的・経済的弱者を救済するため法律によって大きく制約されるようになった権利であることを理解しておきましょう。精神の自由に比べて公共の福祉による制約が大きい権利です。
※パターナリスティックな制約
 公共の福祉による人権の制約以外にパターナリスティックな制約というのがあります。例えば,君たち未成年は飲酒や喫煙を禁じられていますね。これは国が法律で君たちの自由権を侵害しているのか?そんなわれはありません。心も体もまだ未熟な君たちの健康を慮って,君たちが自己加害するのを国が防いでくれているのです。対象は未成年だけではありません。バイクに乗るときのヘルメットや自動車のシートベルトなんかもそうです。
当人の意思に関わりなく,当人利益のために,当人に代わって意思決定することをパターナリスティクな制約(パターナリズム)といいます。ただしよーく考えて線引きをしないと人権の侵害につながります。
(1)居住・移転の自由・外国移住・国籍離脱の自由【第22条】
 文字通りどこに住んでもかまわないという権利ですが,例えば都市計画に基づいて一定の保障の下,住んでいる土地からの立ち退きを要求されるといったことがあります。また感染症患者の移動を制限する(強制入院・隔離)のもそうです。(これは身体の自由の制限と解釈することもある)
 もちろん移動・移住する場所が海外であってもかまいません。ただし日本国籍を離脱するためには,外国籍の取得が前提となります。
(2)職業選択の自由【第29条】
 自分が就く職業を決定する自由ですが,営業の自由も含まれていることに注意しましょう。もちろん公共の福祉の制限を受けることになり,さまざまな営業免許の許可制のような国民の生命・健康を守るための規制や,社会的な政策から消費者保護や中小企業保護のような積極的な規制もあります。
薬事法距離制限事件(1975)
 薬局の新規開設にあたって(旧)薬事法では既存薬局との距離制限が定められており,これが職業選択の自由に反するとされた事件。最高裁判決は違憲
(3)財産権の不可侵【第29条】
 社会権が認められるようになると,財産権は一定の制限を受けるようになりました。例えば公園・道路・ダムなどの建設のため,正当な保障のもとに用地買収が可能です。
有事法制
 武力攻撃事態対処法では,有事の際,米や自衛隊が港湾・空港などの優先的利用が認められる。また国民保護法では,土地や家屋の使用,緊急物資の収容などに関して国民の財産権が制限されることもあります。
   
5 国の生活保護の基準は低すぎて憲法25条に反しているとして争われた生存権をめぐる〔   〕訴訟では,1967年に国側が勝訴した。
朝日
   自由権は「国家からの自由」でした。簡単にいうと「(国に対して)ほっといて!」。それで実際に「ほっとく」と20世紀はじめには,社会的・経済的格差が大きくなった。そこで社会権が生れる。これは簡単にいうと「(国に対して)何とかして!」です。そこで社会権は「国家による自由」とはよばれます。社会的・経済的弱者が人間らしい生活ができるように国家の積極的な介入を求める権利です。
①生存権【第25条】
 【第25条】では国民が「健康で文化的な最低限度の生活を営む」ために,国は「社会福祉・社会保障・公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と社会保障政策を実施する義務を定めています。
朝日訴訟(1967)
 朝日訴訟については応用編でお話しましたが,ではなぜ最高裁は国の生活保護基準(月額600円)を合憲としたのでしょう?
 最高裁の見解は「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を規定した憲法25条は,国の努力目標を規定したものであり,具体的な権利を保障するものではない」というものでした。これをプログラム規定説といいます。そして「健康で文化的な最低限度の生活」であるかの判断は,厚生大臣(当時)の裁量であるとします。
 この裁判自体は原告側の敗訴に終わりましたが,実質的にはその後扶助額が改定されることになり,社会保障の発展に大きな影響を及ぼしました
②教育を受ける権利【第26条】
 教育を受ける権利は,何も子どもだけの権利ではありません。教育を受ける立場になり得るものすべてに認められている権利です。教育基本法では「教育の目的は,あらゆる機会において,あらゆる場所において実現されねばならない」とうたっています(学習権)。生涯にわたって,学習の活動を続けていくことを生涯学習といい,2006(平成18)年に改正された教育基本法では,この生涯学習の理念が新たに付け加えられました
③勤労の権利【第27条】
 国民は勤労の権利をもつと同時に勤労の義務を負うと定めています。勤労の権利を保障するための施設が職業安定所(ハローワーク)であり,【第27条】では労働の最低基準と児童の酷使禁止についても定めており,これを具体化したのが労働基準法児童福祉法などです。
④労働三権【第28条】
 団結権・団体交渉権・団体行動権の労働三権ですね。これを保障するための具体化した法律が労働組合法労働関係調整法などです。
 ただし日本の公務員には労働三権の一部またはすべてが認められていないことに注意しましょう。共通しているのは団体行動権(争議権)はすべての公務員に認められていません。特に警察職員・消防職員・自衛隊はすべてが認められていません
   
6 日本国民である要件を定めた法律は〔   〕である。
国籍法
   参政権は,基本的人権が保障されるために国民が国家に参加できるようにする「国家への自由」といわれます。選挙権・被選挙権の他,公務員の選定・罷免【第15条】も参政権です。戦後,男女普通選挙が実施され,選挙権の年齢も18歳以上になった今,参政権で問題になるのは国籍条項です。
①外国人の参政権
 参政権が保障されるのは日本国民だけです。日本国民とは国籍法に基づいて,日本国籍をもつものです。要件は血統主義(両親とも,または父親,母親のいずれかが日本国籍の場合)と特別に法務大臣によって日本国籍を取得(帰化)したものとなっています。
 したがって外国人の参政権は認められていません。日本に多く居住する在日韓国人・朝鮮人にも与えられていないのが現状です。ただしこれは公職選挙法が適用される範囲でのことで,例えば地方公共団体での特定の問題について賛否を問う住民投票では,国籍条項がないため,条例によって認める動きがある
 また公務員についても,法律上,日本国籍を要件としていない場合があります。特に地方公務員では顕著で,例えば公立学校の教員採用では採用・昇進とも国籍条項を撤廃する自治体が増えてきています。(ただし校長・教頭など管理職への昇進は難しい)
②海外に住む日本人の選挙権
 以前は認められていませんでしたが,2005年,最高裁で違憲判決が出され,2007年以降の国政選挙において在外投票を認める公職選挙法改正がおこなわれました。
   
7 他人の行為によって損害を被った場合,その相手に対して損害を償うよう求める権利を〔 ① 〕という。また刑事裁判の手続きで,拘束などによって身体の自由が制限されていた人が裁判の結果無罪となったとき,国に対して刑事補償を請求する〔 ② 〕が認められている。
①損害賠償請求権(国家賠償請求権)  ②刑事補償請求権
   請求権は国務請求権や受益権と表現されることがあります。「受益」とは「利益を受けること」です。利益を受けるのは国民で,授けるのは国家ですから,「国家からの自由」である社会権とよく似ています。したがって国家から何かを求める権利のうち,社会権以外のものをひっくるめて受益権としてまとめており,それは国民が基本的人権を確保するため国家の作為を要求することから(国務)請求権とよばれるのです。
 具体的には,国家権力によって人権が侵害された際,国に対して国民が請求できる権利が憲法に定められています。
①裁判を受ける権利【第32条】
 政治権力から独立した公平な裁判所で,平等に権利・自由の救済を求める権利です。この権利が保障されているということは,人権の保障・法の支配の実現のため必要不可欠なことです。例えば,明治憲法では,行政訴訟は行政裁判所という特別裁判所で裁判を受けました。すると行政の有利に裁判がおこなわれることは明白で,公正な裁判は期待できなかった。
 また憲法では,だれもが「裁判を受ける権利を奪われない」と表現されています。これは逆に,国家権力が裁判を拒否することができないということでもあります。
②請願権【第16条】
 国または地方公共団体の機関に対して,希望を述べる権利のことです。かつては国民の意思表明の重要な手段の1つでしたが,現在では言論の自由が広く保障されていることや,インターネットの普及でその役割は減少してきたといえるでしょう。
③損害賠償請求権(国家賠償請求権)【第17条】
 公務員がおこなった不法行為により損害を受けた際,国や地方公共団体に損害賠償を請求できる権利です。最近は,水害,薬害(HIV・C型肝炎),原発,公害などでの損害賠償請求訴訟が多い。
郵便送達ミス損害賠償訴訟(2002)
 最高裁は,書留郵便の遅配による損害について国の賠償責任を認めていない郵便法は違憲としました。当時,郵便事業は国家事業であったため,郵便業務による損害は国家賠償の対象となりました。
④刑事補償請求権【第40条】
 要件は2つあります。抑留または拘禁されたこと。そして無罪判決が言い渡されたことです。抑留・拘禁が違法行為であるが故の損害賠償ではないので,捜査機関の故意や過失,違法性などの要件は必要ありません。その場合は国家賠償を合わせて請求すればよい。

 損害賠償請求権や刑事補償請求権はともに「法律の定めるところにより」という条件つきになっています。その法律がそれぞれ国家賠償法・刑事補償法です。また請求権の中でもこれらの権利は明治憲法では保障されていませんでした。
   
8 プライバシーの保護や環境権など,憲法に明記されていない新しい基本的人権を求める際,援用されるのは憲法13条の〔   〕である。
幸福追求権
   まず新しい権利は,憲法の条文に明記されていないというのは大丈夫ですね。では憲法改正にあたって追加が決定されているかどうか?引っかかってはいけません。条文追加が望ましいとは考えられてるけれど,そんな決定はされていないので注意。
①プライバシーの権利
 プライバシーの権利は,公権力だけでなく私人間でも主張できるという点に特色があります。もともと「ひとりで放っておいてもらう」権利(アメリカの判例)からはじまって,現在の日本では「私生活をみだりに公開されない」権利,そして「私生活に関する情報(個人情報)を収集されない(コントロールする)」権利としてとらえられています。マスメディア,コンピューター(インターネット)の発達がその要因ですね。マスメディアによる過剰取材や個人情報の国家管理による個人情報の流出が懸念されています。
 プライバシーの権利では最高裁判決も出ています。
『宴のあと』事件(1964)
 三島由紀夫の小説:『宴のあと』のモデルとなった人物が,プライバシーが侵害されたとして訴えた事件。東京地裁がはじめて憲法上の権利としてプライバシーの権利を認めた初の判決
『石に泳ぐ魚』(2002)
 柳美里の小説:『石に泳ぐ魚』のモデルとなった人物が,プライバシーの侵害を理由にその出版差し止めを求めた事件。原告勝訴の最高裁判決。プライバシー保護のために表現の自由を制限した
・肖像権
 最高裁は,プライバシーの権利の一種として,本人の承諾なしに容姿などを撮影されない肖像権も認めています。
 プライバシーの権利とその保護に関する法律として,国は2003年に個人情報保護法を制定しました。その一方で,警察の捜査の過程で電話などの通信を傍受できる通信傍受法住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)は情報の不正使用や情報流出のおそれが指摘されています。
②知る権利
 これは「表現の自由」【第21条】を「受け手」側からとらえようする権利です。表現の自由はもともと情報を発信する「送り手」側の権利を保障するものでしたが,主権者が当然有する権利として,国家から制限されずに情報を「受ける権利」として保障しようというものです。
 1982年,山形県金山町ではじめて情報公開条例が制定されて以来,現在では47都道府県すべてでこの条例は整備されています。しかし情報公開法は条例に遅れて1999年に制定されたということ。そして日本国民以外にも外国人,法人にも開示請求権が認められている点に注意しましょう。
③環境権
 認められるようになったきっかけは,高度経済成長期の公害問題や環境破壊ですね。環境権から派生する権利として日照権眺望権・静穏権・嫌煙権なども主張されています。
④自己決定権
 個人の尊厳に関わる権利で,特に医療現場で問われる場面が増加しています。延命治療,尊厳死,安楽死,臓器移植,人工授精,遺伝子治療,クローン技術などなど。
・延命治療と尊厳死
 人間の尊厳を保ったままで死に臨むことを尊厳死といいます。そのため患者側は無意味な延命治療を拒否することを医療機関に要求することができます。注意すべきことは医師が患者に安楽死を施すことは現在の日本では,殺人罪に問われます。現在の日本では,というのはヨーロッパの一部の国では安楽死を合法化する法律が成立しているのです。
エホバの証人事件(2000)
 「エホバの証人」とは,あるキリスト教の宗教団体やその信者のことです。彼らは宗教上の理由から輸血を禁止しています。ある信者が手術中に無断で輸血され精神的苦痛を受けたとして,医師に損害賠償を求めました。1審は,原告の敗訴。2審は,インフォームド=コンセントを前提とした自己決定権を認め,原告側の勝訴。そして最高裁では自己決定権という言葉は使わず,原告勝訴の判決を下しました。
臓器移植法(1997)
 本人の意思表示と家族の承諾があれば,脳死後の臓器提供ができる法律です。本人の意志表示は,臓器移殖ネットワークが発行する臓器提供意志表示カード(ドナーカード)や,健康保険証・運転免許証に貼り付ける意思表示シールで示すことができます。
 注意しておきたいのは,この法律は改正後(2010),それまでできなかった15歳未満の子どもの臓器提供が家族の承諾によって可能になった点です。
セカンドオピニオン
 患者が病気の治療にあたって,主治医以外の医師に意見を求めることです。インフォームド=コンセントとまちがわないように。
・現在,日本で法的に認められていない事項
 安楽死のほか,代理母出産は国内では認められておらず法整備もできていません。クローン技術の人への応用はクローン技術規正法で禁じられています。
   
9
マスメディアの一方的な報道に対し,人々がマスメディアを利用して,反論したり意見を表明したりする権利を〔   〕という
アクセス権
   アクセス権とは「接近(アクセス)する権利」。マスメディアに個人の意見を発表する場を要求する権利で,表現の自由と知る権利を土台としています。相手が公権力ではなく,マスメディアであるという点が特徴です。

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